所詮、戯言
昔は、なんかカッコいいこと言いたくて。
そんな憧れがあって、文章で表現していたような気がする。
なんでも真似から、憧れではじめる事、カッコつけることは大事だと思っていて、当時のその表現を決して卑下しているわけではなく、そういった側面において現在の自分が変化していると感じた。
現在、ちょっとはカッコつけている(モテたいって気持ちはちょっとどころじゃない)部分もあるけど、様々なものが腑に落ちてきたと感じるものがあり「なんとなく好き」だったものの(自分なりの)真を捉え始めてきたのかもしれない! という脳内の喜びを、誰かと共有したくて、吐露に近い私的な文章になってきた。
ような気がする(ここは、まだ腑に落ちていないというややこしい精神)。
本題。
最近「所詮」という言葉がマイナスイメージではなくなった。
僕の好きな映画の中に『セシルBシネマウォーズ』という映画愛溢れる作品がある。その中で、映画撮影にヒープアップする息子の姿をみた母は放つ一言が、とても気に入っていた。
「所詮、映画なんだから」
気に入っている映画なので、いつでも観れるようにDVDを買ったけど、同じく気に入ったと言った人との出会いが嬉しくてあげちゃったので手元にない。
だから、脳内再生で、印象としてなんだけど。
映画を愛している監督だからこそ表現できるセリフ、隠喩。
当時は、こんな捉え方をしていて「なんとなく」気に入っていた。
一種のパンク精神、毒の効いたパンチと刺激的に捉えていた。
しかし
「所詮」という言葉がマイナスイメージではなくなった現在の僕にとって、ようやくウン年越しに、このセリフの真価に触れることができたと思う。
所詮は、所詮だった。
それ以上でも、それ以下でも、裏も表もなくプラスもマイナスもないのだ!
所詮を所詮として捉えることで、それが腑に落ちて、大切にしているものにこそ当てはめると、あら不思議。僕はなんだか少し楽になった。
所詮、映画。
所詮、言葉。
所詮、人生。
投げやりなんじゃないよ。
マイナスな意味ではないから、これでいいのだ。
されど、故に、だからこそ、と繋げることができる、とてもフラットな言葉なのだ。
そう、ここまで全部、所詮、戯言だ。
しかし、この発見を新しい喜びと感じたので、ここに記した。
*****
ちなみに「戯言」も僕にとってはマイナスな言葉ではない(割愛するけど)!
そして、今回、意図せず出てきた「これでいいのだ」についても、意図せずに出てきたということに驚いた。
それはつまり、僕の腑に落ちている言葉のひとつ、ということなので。
文章を書くということで得られた発見や喜び、もしくは自身の成長に「おおー(ここを表現する言葉は見つからない)」と感じた。
41歳の春まで、あと1年。
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