野良犬

ナンセンスだ

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最近の記事

以前の記事への補足

以前上げた記事へのコメントに、ちょっと適当に返答してしまったままでいたので、改めて返答したいと思う。 上記の言葉は、快苦の非対称性の説明ではある。これは、存在と非存在とを同一線上で対比したものであるうえに、反出生主義それ自体は「人間を新たに生み出すべきではない」と結論しているものなので、反出生主義の立ち位置として『「生物の至上目的が一個体としての苦痛(不充足)の回避」ではない』とするのは少々無理筋だとわたしは考える。 わたし個人としては、快苦の非対称性そのものに異議を唱える

    • 反出生主義と賢さについての私見

      反出生主義は誰も新たな人間を生み出すべきではないという主義である。 人生は、幾重もの苦痛に彩られており、その多くは避けがたい。そして、人生がそもそも始まっていなければ、得がたく価値のある幸福でさえ、必要ではない。 そうしてみると、誕生とは、誕生する当人にとって深刻な害悪なのではないか?と考えられる。そこから上記の主義が持ち上がってくるのである。 知性をもつ者ならば誰もがこの結論に行き着くはずであるとか、この主義が正しく理解されれば必ず賛同を得られるはずだとか、これに賛意を

      • なぜ反出生主義は道徳的に正しいと言われるのか

        反出生主義とは、快苦の非対称性や反失望主義的な見方から、「存在してしまうことは常に深刻な害悪である」ということを前提とした考え方であり、そのことを前提とした場合、出生は道徳的に悪であり、「人は新たな人間を生み出すべきではないという道徳的な義務を負う」と結論されるのである。 なぜそのようになるのかを少しでも解説できたなら、本記事の目的は達成されると思う。 正しさとは私見となってしまうが、以下を参照していただきたい。 言ってしまえば、正しさとは、目的に対する利便性を表す言葉にす

        • 面白い反出生主義

          反出生主義とは、ざっくり言ってしまうと「新たな人生を始めることは(当人にとって)常に深刻な害悪であり、人間は、道徳的な義務として、新たな人間を生み出すべきではない」というものである。詳しくはこちらなどを参照していただきたい。 さて、これがなぜ面白いのか?それをここで語らせていただきたいと思う。 道徳とはまず、反出生主義は倫理、道徳上の問題であり、そこは揺るがせられないのだが、そもそも道徳とは、人間の利益、便宜のためのものなのだ。 盗みや詐欺が不道徳とされるのが例であろう。あ

        以前の記事への補足

          反出生主義者は理性的?

          反出生主義は、しばしば理性的な主義であるとか、理性があれば必ずこの主義に行き着くなどと、反出生主義者を自認する人たちに言われがちであるが、果たしてそうであろうか? わたし自身は反出生主義に賛同しているが、理性によって賛同しているという意識はまったくない。それに、反出生主義者を自称する人たち(そのごく一部ではあるだろうが)の見せる過熱的な振る舞いが理性的な態度であるとは到底思えない。 結論から言ってしまえば、反出生主義者は特に賢明でも暗愚でもなく、理性的か感情的かと言うならばむ

          反出生主義者は理性的?

          反出生主義は子供を欲しない人にとって有益な主義か?

          反出生主義を掲げる人たちのなかには、子供を持たないことの利点(あるいは子供を持つことの欠点)を強調し、自らの主義に訴求力を持たせようとする人がいる。そこで、反出生主義は、ただ単に自分が子供を欲していないだけの人にとって有益な主義となりえるのか?ということを考えていこう。結論から言ってしまうと、(自分自身のために)自分が子供を欲していないだけなら、反出生主義という主義は百害あって一利なし、である。なお、ここでは、社会の成員などなんらかの役割を担わせるために子供(新たな人格)を生

          反出生主義は子供を欲しない人にとって有益な主義か?

          社会に不要な人間はいない

          なぜならば、社会に特別必要な人間はいないから。 したがって、特別に不要な人間もいないのである。 社会は現に存在するものだけで形作られているたとえば、自動車は現代社会に不可欠なものだが、自動車のない時代にも社会は存在していた。つまり、現代社会に不可欠だと思われているものは、必ずしも社会に不可欠であることを意味しないのである。 馬と自動車の競争現代において、移動手段としての馬は自動車に駆逐されているが(簡単のためにひとまず比較対象を馬と自動車に絞る)、自動車のない時代には馬が

          社会に不要な人間はいない

          食品は食べ物ではなく商品

          です。 この記事は『あまくない砂糖の話』というドキュメンタリー映画の感想です。 味や値段をウリにしたものや、健康効果を謳ったものなど、世界は様々な食品に溢れていますが、そのどれもが、食べ物であるよりも前にまず商品なのだと改めて認識しました。たとえば、低カロリーを謳った食品の中であっても、脂肪分を減らした分の味や口当たりを良くするために、大量の砂糖が入っているものもあり、食品というのはまず味覚などに訴えて買わせることが第一なのだということは理解しておいた方がいいと思いました。

          食品は食べ物ではなく商品

          反出生主義の実現不可能性についての補足

          以前の記事で、反出生主義が共同体に受容されることは無いと書きましたが、この記事はその補足です。 反出生主義が実現不可能なのは国家が存在しているから より正確には、人間の共同体の最大の単位が国家であるから。まずは、なぜ国家が存在していると不可能であるのかを説明する。 一 人間が死すべきものである以上、新たな人間が生み出されなくなった共同体は衰退し消滅する。 二 よって、出生を厭う共同体は、出生を厭わない共同体に征服される。 非常に簡単で考えるまでもなく自明なことだが、たと

          反出生主義の実現不可能性についての補足

          人生はすべて運(列子など紹介)

          人生は、実のところ、すべて運によって決まるのではないだろうか?いくつかの逸話や考え方を紹介したいと思う。 違うことをしたのに同じ結果(むしろより悪い)に……列子   説符第八   第十九章   牛欠という人は、山西上党の地の大学者であった。彼は平野の方の邯鄲の地へと出かけていって、どろぼうにぐう水の砂原で出会った。そして着物も乗り物も全部奪われてしまって、とぼとぼと歩いて立ち去った。その姿を見ると、喜ばしそうで、憂え惜しむ様子もなかった。どろぼうどもが追っかけてその理由を尋

          人生はすべて運(列子など紹介)

          人格主義は人間を幸せにするか?

          優れた結果は優れた人格から生み出されるという考え方 成功や華々しい経歴などといった功績の如何を個人の能力や人格に還元することは、ただでさえ熾烈な自己責任論をさらに深めるだけで、成功者の傲慢と落伍者への侮辱を強めるだけではないだろうか。社会は本来巨大な連帯機関であり連帯と友愛を推進すべきなのに、個人の功績を当人の資質のみへ還元するような主義、思想は社会の存在意義を希薄にし、成功者と落伍者との分断と憎悪を助長する面の方が大きいのではないだろうか。人格主義的な思想が流布されること

          人格主義は人間を幸せにするか?

          本当に必要だったものは、導入したばかりでも、以前からあったかのように馴染む。

          本当に必要だったものは、導入したばかりでも、以前からあったかのように馴染む。

          人命の価値と生産性の価値

          年金や介護福祉を受けて余生を過ごすだけの老人や、社会活動の難しい障がい者、生活保護受給者、ホームレスなどは生産性がない、あるいは著しく低いので生きる価値がない。などという主張を散見するが、本当にそうなのだろうか?そもそも生産性というのはなんのためのものなのか?を改めて考える必要があるのかもしれない。では、「生産性」とは、「役に立つ」とは、「功績」と呼ばれるものとはなんであるかを見ていきたいと思う。   上古の時代では、人間は少なくて鳥獣が多かった。 そのため人間は鳥獣や虫や

          人命の価値と生産性の価値

          個人的な反出生主義

            もし私が、自分の一番内密な信念に従うとすれば、自己を顕(あら)わすのをやめ、どんな形でにせよ、外界に反応するのをやめてしまうだろう。ところで私はまだ各種の感覚を失っていない。 (E.M.シオラン   生誕の災厄) 反出生主義について一   「新たな人間は生み出されるべきではない」という反出生主義の結論は、それを語る者によって異なるときはあるものの、功利的、合理的、倫理道徳的のいずれか、あるいはすべてからみて最高度に正しいものとして語られる。   しかし、人類は数百万年に

          個人的な反出生主義

          反出生主義は博愛主義なのか?

          反出生主義とは ざっくり言ってしまえば、人間は生まれるべきではなく、 新たな人間を生み出すべきではないという主義主張である。 基本的には、「存在することは悪い」「存在しない方がよい」 という価値判断を基底としてそのように結論される。 そう判断する理由として、 「存在する限り苦痛は避けることは困難であり、 またひとたび存在してしまったものの消滅は苦痛や恐怖を伴う。」 「存在しなければ幸福を得られることはないが、 そもそも存在しなければ幸福を必要としない。」 などがある。結論す

          反出生主義は博愛主義なのか?

          冗談

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