アドベントカレンダー12月6日 お題「ハマのメリーさん・敦賀」BY michiyoさん
恥ずかしながら、お題をいただくまで「ハマのメリーさん」を知らなかった。
故・中島らも氏の短編小説「白いメリーさん」は知っていたのだが、その都市伝説のモデルが、実在の人物だとは思っていなかったのだ。
ハマのメリーさんとは、横浜に実在した女性の通り名である。
何かを成し遂げたわけでもなく、際立った才能にあふれていたわけでもなく、ただ、全身真っ白で異彩を放っていた老娼婦というだけで、Wikipediaにも名を遺す人。
晩年はホームレスとなり雑居ビルの廊下で寝泊まりしていたという。
横浜の伊勢佐木町界隈で暮らす人たちは、ほぼ例外なくメリーさんを知っているのに、生前の彼女と深く交流した人はおらず、誰も彼女のプライベートを知らない。
娼婦をしていたというのだから、他人とコミュニケーションをとることはできたはずなのに、ピロートークで半生を語ることもしなかったのだろうか。
世の中には「知られたい・認められたい」という、外部からの承認欲求で生きている人と、他人の目を一切気にすることなく、自分の内的欲求だけで生きている人、それに、自分の欲求がわからない人の三種類がいる。
メリーさんは、人の目を引く、全身真っ白な出で立ちでありながら、目立ちたい、知られたいとは、かけらも思っていなかったに違いない。
知ってほしいなら、捏造や脚色を盛り込んだ派手な半生を語って、見た目以外でも有名になろうとしたはずだ。
ところが、メリーさんは、良くしてくれた人にも、自分のことは一切語らなかったというのだ。
とすると、あのファッションは、たぶん、目立つ戦略のためというより、メリーさん頭の中で、ファッションのアップデートができなかったから、というのが正しそうな気がする。
おそらく、純白のゴシックロリータファッションが似合っていた若い頃、その出で立ちを褒められることが多かったのだろう。
それが、そのまま「かわいいとは、こういうこと」と定着してしまい、似合うかどうかより、白を守り通すことが、ルール化してしまったのではないか。
私は、メリーさんに何らかの障害があって、自分の欲求がわからず、決まったルーティーンを変えられなかったのではないかと疑っている。
そんなメリーさんが、もしも敦賀にいたら、と考えてみる。
そもそも、敦賀には、メリーさんが勝手に入り込めて、寒さをしのげるビルがなさそうだけれど、彼女を苦境から救い出そうと躍起になる人たちは多そうだ。
福祉のまち・敦賀では、きっと彼女は早々に福祉につなげられ、年金と生活保護で、毎晩温かく眠れる場所を提供されることだろう。
土地柄なのか、倫理観がそうさせるのか、本当に、敦賀は困っている人に手厚いところなのである。
しかし、それがメリーさんにとって、幸せだとも限らない。
横浜には、異色の娼婦メリーさんを、怖がる人、気持ち悪がる人、あからさまに避ける人もいたようだが、それでも、彼女がそこを離れようとしなかったのは、おそらく、横浜には、日本三大ドヤ街の一つ「寿町」が、あったからではないかと推測する。
老、病、貧がひしめく、ドヤ街「寿町」。
メリーさんは、おそらく、自分が「天国の住人にはなれないこと」を知っていた。
純白の天使のような出で立ちをしながら、その日暮らしで帰る家すら持たず、一生この地獄から抜け出せない人間だと思っていたのだろう。
同じ地獄を生きるなら、仲間が多い土地で暮らす方がよい。
地獄を生きる連帯感が、彼女を横浜につなぎとめていたのではないかと想像してしまう。
孤高の存在であったメリーさんは、実は、心の底では横浜に、ある種のシンパシーを感じていたのではないだろうか。
メリーさんが亡くなって、すでに17年。
いまだに、ちょろっと調べただけの私が、こんなに妄想を掻き立てられてしまうのだ。
そりゃ、本や映画やWikipediaにも残るはずだよなあ。
**連続投稿308日目**