私の原家族も「ノー」が言えない人たちだったんだ

ついさっきまで、夢を見ていた。

夢の中で私は高校生で、なぜか終電が無くなったという男友達を、実家の私の部屋に泊めている。
二人は狭いベッドに、背中をくっつけて眠っている。
寝相がよろしくない友人は、私の布団も剥ぎ取っていくので寒い。
私はちっとも眠れない。

それでも私は、眠っている友人に気を遣って、寝返りを打てずにいる。
「狭いなあ。今、寝返り打ったら、起こしちゃうかなぁ」
悶々としている間に
「あ、そうだ! シュラフとコットがあるじゃん。あっちで寝れば、狭くないじゃん」
と思いつく。
そこで、はたと気づくのである。
「あれ? わたし、高校生なんだよね? あの頃の私は、シュラフなんて持ってたっけ? いや、持ってないよな。てことは、今は本当は令和で、後ろには誰もいないんだ!」
そこで、寝返りを打ってみると、さっきまでそこに感じていたはずの背中も何もかも消え去っていた。
うわあ、快適!
と思った瞬間に目が覚めた。

夢で良かった、と心から思った。
快適な睡眠は何より大事である。
それは、昔も今も変わってない。

狭くて嫌なら、そもそも泊めなければいいだけなのに、その「いやだ」が言えなかったんだな、と夢を反芻する。
仮に高校時代、本当にそんなことがあったなら、友人の家に電話して、親御さんに車で迎えにきてもらうとか、やりようは色々あったはずだ。
なのに、私は夢の中で「泊めて」と言われて当たり前に「いいよ」と答えていた。
頼まれたことは、それがなんであれ断れなかったのだ。
自分なんぞに拒否権があるはずがない、と思っていた。

おおお、他にも思い出してきたぞ。

夢の中の友人とは別の男友達が、実際に高一の期末テスト前に、電話をしてきて
「テスト範囲がわからんから、今からそっち行くからな」
と、言ってきたことがあった。
そこから彼は、本当に、片道1時間かけて、自転車で、来たこともない私の家にやってきた。
夜の8時頃である。

私は母に
「なんか、友達が今から来るって」
と伝えたが、母は
「ご飯食べてくるかな?」
と頓珍漢な質問を返してきた。
夜中に高校生の娘のところに突然やってくる男友達に対して
「こんな遅い時間に非常識だ。明日にしてもらえ」
と言うわけでもなく、夕飯の心配をしている。
この人も「ノー」が言えない人なのであった。

やってきた友人は、テスト範囲を聞き、私のヤマを聞き、それでも長々と雑談をして帰らない。
10時を過ぎた頃、母が部屋にやってきて
「どうする? もう遅いけど、泊まっていく?」
と聞いた。
彼はそれをきっかけに帰って行ったが、後日
「お前の親、変わってるな」
と言った。
当時の私にしてみれば、「変わってるのはお前のほうだろ」だったのだけれど、今思えば、確かにうちの親の境界線はどろんどろんに溶けていて、変だったのだと思う。

なるほどな。
こうして、要らぬ部分だけを原家族から受け継いていくのだなぁと、今なら冷静にわかるのだが、当時は、全くわからなかった。
それが当たり前だったから。

その友人が当時私に好意を持っていたことも、私が結婚する前に言われて初めて知った。
私にとっては、8年越しに知る衝撃の事実だったが、先方にとっては
「あれだけアピールしてたのに、なんで気づかないんだ、こいつは? バカなのか?」
と思っていたらしい。
これも
「私を好きになる人なんているわけないし」
と思っていたので、さっぱり気づかなかったのである。

うーむ。
自分が自分をどう見ているか、という前提って、ものすごく大事だ。
こんな私が育てた、私の子供たちは、ちゃんと自分を好きでいるのだろうか?
ちゃんと「ノー」が言える人になっているのだろうか?
気づくのがいつも遅すぎる。

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はんだあゆみ
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