飢饉、やってみた <前編>
こうの史代さんの名作「この世界の片隅に」の中に、「楠公飯」と言うのが登場するのをご存じだろうか?
戦時中の食糧難の折り、少しでも米を増量して満腹感を得るための知恵らしいのだが、これを実際にやってみた方の記事を、先日見つけてしまった。
いつかやってみようと思っていたのに、先を越されてしまった感で一瞬、頭が真っ白になった。(しかも、面白いのがまた悔しい)
しかし、楠公飯だけが、飢えを救うわけではない。
江戸時代、たびたび飢饉に苦しめられてきた東北地方、とくに米沢藩では、藩の知識を結集して、領民に救荒食品の知恵を授けた。
「かてもの」と題されたその書物には、飢饉に備えて米を節約するためのレシピというか、もっとありていに言えば「普段食べてないけれど、こうすれば食べられるもの」がたくさん掲載されている。
基本的に「かてもの」とは、白米だけたくさん食べないように、主食を増量する工夫である。
煮たような言葉に「かてめし」というのがあり、この解説によれば、キノコの炊き込みご飯や、栗ご飯なども、かてめしに分類されるらしい。
知らなかった。
炊き込みご飯なんて、たまに食べる季節のごちそうだとばかり思っていたのに、救荒食だったのか。
話を、書物「かてもの」に戻す。
「かてもの」は、今でも全文読める。
概要はこんな感じ。
原本は、国立国会図書館のデジタルコレクションで読める。
このままでは何が書いてあるのかわからない私のような人のために、米沢図書館が現代仮名遣いにしてくれたPDFもある。
これがめっぽう面白い。
例えばこんなの。(意訳は、間違っている可能性がめちゃくちゃ高いので、間違いを見つけた人はおしえてくださるとありがたいです)
シャゼンソウって、そんな毒のある食べ物なのか、どんな植物なのだろうと思って調べたら、オオバコのことらしかった。
道端に生えてる、あれだ。
シャゼンソウという名前で、和漢の生薬として【咳止め、下痢止め、利尿、止血、強壮】に用いられている。
なるほど、別に病気でもないのに下痢止めを常食していたら、そりゃ、便通に異常もきたすだろう。
「かてもの」を執筆した人たちは、実際に自分たちの体でひとつひとつ実験し、その結果を領民に伝えようとしたのだということがよくわかる。
偉い人も大変だ。
「どほな」「どろぶ」など、いったいどんな植物なのか、想像もできないものが掲載されているかと思えば、とちの実を使った「とち餅」の作り方なども載っている。
あとたぶん、これはドングリのことだと思うのだが、こんな記載もあった。
なるほど、飢饉の年はどんぐりを、山の動物たちと奪い合って食べていたに違いない。
ドングリが豊作の時には、拾ってきて保存用に確保しておくよう、その方法も載っている。
基本的に、ドングリは「あく抜きすること」を前提で書かれている。
ところが、ドングリの中には、あく抜きせずに生でも食べられる種類のものがあり、実際、私の住む敦賀には、神社仏閣に必ずそのドングリが生る木が生えている。
飢饉に備えてわざわざ育てていたものらしい。
江戸時代の寺社というのは、村落の中心的役割を持つ場所だったに違いない。
今でいう、災害時の避難所と、心のケアとを行う場所であった。
だから、だいたいどこの土地でも、お寺や神社は、村落より一段高いところにあり、水害から守られていたし、社殿も広くて、たくさんの人を収容できる。
そんな場所なので、飢饉のときに役に立ちそうな植物も植えられていたのは、納得できる。
私は10月の終わりに、その「生でも食べられるドングリ」を拾いに、市の指定文化財であるお寺へと向かったのだった。
(中編へ続く)
**連続投稿272日目**