今日言えなかったことを書く人(もとし)

今日言えなかったことを書く人(もとし)

最近の記事

  • 固定された記事

みんなが先生

こんにちは。 車いすで声楽をしています。もとしです。  第一回目の今日は、『みんなが先生』に焦点を当てて一緒に考えていきましょう。結論から申し上げますと、現在私は声楽レッスンを受けていません。 私も迷っているんですよ。  音楽大学生の頃は、1人の先生からマンツーマンで週一回レッスンを受けていました。もちろん学費に入っていました。  同じ先生から指導を受けること。これ自体は素晴らしいことですよね。ある程度回数を受けていくとその先生の言わんとしてることが汲み取れるようになってき

    • わたしはやはり風邪をひく。

       今日の朝、起きたらとても寒くて少し不安になった。もしこのまま人生を閉じる(終わるというのはなんだかあまりしっくりこない気がする)として、閉じ方はこれでいいのかと。寒い外気から目を背け、ガラス一枚の隔たりのおかげでなんとか持ち堪えているようなわたしである。そして案の錠、風邪をひいている。いわゆる「終活」というのとは違うのだが、ひっそりと北欧に行って暖炉で手を擦り合わせながら、ホットチョコレートを飲み、翻訳だ執筆だをやっていたい。とぼんやりと思っている。そこでの一番の要素という

      • あなたへ

        ほんのちょっとだけ、生きるのが下手だと思っているわたしが、それでも生きているんだということを毎晩確認するエッセイみたいなブログみたいな、日記みたいな場所にしたいなぁって思う。学生時代はなかなか言いたいことが言えなくて、言葉をのみこんでばかりだったけれど、きっとわたしだけじゃないと思うから。 抱えているものは正直今は何もなくて、ただただ表現になりきらなかったものが、宙ぶらりんのままなような気がしてて。 大丈夫じゃないのに笑ってたり、泣きたいのに我慢してたり。 これまでいろんな

        • 言葉は借り物。光の当てられた部分ではなくなぜ当たらなかったのかを考える。「あ」いしてる。かもしれないし「あ」っち行ってかもしれない。同じあでも反対の意味になる。こういうことが「人と違うモノの見方」なら喜んで違って居たい。要はって言わないよ、去年も今年も。 「あ」けましておめでとう

          戯れ(たわむれってなぁに?)

          「宇宙人と会ったつもりで人さまと接しなさい。」とわたしが尊敬する、もうひとりの私が言った。 まな板の角で指を切って「やっちまった、痛てぇ!」と言わんばかりの表情でわんわん泣いていた。相場は紙の切れ端だろ!と思ったが、この間のお言葉があるせいでなんとなくツッコミづらかった。 「街中のゴミを拾いなさい。」と言われた日、貴方の小ボケを全部拾った。秋刀魚の小骨を取り除くように。 全部まとめて飲み込むこともできたが、あの潤んだ瞳のせいでできなかった。 言葉の頭にシー、を付ける謎の

          むっ、野暮

          打ちのめされています。ひと掬いいただきたいのだけれど、きっとこれはあなたの世界のものだから。私はせめてドーナツぐらいの穴から見るだけに留めます。そうしないと電流が身体中を巡ってしまうから。気泡だけでも分けて欲しいのだけれど、トゲトゲしていて危なそうだわ。 #散文

          【売れないシンドローム】

          また売れないでおこう。四月に感じた胸の詰まりは今では解毒剤と化している。 売れなければ積極的に誰にも気付かれていない未完の原石を装えるから。甘い甘いと昨日と大して味の変わらない蜜を吸い続ける。自分の甘さには今日も見て見ぬフリをする。あゝ売れたい。 #エッセイ

          またな、サーロイン

          鬱屈としたいサーロインステーキだって 身体に入りゃ分解されなきゃならんのよ 張りツヤを保ち続けて最高級なんて 健気な奴だよな なんて思ってしまうわたしでも 目の前にありゃいただくんだから あぁ今日もちゃんと人間してるなって 少し申し訳ない せめて小雨が降ってればいいのに、快晴 #エッセイ

          まとまりのない文章のまとまり。

          基本私は恥ずかしがり屋だ。外出する時も本当は自分ではない誰かを演じていないと立っていられない。でも、気が付いた。当時の私は恥ずかしがりながら生きることも案外楽しいのではないかと思い始めている。という今も恥ずかしい。でも私は私が好きだ。まぁいいじゃないか。 どうも、90歳児の私です。 6歳の頃、39歳の自分と出会い生涯を終えると告られた。きっと遠い未来の事だからとヘラヘラしていたね。今いうね。6歳の君のヘラヘラしながら考えている事をずっと考えるから安心して。興味が無い事はこ

          まとまりのない文章のまとまり。

          【デジャヴ】

          朝起きたら ソーセージの匂いがして 窓を開けようとしたら 冬の匂いがした そういえばみかん まだ食べてないや そうだファストフードを食べよう この気持ちdéjà vuだね おはよう いつもありがとう 未来のぼくへ 2004年冬より 12/11/2022 執筆

          真実なんてない

          チューリッヒが咲き誇る庭に フランクフルトドッグを持って行く さくらんぼ見をするエガリア人が 「平等」と書かれたTシャツを着ている 急に綿飴が灰色に変わって アルカリ性の雨が降った 大気中で飴に変わった 大坂のおばちゃんの懐が幾分か潤った 「あんた持ってき〜!」の大合唱 真実なんてない #詩

          思うことそのままに

          気取らない生き方がしたい。 愛おしく思える生き方がしたい。 S極とN極は違うけれどくっ付きあう。 そんな生き方がしたい。 人は使う言葉で生き 故人は遺した言葉で生きる。 人は聞いた言葉を使う。 他人は他人の正しさで生きる。 わたしは正しかろうが間違っていようが どちらでも良い。 素直になりたい。 見栄を張りたくない。 笑っていたい。 笑って欲しい。

          『こんばんは、今日もお疲れ様です。』

          『こんばんは、今日もお疲れ様です。』noteの本文を打とうとしたら、この一文が出てきた。たまにはこんな一文をきっかけに書くのも悪くない。  祝日の夕方にせっせと指を動かすことを10年前の自分は予想していただろうか。休日返上で出社して、定時で退勤。その足でいそいそと居酒屋で酒をひっかける。概ねそんなところだろうか。ただ現実は違っている。指を動かしている。 なんだかとても地味な感じがする。下書きなんてない。ただ綴っているだけだ。不思議なもので、打ち続けている時には、他の情報とい

          『こんばんは、今日もお疲れ様です。』

          3

          どんな事でも3で見直そう。3日、3週間、3ヶ月、3年。それ以上は区切りが見えなくなる。今年もあと3ヶ月。何かを始めるのに遅くはない。

          作家業、きみに決めた!

           午前6時39分、わたしは雨に歓迎された。  マンションを出てすぐの屋根のない裏道に出た途端、ザーザーというオノマトペ界の大谷翔平に祝福されたような気がした。季節ハズレの大雨か?いや、今は2023年の皐月である。しかも下旬、「6月6日に雨ザーザー降って来て🎵」とか「雨雨降れ降れ母さんが🎵」などと言った歌が真っ先に頭に浮かぶのだから、日本や日本人というのは雨が多いし、慣れているのだろうと思う。何より、好きなんだよなきっと。その割になんでこんなにみんな傘差すの?答えは簡単、ベタ

          1年と1か月と15日

          今思っている事を、そのまま書こう。実はこのnote、登録したはいいものの使い方に迷い、そうしているうちに1年と1カ月と15日経ってしまった。そう始めたのが昨年の元旦だから、ちょうど1年と1か月と15日なのである。その間、色々な事を考えては頭の中の黒板消しで消し、また考えまた消しを繰り返した。それでもいい使い方が判らず、今に至る。お気づきの読者もいるだろうが、私の頭の中には黒板がある。無論黒板消しもある。パッと浮かんだものを書き込んでみる。書いたあとは大体、「私は世紀の天才だ!