雨の中、ずっと夜を歩いている。
わたしは小学生の時、うつ病は「何かとても怖いもの」だと思っていた。
知らないことを知りたいという知的欲求が昔から旺盛で、テレビでうつ病についての話題が出ていた時に母に「うつ病って何?」と聞いたところ、「色々考え過ぎて苦しくなっちゃう病気」だと、母から言われていたからだ。
勝手に、わたしは縁のない病気なんだろうなと思い込んでいた。
中学時代
中学生のとき、鬱が顔を出した。
「やぁ」みたいな感じ。
そんな軽い感じで来られても困るんだけど、奴らは問答無用でやってくる。
昔から自分が真面目な性格だという自覚はあった。
やれと言われたことはやるし、宿題も一人でちゃんとできた。
器用で要領がいいな、とは今も思っている。
でも段々、そういう真面目な性格が裏目に出始めた。
やらなきゃいけないことをこなせばこなすほど、手を抜けなくなって、存在するはずのない完璧を求め始める。
テストの点数が少しでも下がったら必要以上に自分を責めて、できないことがあると苦しくなる。
そのわりに周りと比べると結果は良くて、それが普通だから褒めてもらえない。
当時はまだ13歳だったし、「褒めて欲しい」という気持ちばかりが先行する。
そして親はというと、そんなことには全く気づいていなかった。
というのも、わたしは親に心配されるのが気持ち悪くなるほど嫌いなので、何が辛いとか苦しいとか、そんなことは絶対に言わないようにしていたから。
なぜそんなに親に心配されるのが嫌いなのかというと、これは小学生の時の経験による。
小学3年生〜小学校を卒業するまで、わたしはいじめられていた。
言い返せる相手とはちゃんと喧嘩もできていたが、それでわたしがしんどそうにしていたことが友達の親からわたしの親に伝わったらしい。
親がそれでわたしに声をかけてきたんだけど、正直話が合わなかった。
アドバイスはわたしの性格や特性を考慮してるものではなく、全く実用的ではなかったのだ。
親って別に的確なアドバイスをしてくれるわけではないのかー、と思った。
これはちょっと絶望に近い。
そして、もう二度と親に心配なんかされてたまるかと決心した。
そんなこんなで親に気づかれまいと努力していたのだが、わたしはこの頃別のことに気づく。
「うちの家、めちゃくちゃ暴言多いな…あとなんか弟や妹と扱いが違う気がする…」
なんかすごいたくさん暴言を吐かれる。
し、めっちゃ怒鳴られていた。
大人が大声出すと普通に怖いし、普通に号泣してた記憶もある。
そしてまたそれについて怒られる。
わたし以外のきょうだいはちょっとテストの点数が上がったら(全体的な点数はよくない)すごい褒められて、手伝いをしなくてもわたしより怒られない。
まあ弟はわたしの次くらいに怒られまくっていたので、よく二人でベランダに閉め出されていた。
冬だったから寒かったけど、弟と二人で見る冬の星はめちゃくちゃ綺麗だったのを覚えている。
…よく覚えてるよね、そんなこと。
そして弟は中学生になったらめっちゃ反抗期に入って普通に家出みたいなことをしていた。
羨ましかった。
わたしの中では、劣等感がどんどん膨らみ、自己肯定感はあっという間にいなくなってしまい、自己否定ばかりする人間になってしまった。
なんか中学3年生の時に高校受験のことを考えたり、仲良い友達が全員同じクラスになったりして、その1年間だけ元気だったけど、あとはもうずっと鬱だった。
ここで今(21歳、今年22歳)の自分で当時を振り返ってみよう!
もう早く病院に行って欲しい。
だってこの時点でめちゃくちゃ自傷行為してたもん。
衝動的にやってるので、もはや当時付き合っていた彼氏とかに止められてもやる。
制止がきかない。
毎日毎日ずーーーーっと気分は沈んでて、隙あらば自殺のことを考えていた。
それはめちゃくちゃ調子の悪い状態なんだよ!
と教えてあげたい。
高校時代
わたしは高校生になった。
高校は中学とは比べものにならないくらい楽しかった。
わたしは普通科ではない学科に通っていたので、みんな大体同じようなことに興味があって、話す内容だってそんなくだらないことばっかりじゃない。
海外研修にも行ったりして、学校にいる時間は落ち着けていた。
課題と授業はめっちゃキツかったけど。
反比例するように、家にいることがどんどん辛くなっていった。
親の弟や妹への贔屓、わたしに対する過保護、暴言、怒鳴り声、わたしを全否定する言葉、そのわりに「あなたのことを考えて言ってる」的な発言。
じゃあまずその暴言と怒鳴るのをやめてくれよ。
「誰のおかげで生活できてると思ってんの?」
という言葉で、わたしってこの人たちが望んだから生まれてきたんじゃなかったのか…と、本気で死のうと思った。
でも学校に行けば居場所がある。
周りにはやっぱり悩んでる友達も多くて、スクールカウンセラーの人と話してるっていう人もいたから、わたしも受けてみようかなと思って頑張って予約してみた。
めっちゃ勇気がいることだった。
(後々わたしがカウンセリングを受けているっていう情報が担任にも行くんだけど、幸い担任はそれを静観しつつも心配はしてくれる、色々口を出してくる人ではなかった。過干渉が苦手なわたしにとってはかなり救いだった。)
これがかなりよくて、カウンセラーさんはたくさん話を聞いてくれた。
ちゃんと目を見て、反応をくれて、わたしが今までやってきたことを認めてくれた。
高校3年生の夏頃から、また1年間くらいは元気になった。
ちなみにカウンセラーの先生に大学合格の報告をしたら、めちゃくちゃ喜んでくれた。
多分自分より喜んでたと思う。
すごくすごく嬉しかった。
大学生になってから
わたしは大学生になった。
地元を離れて上京することになったので、念願の一人暮らしだ。
これでようやく家から解放される。
そう思っていたけど、親の過保護は止まらなかった。
ずーーーーっとお金の話をされる。
お金を条件にして自由を他人から制限されるのってすごくキツかった。
いや、お金は大事だし、お金出してもらってるのはめっちゃ感謝なんだけど、
「お金出してやってんのはこっちなんだから」
みたいなね。
そりゃ、そりゃそうなんだけど〜〜〜!
なんかもっと他に言い方とか無いのだろうか…。
お金出してる人はどんな言い方をしても許されるのだろうか…。
たとえばそれを苦にして人が死んじゃっても…?
もし人が死んじゃったら脅迫とかになったりしないのかなあ…と不思議だった。
何が何だかもうよくわからない。
そしてその後に続く否定の言葉たち。
この人たちがほんとの悪人だったらよかったのにな、この人たちにとってはこれが愛情なんだろうな、愛情ってなんなんだ?
って思うようになっていた。
もはやお金が愛情に感じられる。
大学1年生の秋頃には、そんな親子関係ってどうなんだ?と思う余裕も、もうそろそろ無くなってきていた。
このあたりで、大学に入ってから付き合った彼氏(今も付き合ってる)に大学の学生相談室に行こうと提案され、手汗が吹き出る手で予約票を埋めてきた。
彼氏には感謝しかない。
提案されなかったら普通に死んでいた。
そして相談室で心療内科を紹介してもらった。
学生でも通ってる人けっこう多いですよ、という言葉は、意外と安心できるものだ。
縁遠い存在だと思っていたはずのうつ病は、気づいたらわたしの隣に座っていた。
うーーーーーん、何でなん???
それから約2年間の闘病生活?が始まった。
病院の先生に聞いたところ、2年で良くなるのはかなり短い方らしい。
先生はわたしについて、「真面目すぎて頑張り過ぎちゃったんだね」と言っていた。
そうだと思いたい、と泣きそうになった。
最初の半年くらいはほとんど授業には出られなかった。
目が覚めてる間はベッドの上に横になったまま。
時々思い出したようにトイレに行ったり、少し動画を観たりする。
ごはんは1日に1回食べるか食べないかで、夜中には突然理由もなく泣いたり、得体の知れない不安で息切れ・動悸が出てパニックになったりもした。
「わたしは今、一体何を相手にしているんだろう」という先の見えなさと、取り留めのない孤独感が、うつ病になって一番つらかったことだと思う。
冬は特につらかった。
寒いのと暗いので不安がもりもり湧いてくる。
どうせ湧いてくるなら元気にしてくれ、と思う元気もない。
大学1年生の3月。
まだ元気だった時に応募して通っていたイタリアでの研修に行った。
これが少し大きめの転機だった。
イタリアはめっちゃ暖かい。
そして明るい。
だから自然と気持ちもちょっと明るくなる。
あとわたしは史学科の学生なので、イタリアの史跡は最高以外の何物でもないのだ。
たくさんの知識に、文化に、経験に触れて、「まだこんなに知らない世界がある、まだ死ねない、まだ知らないことを知りたい」という気持ちが溢れた。
小さい頃のわたしが見たかったものを、わたしは今見ている。
その感動で胸がいっぱいになった。
知りたい気持ちは、もしかしたら生きたい気持ちになり得ないこともないのかも、と気づきを得た。
あとイタリア人の友達もできた。
そして2年生になって少しずつ授業にも出られるようになり、わたしが全然学校に来なくなっていたことを知っていた友達にはめちゃくちゃ心配されていたことを知った。
「会えてよかったよー!」
とまで言われた。
嬉しい。
2年生の冬には、ぎりぎりコロナが流行る前にドイツに1ヶ月の短期留学に行ってきた。
わたしはやっぱり、知らない世界が好きだ。
知らないことを知るのが好きだ。
世界が好き。
知らないことを知るためにも、まだ生きていたい。
その気持ちが、「死にたい」という気持ちに取って代わり始めたのを感じた。
今とこれから
現在、大学3年生。
正直単位はちょっとやばいが、毎日が楽しいので特に気にしていない。
と書くと「いや気にしろよ」ってなるかもしれないが、病むほど気にしてないということだ。
気にはしている。
卒業できるかな…。
まあなるようになるかな、と思ってとりあえず目の前の卒論準備を…進めています……。
2021年現在でも、世界は大変なことになっている。
東京に住んでいるので、感染についての心配はもちろん絶えない。
でもメンタルがすごい元気なのでつらくはない。
知識への扉はインターネットで常に開かれているし、オンライン授業とはいえ先生たちはたくさんのことを教えてくれる。
大学で学んだことで一番大きかったのは、目の前にある情報を自分で吟味して、取捨選択して、考えて自分の意思で動くようにするという考え方。
これが大学で学ぶ…意義……!!
とスケールのでかいことを考えてしまう。
かっこいいこと考えたい。
この文章はわたしのこれまでの人生の記録であって、特にメッセージ性は無いです。
読んでくれた方が何かしら感じるところがあって、何か役に立つ場面があれば、そんなに嬉しいことはないなと思います。
わたしは今、生きています。
なんだかんだ。
もしかしたら今後鬱くんが「やぁ」するかもしれないけど、とりあえずは上手く付き合っています。
今は幼い頃のめちゃくちゃに頑張っていた自分をぎゅーーーーっと抱きしめたいです。
だいぶ後になってわかることだけど、わたしはあなたが大好きだよ、と。
(追記:この記事を書いてからちょっと時間が経ってしまったので、現在筆者は4年生になっています。あんまり元気ではないですがなんとか生きています。)