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因果性について/#哲学書要約/卒論メモ

概要
スティーヴン・マンフォード、ラニ・リル・アンユム『因果性』の要約です。ヒュームを中心とした因果性の論点や立場をざっくりとまとめたノートです。

因果性について卒論やろうと思ったけど、図書館しまってて積んだ笑(追記:これを書いた当時はコロナで閉まってた。)
前は倫理を中心にやっていたけど、それだとやっぱり根本的なもやもやが解決されないというか、この世界を成り立たせているものは何なのかとか、存在自体とかをやらないことには「いかに生きるか」も何もないだろう、ということで、結局形而上学的なテーマをやりだすんだよね。


哲学の棚ごと借りておくんだったな。
とりあえず、因果についての入門書を簡単にメモしておきます。
一人で考えてても迷宮入りするから、何か意見があったら言ってくれると嬉しいです。


因果性について

参考文献:スティーヴン・マンフォード、ラニ・リル・アンユム『因果性』塩野直之、谷川卓訳、岩波書店、2017


0.導入

私たちは日常生活において因果性は世界に当然存在するものとして受け入れているように思える。スマホを見すぎると目が疲れるし、寝坊すると授業に遅刻したり「もういいや」となったりする。他にも、褒められれば嬉しいし、鋭い質問をされるとちょっと困る。しかし、そもそも因果性とはいったい何なのか、本当にそんなものはあるのか……。因果性の概要を見ていきたい。

1.因果性にまつわる問い

①「あるものごとが別のものごとを引き起こす」と言うとき何を意味しているのか(概念)
②世界において因果性とはいかなるものか(存在論)
③私たちはどのようにして原因を見つけるのか(認識論)

2.因果性に重要な論点を提示したヒュームの考え方

[ピアノの鍵盤をたたいたところ、音が鳴った。そこには因果関係が認められる。鍵盤をたたいたことによって、音が鳴ることが引き起こされたのである。そしてそのように判断できるのは、鍵盤をたたいたならば音が鳴らなければならない(必然的)からだと思える。]

私たちの日常的な感覚では、これは違和感のない文である。しかし、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームはこれに異を唱え、因果性を論じる中で注目すべき点を提示した。ヒュームの考え方を受け入れるかどうかは別として、彼の提示した論点によって現在も因果性に関する論争が続いている。ヒュームの基本的な考え方は、私たちが自然界で観察できるのは一連の出来事だけだ、というものでる。

「すべての出来事は、完全にばらばらで別々のものだと思われる。一つの出来事が他の出来事に続いて起こるが、それらのあいだにはいかなるつながりも決して観察できない。それらは連接しているが、まったく結びついていないものと思われる」(ヒューム「人間知性研究」第七節、第二部)

ヒュームがこのように考える根拠は、私たちの知識は結局のところ知覚経験に基づくとする経験主義をとっていることにある。要するに、ピアノを弾くプロセスをどれだけ観察しても「必然性」は見つからないということである。私たちがそこに必然的に因果性があると思っているのは、いままではいつでも鍵盤をたたけば音が鳴ることを習慣的にそう見なすようになっただけだ、ということである。私の解釈では、要するにヒュームは出来事をレゴブロックのように思っており、世界にブロック(要素)はあるにしてもそれが車に組まれたり、花に組まれたりすることには全く必然性が無いのと同じようなものである。(=デイヴィッド・ルイスのモザイクとして理解する考え方)

因果性に関する見解は、基本的にヒューム主義的因果論と反ヒューム主義的因果論に分けることができる。以下では、ヒュームの提示した論点とそれぞれの主張の概要を見ていく。

【ヒューム主義的因果論】

ヒュームは、因果関係が必然化の関係であることを否定した。ヒュームが挙げる因果関係の3つの特徴と、分析するための候補は:①規則性 ②時間的先行性 ③近接性 ④反事実条件法 である。
すなわち、①これまで鍵盤があったときは常に音の発生があった ②それらの出来事が起こる順序はいつでも決まっており、③目の前のピアノの鍵盤をたたいたら、音はその後ピアノのあるところで発生する(遠くの街のホールにあるピアノが音を出したりしない)。

この3つの特徴に対して、じゃあ「雨男」や「雨女」はどうなるの?という反論が向けられる。例えば、①②太郎が来ればいつも雨が降るし、③太郎が来た場所で雨が降る、となるとそこには因果性があることになってしまう。それに対するヒュームの応答が④反事実条件法である。つまり、「だって、太郎が来ても来なくても、どちらにしたって雨は降ったでしょう」というわけである。太郎が来た状況と太郎が来なかった仮想的な状況を比べることでそこに因果関係があるかを判断できるとヒュームは言う。

また、ヒューム主義的因果論は次のように特徴づけることができ、反ヒューム主義はこの特徴を否定することによって主張を組み立てていく。

(1)因果関係という概念の分析に関わる問い、つまり「因果関係が成り立つとはどのようなことか」という問いに取り組む。(2)その問いに対する答えは一つに定まる。(3)その答えは、因果関係が還元的に分析されることを示す。(4)その答えは、原理的には、どの出来事の後にどのような出来事が起こることも認める。(p.170)


【反ヒューム主義的因果論】

(1)を否定する:物理主義
因果性は物理的な現象であるから、本来経験科学によって解明されるのがふさわしいと考える立場。因果性には向きがあり、エネルギー、運動量、電荷などが原因から結果へと伝達されることがわかる。しかし、因果性とは何であるかを明らかにしてくれない?
還元主義:基礎的なものに還元する
創発主義:より高いレベルの現象はむしろ分割できない全体

(2)を否定する:多元主義
パターン化はできないのではないか、と考える立場。すなわち、私たちは「押す」「傷つける」など、個別のケースに即して他動詞の使用法を学んでから、ある点で認められる類似性を根拠として、それらを「因果性」のもとに括る。そうであるなら、因果性の内実を一通りの仕方で捉えることはそもそも困難な課題ではないか? としている。ヴィトゲンシュタインがソクラテスに挑んだように。例えば、5人家族のうち3人は赤い巻き髪で……と考えていくとその家族ただ一つの「本質」というものがないことがわかる。
ネッド・ホール:因果性は二つの概念だけで足りる
アリストテレスの四原因:質量因、形相因、作用因、目的因。から考える。

(3)を否定する:原初主義
ヒューム主義において因果性は還元的に分析されるべき概念と考える立場。そのさい還元先は規則性や反事実条件法である。言い換えれば、ある一つの場面における因果関係の成立に、そことは別の時と場所で起こった出来事や、仮想的な状況が関係してくるということ。しかし考えてみれば、なぜ当の場面以外のところが関係するのか?太郎が段ボールを動かしたのならば、単に、関連するのは太郎と段ボールだけではないのか?

(4)を否定する:傾向性主義
例えば、砂糖は水の中に入れると溶ける。この水溶性と呼ばれる性質は、砂糖を水の中に入れれば「いつでも」溶けるということを示しており、それは必然化の関係ではないのか?
→このアプローチは、アリストテレスの哲学と親和的なものとして理解される。

(「なお、ある条件(「刺激」などと言われる)とそれに対する振る舞い(「顕在化」などと言われる)によって特徴づけられる性質のことを傾向性と言う。だからいま述べた論点は、より一般的には、傾向性をもとにして因果性を理解するアプローチを示唆していると言えよう。事物の備える傾向性は科学的探究によって明らかとなりうるのであり(砂糖の水溶性は化学的・物理的な探究のゆえに明らかとなっただろう)、そしてひとたび傾向性を特定できれば、当の事物が関わる限り、因果関係をその傾向性の顕在化によって理解できるというわけだ。因果性の基礎は、自然の事物のあり方に求められることになる。」)(p.174)



私の考え:傾向性主義にシンパシーを感じている。しかし、ある三角形において、2つの内角が分かっていれば残り1つのの内角が分かるというような、はっきりしたものではない。(Aが起こった後には、必ずBが起こるというような絶対的なものではない)。

ギャラリーからの意見:仏教では「因果具時」といって、原因と結果は同時に起こるという考え方がある。これはヒュームの、「ある物事のあとにある物事が起こる」と反対。
↑これ調べたけど意味不明すぎる。そう考えだすと、すべては「全体」みたいにならないか? 区別が不能ということ?

疑問:理由と原因は異なるのか?
ゼミの先生によると、1:変わらない。2:異なる。理由というよく分からないものは存在しない。




[その他の主な興味]
1.生命倫理:①「遺伝子工学によって、より健康的な子どもを人為的にデザインして産むことは許容されるか」②私は人間の倫理観は身体が深く関わっていると考えており、通常よりも高い能力をデザインされた結果、人間の倫理観が生物的に変わってしまうのではないかと思っている。そして、恐らくみんな健康的で容姿の良い子を望むため、全人類は同じような見た目に寄っていき、倫理観も現在よりも似通う可能性もあるのではないかと考えている。(趣向が先鋭化するので逆かも)
2.尊厳:前期は、生命倫理の重要な概念として「尊厳」を研究テーマとした。そして暫定的な結論として「尊厳は善悪に置き換え可能である」とした。(ギルバート・ハーマンが同じような議論をしているらしい。)
3.教育学:哲学の考え方の枠組みは教育に役に立つ?(私はこれからの時代に求められるとされる「自分で考える力」を哲学の考え方を学ぶことで身につくと思っており、『Kurzgesagt - In a Nutshell』(科学トピックをわかりやすく解説するアニメーション)の哲学版を作りたいと考えている。)
4.その他:生物学、進化心理学、宇宙に関すること


2020/6/20追記:卒論は因果性も含みつつ、「そもそも哲学とは」(メタ哲学,主に科学との比較によって)をやることにしました。それらの解説もあるので、もし良ければご覧ください。

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【母船】
【1】哲学とは何か
[1-1-a]「哲学とは何か」ラフスケッチ
[1-1-b]哲学における方法:判断・論証・対話
[1-1-c]哲学の主要な問い:形而上学とは何か
[1-1-d]哲学の主要な問い:認識論とは何か
[1-1-e]哲学の主要な問い:倫理学とは何か
[1-1-f]哲学の主要な問い:(言語哲学とは何か)
[1-2]西洋と東洋の考え方は根本的に違う?
【2】科学とは何か
[2-1-a]自然科学史
【3】哲学と科学は違うのか
【4】学ぶとは何か
[4-1]必要条件の話か、十分条件の話か。
[4-2]「学ぶ」とは何かを明確にする
[4-3]「幸せ」とは何かを明確にする
【5】因果性とは何か←今ココ!!

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