京言葉は北へ南へ
こんにちは。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。つまり、大学を卒業してから13年が経つということです。今日は、大学で学んだことを基に、「京言葉」を追ってみたいと思います。
方言によるプロファイリング
と、教授は熱く語りました。高校・中学国語の教員免許を取る際の必須科目だった講義です。この教授のことを私は苦手だったはずなのですが、この歳になって振り返ると、実に興味深い話がたくさん浮かんできます。小柄な七三分けの教授は、田原総一朗を若くしたような顔の男性でした。言語学についての講義だったので、方言についてのエキスパートだった彼が担当していたのは今考えると納得です。
今の京都に日本最古の言葉は無い
ある日、教授が私たちに語り掛けました。私を含めた学生たちは「京都」という声と「奈良」という声に分かれました。教授はどちらにも首を横に振りました。
では、古くからの京言葉はどこへ行ったのでしょうか。
”かたつむり”から見る和語の生き残り
と教授は言って、次のような表を書きました。
いわゆる”かたつむり”を地域ごとの呼び方でまとめていくと、上記のようにまとめられるそうです。この”かたつむり”は一例ですが、東北と九州には類似する方言が多数見受けられるようです。遠く離れた東北と九州の地で、なぜこのような現象が起きるのでしょうか。
これらは、古い京言葉=和語が京都中心に広まっていき、その伝播の最果てでとどまって今も生き続けていることを示している・・・と教授は続けました。この説を
と呼ぶそうです。
現在使われるものよりも少し前の段階の京言葉が、山形県酒田市で用いられるのは有名な話ですね。小京都と呼ばれる場所は、貿易による人的交流・物的交流とともに、方言の交流も行われたのだということでした。
学校で”歴史”や”方言”をどのように教えていくか
今、学校教員になってこのことを思い出すたびに、
と思います。なぜ面白かったのでしょうか。それは、きっと”社会”や”国語”といった枠組みを超えて、自分の考えが深まったからではないかと感じています。”知っていることをつなげていったら、新しい知識を得られた!”という感覚です。
今、目の前の授業で”枠組みを超えた文化の楽しみ”が分かる子は数えるほどでしょう。ただ、教育は目覚まし時計です。いつか、子どもたちが学んだことをつないでいけるよう、日々丁寧な学習を積み重ねていきたいなと考える日々です。
では、またね~!
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