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mou_ciel
2018年6月29日 16:09
「死ぬとはどういうことか」と考えるのはすごく面白い。この問いに答えはない。答えを認識する主体が存在しないからだ。答えがない問いに立ち向かうのは時間の無駄だと嘆かれるだろうか。しかし人の営みなど無駄ばかりである。無駄じゃないことなどどれほどあるだろうか。南直哉さんの本にこのような記述がある。「友よ。そのとき君は大人にたずねただろう。死ぬとはどういうことか。死とは何か。すると大人は答え
2018年6月28日 00:19
「今日の暮らしを写す」というコンセプトのもと、動画作成をはじめました。初めて作成した動画なので、至らぬ点も多々あるけれど、これから、京都のいろんな地域を取り上げていければいいなと思っています!
2018年6月28日 00:12
日常は度重なる、度重なる中でしか、日常は日常たりえない。重ならなければ、特殊である。日常は、元来繰り返しをはらんでいる。特殊は度重なる、度重なって、日常へと終着する。日常が日常でなくなれば、日常は去っていくのだ。気づかぬうちにやってきて、気づかぬうちに去っていく。私は、日常のこの壊れやすさを、愛してやまない。2018.6.28 冷めめきった掘りごたつの中でそう確信し