その答えは・・・ズバリ「答え」!
みなさん、こんばんは。本日も浅葱日記への訪問ありがとうございます。一昨日くらいに毎日投稿なんてこと言いましたけど、早速途切れましたね(汗)実は途中まで書いていたんですが、なんか気乗りしなかったので没としました。その時のちょっとした気づきがあったので、また日を改めて。
今日は僕が物事を捉える(認知)するときに「正解か不正解か」で判断してしまうことについて。心理学を勉強したり、性格変えたいと思って調べていると「認知の歪み」ってキーワードにたどり着くことがあると思いますが、その認知の歪みの中で「全か無かの思考」がそれにあたります。
「全か無かの思考」とは、別の言い方をすると「0か100か」とかもありますよね。物事を判断するときに、両極端にしか判断できないことを言います。
例えば、【身近な人を怒らせてしまったようだ。ものすごい怒りという感情を感じるし、自分のことを避けているようだ】という状況があったとすると、この怒っている状態は一過性の感情表現かもしれないのに、【もう二度と口をきいてくれないだろう。嫌われてしまったのだからもう関係も終わりだな】となり、【あの時の自分の対応が間違っていたからいけないんだ】と考えてしまうことだと思います。(例えが悪いかもですが・・・)
これ、実際に僕が過去に思ってしまって関係を断ち切ってしまったことがあるのを思い出して書いてみました。書き出してみて思いますが、ほんと極端だしめんどくさい奴ですよね、浅葱(汗)
僕はこの状態を認知の歪みということを知り、捉え方の問題なんだなってことは理解できるになりましたが、故意にしているわけではなく気付いたらそういう思考に支配されてしまう。気づいた時には闇落ちなんて状態なのでどうしたものかと思っていました。
きっとトレーニングなりすれば改善されるんでしょうけど、これは僕のある意味、癖というかポリシーというか、自分自身で実験してそれでもお手上げならしかるべき対応をしようって考えるタイプなので、この「全か無かの思考」を自分なりに腑に落として見せようぞ!と思って思いついたのが・・・
「正解・不正解、全部ひっくるめて 答え と思うようにする」
です。さっきの例えだとこうなるのかな。【怒らせてしまった相手に対して自分はどうするか。その先に思ったことが答えである】。怒らせてしまった相手を依り代に自分を責めることになるのでとても不健全ですよね。こうして少し客観性を持たせることで、相手の状態を正確に把握し、あるかないか分からない正解や不正解に囚われ自分を見失うこともなくなるんじゃないかと思います。
「全か無かの思考」で一番デメリットだと思うのが、「自分自身に厳しくなり、それを相手にも押し付けようとしてしまう」点でないかと思います。自分に厳しくする行為は禁止令が多くなることと同じなので、相手が振舞っている行為や言動について敏感になり、更に、自分は我慢して周りに合わせているのに何て奴だ!ってなり、そして怒りを爆発させてしまう・・・
過去の記事にも書きましたが、僕が突然怒りを爆発させてしまい人間関係を壊してしまうことを何とかしたいと思うようになったときに導いた結論です。そのときの記事、文章がおかしいかもしれませんがよかったら読んでみてくださいね。
https://note.com/movestriker/n/n1e89b4cfc128
僕の場合、相手ありきで自分の存在意義を成立させていたので、相手がOKなら正解、NGなら不正解となりやすかったのですが、たとえどんなにネガティブな感情を僕が抱いても、「このどうしよもないネガティブな自分、それが今の自分の答えなんだ」と思えるようになり、突発的に怒りの感情を爆発させることはほぼなくなったように思います。
もともとの僕(特に仕事のとき)は、答えが一つしかない状況、たとえば経理などはきっちり答えを出す業務ですが、そういうのは退屈だと思っちゃいます。そんな僕も「全か無かの思考」に囚われてしまい、本来の自分を遥かかなたに遠ざけてしまっていたようです。