ギフテッド(天才)教育について 考えてみた
こんにちは。寒さは続いていますが、少しずつ日の出の時刻が早くなってきて、明るい朝が少しうれしいMr.チキンです。
本当は今日あたり、教育に関係ない、Garminの腕時計の話を書こうと思っていたのですが、ギフテッドに関するニュースが目に入ったので、それについてお話をしたいと思います。
これは、教育全体がマイノリティ(少数者)に対してどのように関わっていくのか考えることと同じ問題だと考えています。
ギフテッドって何?
ギフテッドと呼ばれる子どもがいます。Wikipediaによると
実際に、私もIQ130以上の児童を数名見てきました。
その経験から、YAHOO!ニュースに掲載されていた次のニュースが気になりました。
“授業が簡単すぎてつまらない”小学生の13%が抱える「吹きこぼれ」問題…知的好奇心を満たすギフテッド教育とは
この記事の中では、ギフテッドの児童が
という困難をもっていることから、
という3週間の教育プログラムを実施しているという話でした。
私は、この取組について、とても良いと思っています。
昨年度まで、私は研究主任として、「特別支援教育の観点を生かした授業」の研究を行っていました。
その中では、「学習をどの学習層に向けるのか。難しすぎると低学力層はついていけない。簡単すぎると高学力層はつまらなく感じる。」という議論がしばしば出ました。様々な層が学習する公教育ならではの問題点です。そこにアプローチした小林りんさんの取り組みは評価されるべきだと思います。
ただ、一方で、コメント欄には
というような声がたくさん挙げられていました。
これはこのプログラムを日本で実施する中心的存在の小林りんさんの主張と少し異なる気がします。
ギフテッド教育や特別支援教育と聞くと、分離した教育環境を整備すべきだと考える人々が一定数いるため、特別支援学級教員の視点から少し話をしたいと思います。
本当に満たされたいのは知的好奇心だけなのか?
私がもったことのあるIQ130を超える子どもたちの実態
IQ130を超える児童の担任をしたことがあります。
彼らはやはり算数の授業などで特別な才能を見せます。
1年生の「かさ」の授業では、積(かけ算)の概念を用いて水の量の比較を行おうとした時は、正直に驚いてしまいました。
一方で、友だちを作りたいけれど、幼稚園の頃からの能力差で友だちができなかったという経験がコンプレックスになっている様子が見られました。
友だちのやっていることがとても子どもっぽくて、一緒にやる気にならなかったようです。
私は、このような傾向のある子に対して、飛び級制度や特別学級を設けて集団から離すということは、このコンプレックスを抱えたまま成長するのではないかという危惧をもっています。青年期には偏った選民思想のようなものに変化するかもしれません。
大事なのは、その子が何を求めているのか。知的好奇心なのか、いっしょに学ぶ仲間なのか。そのニーズを汲むことだと思います。同年代の、同じ地域で生まれた子ども、そして考え方も能力も全てが異なるメンバーで学ぶ経験は、この子たちには必要ないのでしょうか。
最終的に、子どもたちはおじさん・おばさん(もしくは歳をとったその他の分類)になって、どこかの地域で暮らしていきます。才能も能力も雑多な中で生きていくのです。
各国の教育例を見てみると、「分ける」以外の学び方の選択肢が見つかるかもしれません。
スコットランドの教育
スコットランドの教育について見てみましょう。スコットランドには公的なSpecial Schoolがありません。
伊藤俊という方は
という報告をされています。
スコットランドでは、同じ課題を扱いながらも、少人数グループごとの授業を行うことで、高学力層・中学力層・低学力層のそれぞれのニーズに合った授業を展開しているということでした。
これなら、色々な能力差のあるグループでも、それぞれが満足できる学習ができますね!
アメリカの教育
アメリカでは、2E教育(Education for Twice-Exceptional Children)というものがあります。
これは高IQで有ると同時にASD(自閉症スペクトラム障害)を併せ持つ児童に対する教育のようです。筑波大学の関内偉一郎という方は
というアメリカの制度を紹介しながら、日本国内の学校外の活動で、週2回2E教育を施した例を紹介しています。
放課後の時間を用いながらの学習支援という方法は、集団指導と個別指導を合わせた方法で有効かもしれません。
大切なのは本人のニーズをさぐること
この他にも、保護者を含めた複数の大人が授業を見る体制を整えている英国の取組みや、同じ学年で生活しながら学習内容は発達段階に応じて分けているニュージーランドの取り組みなど、海外のインクルーシブ教育の取り組みは、ギフテッドへの教育に対しても有効であることが考えられます。
大切なのは、本人が何にニーズをもっているのかを探ること、そしてそれに答えるための選択肢が大人側にあることだと思います。
「分ける」「分けない」の両極端な議論をする前に、
どうすれば子どもたちのニーズに答えることができるのかを考えられたら良いなぁと思っています。
日々、勉強だなぁと思いますね。
では、またね~