検死秘録/支倉逸人
読了日 2021/02/14
シェークスピアは有名だが舞台を見たことがないという人は大勢いるだろうし私もそのひとりなので戯曲「マクベス」がどんな内容なのかは知らない。あとでwikiで調べようと思う。
文中にはマクベスの一節を引用して、法医学者の仕事はなるたるかを説明している。
「フェア・イズ・ファール、ファール・イズ・フェア」
直訳すれば正しいことは間違い、間違いは正しい。
どういうことかというと、マクベスが出会った魔女は彼に予言する。
「女から生まれた男はみな、誰もお前を殺せない」
女から生まれない男なんて僭越ながらフランケンシュタイン博士が創り出したヴィクターさんしか思いつかないのだけれども、フランケンシュタインはシェークスピアよりだいぶ後なのでここでは議論できない。
とはいえ戯曲のラスト部分にて、マクダフという男がマクベスを倒す。最初はマクベスの誤字かと思ったが、よく読んだら違っていた。紛らわしい。
「俺は女から生まれていない。母親の腹を切り開いて出された男だ」
哲学という建前のこじつけのような気もしないが、当代随一の戯曲家シェークスピア先生がそう書いたのならこれがすばらしいのだろう。
それはいいとして、著者はこれを法医学に当てはめる。
大部分の死因判定は、誰が見ても納得できるものの場合ばかりだが、中には微妙な問題をはらんでいるものもある。
まわりの誰もが見ても「正しい!」という意見が、法医学者の鑑定によって「間違い」でした、ということが往々にあるのだそうだ。
マクダフの場合、切り開いて腹から取り出されたとは現代でいうところの帝王切開に近いのだろうか。だとすれば帝王切開で生まれてきた子どもは母親から生まれていない子どもとなるのか、とまさかシェークスピア先生に文句をつけるわけにはいかないので黙っておくことにするが、母親から生まれていないわけではなくないか? じゃあお前はどこから生まれたつもりでいるのかマクダフに問いただしてみたい。
とにかくしかし、法医学者の著者を何冊か読んでみると、やはり死因が疑わしい事例は少なくない。
今回はどういう事件が取りただされるのか、と思いきや、第一章から著者の意見というか思い出は突き抜けていた。
悪臭とのエピソードがキレッキレだった。
観察医務院で最初に行政解剖することになった遺体の話である。
著者は「私も解剖をやるぞー!」と腕まくりは出来なかっただろうし、人の遺体を前に張り切るわけにもいかなかっただろうが、意気込んでは行ったらしい。
すると、著者の分担とされた遺体は腐敗して膨れ上がった遺体だったという。
この当時の著者は法医学教授に内定していたので、解剖経験を増やそうということで観察医務院の非常勤監察医となったらしい。
いうほど新人ではなかったはずだが、かと言って初日に腐敗した遺体を分けられるとは、なかなか強烈なエピソードで大変失礼ながら笑ってしまった。本当に申し訳ない。
まあ実際のところ著者も「うわー」と思ったようだし、見学に来ていた医大生は逃亡したという。
さらには医務院の地下にあった解剖室から、地上四階にある部屋にまで臭いが到達したというから想像が追いつかない。
数々の法医学者の本を読んできて、とにかく臭いがキツイとは表記されていたが、この著者のエピソードでどんなものかうっすらながらようやく理解した。
これは、著者も悲しそうにしているが、家で小さく縮こまってもらう他ない。
さて、今日でも月に一度はニュース報道が義務づけられているのかなマスコミは? と思うほど、とにかく虐待やら育児放棄のニュースは放送される。あれは放送される事件とされない事件はなんの違いがあるのだろうか。取り上げたいニュースがなかった場合には選ばれるのか。
著者も慣れないと述べるのが、子どもや赤ん坊の遺体だという。
病気や事故でさえ見るのは苦しい気持ちだろうに、意図的な死を押し付けられたら子どもともなれば、辛さはひとしおだろう。
著者の務める大学解剖室に運ばれてきた赤ん坊は、生まれて間もない新生児だった。
真夏ということもあり、腐敗はやや進んでいたが死後一週間と見た。
ところが逮捕された母親いわく、赤ん坊は半年前に死んでいたというのである。
真夏には物が腐りやすいことを私たちは経験上知っているが、生肉にその条件が適用されるのならば他人の肉体も例外ではない。
だが半年も、赤ん坊は腐敗を進めていなかった。
なぜ?
これは生まれて間もない赤ん坊は無菌状態に近いので、その状態のままビニールで包まれると腐敗しなかったのではないかと、著者は実験して学んでいる。
まさか死んだ赤ん坊をビニールに包むわけではない。産科からもらってきた廃棄する胎盤で試した、というのだから法医学者の行なう実験とはすごいな! としか思えない衝撃的な一文だった。
実験結果を学会で報告しているが、他大学の教授たちも臭いで同情するというのだから、一般市民の私とはやはり観点が違うなと思わされた。
臭いなのか、気にするところが。
この母親は半年前に赤ん坊を一人で出産したが、すぐ死んでしまったという。
生まれたばかりの子どもが死んでしまったショックからなのか、女性は赤ん坊の遺体をビニールに包んでカバンに入れて連れて歩いたという。
ちょっとしたホラーかな?
分かる人には分かるだろう、魍魎の匣を髣髴とさせてくれる犯行動機……犯行なのかすら、私には分からないが、通常のメンタルで考えつくことでもなければ進もうと思う人生の岐路でもないと思う。
しかも女性は腐敗が始まって処理(!)に困ったので、旅館に置いて逃げたという。
赤ん坊の死を受け入れられないのはまだ分かるし、せめてもう少し一緒にいたいと考える気持ちもがんばって推し量ろうとは思う。
だからといって、腐ってきて処理に困ったから捨てました、では結局のところ赤ん坊を大切に思っていた様子はまったく見えない。
著者の文章だけでの読者個人の反応なので決して著者に責任はないのだが、結局この女性は一人で隠れて出産した赤ん坊が死んでいてどうすればいいのか分からなかっただけなのだろう。
罪に問われないように逃げた、とも思えるが、宿泊した旅館に置いてくるという行為は誰かに発見してもらって、罰してもらいたかったように思えなくもない。
ならやっぱり、さいしょから素直に警察なり病院なりに届け出ていればと思うが、何かしら吹くんだ事情があったのか、やるせない。
何より旅館に同情する。
旅館かわいそう……。
しかしDNA鑑定も発達したことだし、この手の事件では赤ん坊の血液なりなんなり採取して、母親はせめて相手を知っているはずなのだから、何かしらの責任を取らせることはできないのだろうかといつも思う。
それこそいつだったか学生が産んだばかりの赤ん坊を捨てたニュースで、キャスターが「父親は何をしていたのでしょうか」と、あれは果たしてキャスター自身の意見だったのか不明だが、聞いたときはおどろいた。
キャスターは男性だったのだ。
「こういう事件となると母親の責任ばかりがクローズアップされますが、父親にあたる男性はどうなのでしょうか」と彼は述べた。
もしかすると自分もそうなる可能性もあるかもしれないし、下手をすれば同性から叩かれるかもしれない一言を彼はニュース中に口にしたのである。
その手のニュースを見るたびに、母親である女性ばかり責任追及される姿を見ては「あれは自分の将来の姿かもしれない」と考えてしまい、この世で子どもを一人で産む難しさを目の当たりにしては「うーん、やっぱりいいや!」と妊娠も出産も諦めていた自分にとっては、男性が男性のあるべき責任について言及した姿は今でも覚えている。人が記憶から真っ先に消してしまうという、男性キャスターのあのときの声まですべて覚えている。
まあそもそも結婚さえ危うい私にはそんな未来などない!
とも言いきれないのは、毎月訪れる生理現象が「お前はまだ子どもを産む機能を持っているんだからな」と半ば脅しかけてくるからだ。
毎月毎月痛みで脅さなくていいです。
あと、やっぱりまだちょっと、理想の人との結婚には憧れていたい。
本書の内容からはだいぶズレたが、新生児はどうやら腐りにくいようです。
覚えておいても日常生活で口にする機会はない豆知識でした。
著者は他にも、今でも「あれから何年」という昭和平成に衝撃を与えたニュース現場に立ち会っている。
御巣鷹山墜落事故、地下鉄サリン事件、名前は伏せられているが有名シンガーの遺体。
御巣鷹山墜落事故は高校時代の先生が当時は記者をやっていたらしく、記事を書くために事故間もない山に入ったと聞いた。
木の枝をつかんだと思ったらひとの手だった、なんて話も聞いた。冗談とは思っていなかったが、著者の記述を読むと現実味にあふれている。
まず土を掘って集めてくる。その土をシートにくるんで持ち帰り、そこから骨や皮膚を拾い出す。
これは飛行機が突っ込んで、土の中に不確定入ってしまったからだそうだ。
文章を読むだけだから凄惨などという平易な感想にしか出来ない自分がもどかしい。
土から人の骨や皮膚が出てくるなんて、そんな状況と出会うことになるなんて、本職の著者でもかんがえたことがなかったに違いない。
そうなってしまった遺体が多かったというのに、亡くなられた全員の身元が判明したというのだ。
身元確認のために招集された法医学者は、著者も含めてほとんどがボランティアと知ったときはなんてことだろうかとおどろいた。
ボランティアは悪いことではないが、日本中を揺るがしたであろう大事故の被害者をくまなく探し尽くした鉱石を称えるとか、なにかしらの手当てを国から支給するとかなかったのだろうか。
まあないな、とはコロナ禍の今現在強く思う。あるわけねーわ。
あってほしいと思う。
強く思う。
こうまでして亡くなられた人々の無念を、尊厳を守るために手を尽くす人々の努力をどうか分かって欲しいと思う。
法医学者が書かれるどの著書を読んでも、人手が足りない資金が足りないと訴えている。
法医学者は基礎医学の大切な柱で、医学と法学をつなげる橋でもある。
守られるべき職で、増やされるべき職種だ。
どうかないがしろにしないでほしいと強く思う。
自分は法医学者の著書を読んだ感想を書くことしかできないが、読んだ感想が幅広い世代に伝わり、法医学者がただおもしろ半分で人の遺体を解剖していじくりまわしているわけではないということを知ってもらいたい。
また、ドラマのように万能でもない、ということもだ。
とてもおもしろく読めた一冊でした。
結びに、本書に登場した亡くなられた人々の冥福を祈ります。