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反出生主義の実現不可能性についての補足

以前の記事で、反出生主義が共同体に受容されることは無いと書きましたが、この記事はその補足です。

反出生主義が実現不可能なのは国家が存在しているから


より正確には、人間の共同体の最大の単位が国家であるから。まずは、なぜ国家が存在していると不可能であるのかを説明する。


人間が死すべきものである以上、新たな人間が生み出されなくなった共同体は衰退し消滅する。

よって、出生を厭う共同体は、出生を厭わない共同体に征服される。

非常に簡単で考えるまでもなく自明なことだが、たとえば、日本人がいなくなると、日本列島に他の国の人間が流入し、日本列島が(空間的、資源的に)養えるだけの人間がまた新たに殖えるだけであって、人口的には元の木阿弥である。
よって、反出生主義の実現を見据えるならば国家を越えた世界政府的な共同体が必要不可欠となる。また、すべての国家において、出生の全面的な禁止という民族、国家等の存亡に直結するものについて合意がなされ、かつどこかが裏切ることも無いとすれば、いくら名目上で複数の国家が存在していたとしても、実質的にはそれらすべてで一つの共同体を形成しているに過ぎない。

世界政府はありえない


国家はともかく政治的なものであるが、政治に固有の区別は敵味方の区別であり、国家の林立する世界とは敵味方の集団化に終始するものである。ともすれば、国家がもつ最大の機能とは、人間を自国民と他国民とに切り分けることであるとさえ言えるだろう。そして、政治を根絶できないのであれば世界政府はありえず、国家は決してなくならない。(この辺りついて詳しく知りたい方はカール・シュミットの政治的なるものの概念を参照してください)

結論


反出生主義は、実現を目指すのであれば政治思想(イデオロギー)とならざるをえないが、上に挙げた諸々の点からイデオロギーとしては最初から失敗している。


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