
自分で〇〇をコントロールできれば心は朗らかという結論
よく繰り返す思考の癖があって、そこに結びついている思い出とその時に決めた思い込みを緩めるためのワークに取り組んでみた。
4つ見つかったうちの1つ、どうしても書き換えられないくらい憎しみでいっぱいの思い出があった。
起きたことは変えられない。
でも自分で理想の人物を体験してみたら、それができる自分を発見した。
辛かった体験の産物だ。
もしかしたらかつての自分のような思いをしている人には寄り添えるかもしれないし、それができたら救われる。
もっと欲を言えばそんな自分を見て「そんなことがあったの?信じられない!どうしたらそんな風になれるんですか?」と聞かれるくらい成長できたら最高なんだけどな。
そして実践心理学のワークでネガティブにしかとらえられなかった出来事のポジティブなとらえ方を探してみたことで、どう頑張ってもポジティブにはならない出来事もあるとわかった。
今の時点では。
しかもそこに費やした時間は2時間くらい。
私は部屋でひたすらワークをしていた。
書き換えられなかった思い出の中で本当は言いたかった気持ちを吐き出した。
必ずしもポジティブな書き換えばかりではなく、相容れない相手とは距離を取ればいいという結論に達した。
さらにそれがよいのか悪いのかはわからないが、自分の人生を朗らかにしたかったら嫌な気分になるきっかけから離れ、考えるのをやめ、いい気分になれることを思い出したり行ったり、そういう場に行くという選択をし続けていれば、悶々とした気分を引きづって人から誤解されたり、さらなる災難に遭いやすい状態からは抜けやすくなると思った。
だからいつも何がきっかけで気分が落ち込みやすいのか、腹を立てやすいのかを知っておくのは大事だし、逆に何があるといい気分になりやすいのかも知っておくことは自分で自分の機嫌を取れる大人になるために必要なことだと思った。
そのために私はスマホにメモしている。
腹が立っているときに寄り添ってくれる曲や動画。
穏やかな気持ちになれる曲が画像。
暖かい気持ちになれる映画など。
その時々ついネガティブな気持ちに引っ張られそうになった時、気分転換ができるツールをメモしているわけだ。
ほかの人もそうなのかはわからないけど、私はネガティブな気持ちの渦中にいると視野も狭くなるし、冷静さを欠いているから思い出すことも難しい。
だから気分転換に合う方法をいくつかメモしたり、よく使う手段があったりする。
何か難しいことをするわけではなく、生き物である以上、おいしいものを食べたり、睡眠をしっかりとるだけでも心労は体力とともに回復する。
それでも疲れてしまうとすれば脳みその使い過ぎだ。
つまり考え事や悩みにどっぷりつかりやすいってこと。
その思考を止めてあげるのによいのが瞑想ともいわれているけど、私の場合は瞑想をすると空想が始まってしまうから、五感に意識を向けるようにしている。
嫌なことがあったものの原因が思い当たらないのに「なぜ???」と原因を自分の中に探し始めるとドツボにはまる。
たいてい身に覚えがない時は相手の誤解や嫉妬であることが多い。
ただそれで攻撃されるとたまったものじゃないし、傷ついたり腹が立って気分を乱されてしまうから困ったものだ。
いちいち干渉してこなければいいだけなのに、いちいち嫌がらせをしたい人は自分のしていることの醜さを鏡で見てみるといいと思う。
ってまた不快な思い出と繋がっている人への文句になってしまった。
よほど誰にも理解されないうっぷんが溜まってるんだな。
私の内面もまだまだ消化できていない怒りや憎しみが残っている。
人のことは言えない。
何をわかってほしかったのか、言葉の奥にあるその気持ちに寄り添ってあげなくては。
人生の意味付けは生きてきた時間に味わった感情曲線が作っているのかもしれない。