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人命の価値と生産性の価値

年金や介護福祉を受けて余生を過ごすだけの老人や、社会活動の難しい障がい者、生活保護受給者、ホームレスなどは生産性がない、あるいは著しく低いので生きる価値がない。などという主張を散見するが、本当にそうなのだろうか?そもそも生産性というのはなんのためのものなのか?を改めて考える必要があるのかもしれない。では、「生産性」とは、「役に立つ」とは、「功績」と呼ばれるものとはなんであるかを見ていきたいと思う。

  上古の時代では、人間は少なくて鳥獣が多かった。
そのため人間は鳥獣や虫や蛇に勝てなかった。
そこに一人の聖人があらわれて、
木を組みあわせて住居を作り、さまざまな危害を避けられるようにした。
そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、
彼のことを有巣氏(ゆうそうし)とよんだ。
また人々は、草木の実や貝類を常食としたが、
生臭くて悪臭もあり、胃腸をこわして病気になるものが多かった。
そこに一人の聖人があらわれて、
木をこすって火をおこし、その火で生ものを調理した。
そこで人々はそれを喜んで世界の王者として頂き、
彼のことを燧人氏(すいじんし)とよんだ。(後略)

韓非子   五蠹   第四十九

昔に聖人と呼ばれた人物は、住居の作り方や火を使った調理の仕方を発明し、結果的に人間を増やしたことで、その功績がたたえられ聖人とまで呼ばれるようになっているようだ。また、1918年にノーベル賞を受賞したフリッツ・ハーバーは第一次世界大戦で用いられた毒ガスの開発者であったが、毒ガスによる被害よりも食糧増産などに寄与したハーバー・ボッシュ法の功績が評価されて受賞に至ったという経緯がある。ハーバー・ボッシュ法による食糧増産によって世界の人口は飛躍的に増加したとのことである。詳しくは下記の動画を参照されたし。

このように見てみると、人類史において聖人や功績と呼ばれるもの、生産性の高いことにおいて極とでも言うべきものは、結果的に人を増やすことに繋がっている。という面が大きいように思われる。すなわち、生産性の価値とは人命が無条件に価値のあるものであってこそ確立されるものであり、人命が無条件に尊く価値のあるものだという基盤がなくなれば、生産性そのものの価値が崩壊する。ということになりはしないだろうか?言うまでもなく、生産性とは人間のため、人間が生きていくため、人間が楽しむためのものであるだろう。生産性のために人間が生きているわけではない。その原点をしっかりと見つめ直せば、生産性の有無や多寡が他者の生命の価値に直結するほどに生産性を価値あるものとして重視する限り、どのような人命であっても軽視することはできなくなるはずだ。

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