開高健が僕に伝えたものに、本当のことを追いかける。
文学が駆り立てる物は何か。今年初めのイベントで開高健が、純文学からのスランプでノンフィクションを書くようになり、それでも純文学にまた戻って「輝ける闇」を書いた事を知った。
僕は、開高健が純文学を書けなかったという時期のルポルタージュ、「ずばり東京」を読みつつ、その語り口や文体に引き込まれる事を是とし、心地よく沈んでいた。
だが、こんなに面白い文章を描けるのに、それでも本人が描きたかった文学。純文学とは何だったのか。どうしても、知りたくなり「輝ける闇」を読まずに居られなくなった。
解説を書いている秋山駿が、文学の話を三島由紀夫と話した時に、三島由紀夫が「輝ける闇」について、「すべてを想像力で書いたのなら偉いが、現地に行って取材してから書くのでは、たいしたことではない」という意味のことを言ったとある。
僕は、この話の出る前後のやり取りなども全く知らないが、歴史に残るのは、常々削られた言葉の事実だと思っている。批判や、否定などは当たり前のようにどの時代だって行われるが、僕はこう感じた。
三島由紀夫に、これを言わせたのが開高健。
たいしたことではない。これは、本人だってそう言われる覚悟で書いたと思う。だが、それを越える苦しみや、純文学への追究を書けなくても追いかけた開高健の生き方そのものだと思う。
戦争を思春期で体験した開高健が、それでもまたベトナム戦争で記者として取材して、それを小説にした。
生と死が混在する世界を、そのままの葛藤で描いている。何も出来ない事を何も出来ないと描いている。最初から最後まで、横に命がぶら下がっているような緊張感の文章は、戦争を正面から描いたのか、表現したのかは、僕にはわからない。
だけど、これは現地に行って取材したからだ。本当に何が起きて、現地が何を感じて、どう生きていたかを知る術は遺された物でしか判断出来ない。
僕は、戦争の事は避けたい人間だ。戦後の教育を受けて、本当にそう作られたのか知らねばならない。
自分の娯楽に立ち寄り、自己の内面を知りたいという、極めて自己中心的に生きている。
そんなことはダメだと自分でもしっかり理解している。現在も日本でも世界でも色々起きているのに、ただの傍観者だ。だけど、どうしても自己の問題としてその問題に向き合うのを、その恐怖心から避けているように感じる。
半世紀以上経過した作品を読み、今戦争を考える。戦争が作家にもたらした物を考えれば考えるほど、それを無視して通ってはいけないと考えるように現在は心が変化してきている。
現地に行っても、躍動する言葉には触れれるが、それでも何も出来ない自分が存在していると言っている。
自身の戦争体験の14歳時の日本での記憶では、
実態も理解出来ないけど、決心している心がありそれを当然と思わせる「何か」に支配されている。
処刑される少年ゲリラ兵を傍観しながら、1人目はその恐怖から、震えや当惑を覚えたのに、2人目はそれを普通と感じるまで麻痺してしまう。
それでも何かを感じるために行動する。
秋山駿も解説で、この文章を取り上げていたが刺さる。何も出来ない、何もしない。何と戦っているか誰もわからない。これが真実だとしたら、漠然と自分が理解している事と現在の本質は何も変化していない。
開高健の自己の表現の仕方が、僕に伝わる。
僕は前述した通り、歴史に残るのは、常々削られた言葉の事実だと思っている。僕がベトナム戦争について知っていた事は、ベトナム戦争があった。と言う、アホみたいな薄っぺらな実態だったと知る。
文学が駆り立てる物は何か。ベトナム戦争があった。こんな言葉だけで終わらせてならない戦いなのかも知れない。少なくとも私は、考えない自分を放棄していかねばならない。それが、遺してくれている作品に対する答えだ。僕は、開高健の遺した言葉達にまだまだ触れてきいたい。
なんのはなしですか
本当に大事な事は、誰も教えてくれない。本当の事は、静かに蓋をされるのが歴史だ。知らない事が多すぎる事を沈思して進む。
やっぱりカッコいいな。開高健。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。