洋服も思考オタクから見ると自己を深めるツールになってしまう
私服で働く、を叶えられる職場で働いている。
そもそもプライベートと戦闘(もといお仕事)はそれぞれ着るものを変えたい派。
ONとOFFをものすごくはっきり切り分けたい人なので
逆をいうと一日中パジャマ、で生活ができない。居心地が悪い。
今年に入っていろいろご縁があり
「私服」、かつ周りの人たちがめちゃくちゃおしゃれ、
な職場環境に急に放り込まれることになった。
結論、めちゃくちゃ楽しい。
半面、洋服を「着こなす」には
ひたすら練習しかないのだなということも大きな発見であった。
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かわいいと思って手に取った服を着て
鏡に写った自分の「服に着られている感」あふれる姿を見る。
同じ背格好の人で、同じ服を「着こなしている」人を凝視する。
どこからこの、「こなれた感」がでるのか?
折りたたむにしても
組み合わせにしても
センスがないのなら、何度も何度も着て、自分の一番いい場所を見つける。
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洋服も自己表現の一つなのだ。
今、自分はどんな服が着たいのか?
今、どんなものが巷に出ているのか?
どの服をきたら自分が幸せになるのか?
どの服が自分をキラキラさせてくれるのか?
それを考えるのが楽しい。
こんなに洋服でテンションが変わる自分は知らなかった。
この業界でいいな、と思うのが
流行りでもどんな着こなしでもいいじゃないと
全てのことを自分を知るための道に結び付けるのは
思考オタクの悪い癖なのかもしれないけれど
洋服から自分のことを見つめてみるのも
悪くないなあと思う今日この頃。
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