26歳300万円で起業し、300億円企業に育つまで〜CROOZの22年
日本にインターネットが到来してから約10年(注1)。
突如、「ヒロスエ」と共にモバイルインターネット(当時だとガラケー)の時代がやってきた。それはちょうど、20世紀の終わりと重なる———。
1999年、ドコモが iモードの新型発表記者会見で人気絶頂のアイドル、広末涼子を起用したのだ。
ほんの18歳の彼女の威力は、とにかくすごかった。
いわゆるパソコンマニアではなく、ごく普通の学生や社会人が、日常生活の中で、携帯電話を通して、インターネットから情報を得る。
この国に、そのようなこれまでに類を見ない市場が誕生することになるのである。もちろん、2020年代を生きる我々はみな知っているが、モバイルインターネットの波はやがて世界を飲み込むものとなった。
さて。
今回の物語の主人公には、この未来が見えていたようです。
21世紀は、すべての人にとって、手のひらのモバイル端末ですべてが完結する時代になる。
そう夢想した当時24歳営業職の青年は、2年後に起業を決意しました。そこからさらに20年以上が過ぎた2023年現在、彼は10業種20社の子会社を抱える300億円企業の代表になっております。
彼の名は、小渕 宏二。
僕が執行役員を務めるクルーズ株式会社の代表取締役社長です。今回は、小渕さんの歴史とともに、CROOZの歴史を振り返りたいと思います。
どうぞお付き合いください。
<オモシロカッコイイものを届けたい>
小渕 宏二は1974年に群馬県で生まれました。
第二次ベビーブームの頃に生まれたいわゆる団塊ジュニアの世代にあたります。この世代は数が多いため、何事も競争が激しい。
苛烈な受験戦争が、いじめや不登校、家庭内暴力などのトラブルを引き起こして社会問題となり、当時のテレビドラマ「3年B組金八先生」や「スクール・ウォーズ」でも題材になっていました。
そんな競争を煽る時代の風潮とは裏腹に、幼い頃から人を喜ばせることが大好きだった小渕少年は、クラスの誰一人残らず笑わせ、喜ばせずにはいられなかったといいます。
今だって、社員と食事に行けば自ら肉を焼き、皿に振り分けます。笑いを取ることも忘れません。
僕は40年ほど生きていますが、彼ほどサービス精神旺盛なエンタメ人間は見たことがありません。
小渕さんの根本には、この「面白いことをして人を喜ばせたい」ということの他に、もうひとつ重要な価値観があります。
それが、「カッコいいと信じられることをやる」です。
彼の男気エピソードは、伝説的なものも含めあちこちで語り継がれているのですが、いずれ別記事で取り上げるかもしれません。
そんな「オモシロカッコイイ何かを届けたい」気持ちを根っこに持った小渕青年、高校卒業後は、ホテルマンになることを志して東京のホテル専門学校に入学。卒業後はホテルマンとなります。
しかし、ホテルで働き出した彼は、職場の士気の低さやサービス精神のレベルの低さに失望することになります。改善を試みて何度も声を上げたものの、すべて無下にされてしまいました。
この経験から、自分にコントロールできることをやろうと思い立ち、ホテル業界を去った彼はSIer営業の仕事を始めます。
企業に徐々にパソコンが普及し始めていた頃でした。
パソコンのシステムを販売したり、パソコン自体を販売したりするSIer営業で彼は頭角を表し、あっという間にトップ営業マンとなります。
<半径50センチですべてが完結する時代>
小渕さんがトップ営業として活躍していた1999年、ドコモから化物級の大ヒットサービスが生まれました。冒頭でも出てきた いわゆるiモード事件です。
その衝撃はすさまじかったらしく、小渕さんは「今後は半径50センチで情報収集からあらゆる物の購入まで、すべてが完結する時代が来る」と感じたといいます。
きっと世界中で、面白いものも、カッコいいものも、手の上の画面から受け取る時代が訪れる。
このままパソコン関連のことだけやっていてはまずい。
すぐさま携帯向けサービスに参入すべきと考えた小渕さんは、事業計画書を作って上司に対ししつこく迫りました。
ところが、30回、40回とぶつかってもまともに取り合ってもらえない。それなら自分でやるしかないと思い立った時、起業家 小渕 宏二が誕生しました。
2001年5月24日、26歳、有限会社ウェブドゥジャパン(のちのCROOZ)の創業です。
会社で意見が通らないからとはいえ、満足に収入のあるトップ営業マンを辞してまでの起業という選択。
このように、周りから見れば絶頂期のようなタイミングであっさりと手を引き、未来を読んで違うことを始めるのは小渕さんの一種の得意技で、これが最後ではありません。
<大きな夢と2人でギョウザ一皿の現実>
モバイルインターネットの時代が来る。そう時代を読んで会社を起こしたものの、創業資金はわずかに300万円。
やりたいことと、実際に事業として展開できることは違う。
いちばん最初にやったのは、携帯画面に対応したホームページ制作や携帯向けのコンテンツ制作など、受託開発を引き受けることでした。
やりたいことはもちろんあった。
でも、人も物もお金も足りなかった。まずはとにかくキャッシュを回すことが目標でした。
創業から1年くらいはこんな有様でした。
しかし、徐々に顧客も増え、さらに大手パチンコパチスロメーカーのモバイルコンテンツ受託開発事業を引き受けるようになってからは売上が軌道に乗ります。
これを足がかりに、IT業界に特化した人材ビジネス、モバイル公式コンテンツプロバイダー事業、検索エンジンにブログなど、新規事業を次々に開始することになります。
<軌道に乗っても、ひとつの事業に執着しない>
先走りすぎたので、話を戻します。
受託開発で足元を固め、2002年からはいよいよコンテンツサービスに乗り出しました。小渕さんが目をつけたのは、ファミコンを中心に全世界約1,000万本の大ヒットとなった「熱血硬派くにおくん」シリーズ。
当時次々とファミコンの名作が復刻されていたのですが、「熱血硬派くにおくん」はメーカーの倒産のため手付かずだったのです。
小渕さんは、くにおくんシリーズの非公式ファンクラブサイトの管理人さんを探し出して直接アプローチし、そこから順に元開発者さん、営業本部長さん、会長さんと紹介してもらって交渉。
ようやく版権を手に入れ、晴れてコンテンツプロバイダーになることができました。
コンテンツプロバイダーになってはじめて配信したのがこの『熱血硬派くにおくん』なので、小渕さんにとっては思い出深い作品でしょう。
ところが、この事業からもすぐに手を引くことになります。
競合に儲かることが知られ、世の中が追いついてきて競争が激化し、投資の割にリターンが少なくなる前に手を引き、次の事業に軸足を移す。
これがCROOZが成長し続けるために続けてきたことでした。じっさい、創業以来5回以上メイン事業を転換しています。
とはいえ、コンテンツプロバイダー事業からは撤退しますが、モバイルゲーム市場に参入する際、再び「熱血硬派くにおくん」にCROOZは支えられています(下は2011年記事)。
さて。
コンテンツプロバイダーの次に目をつけたのは、検索エンジンでした。
<モバイル専用検索エンジン「CROOZ!」>
インターネットビジネスの収益モデルは、主に課金、Eコマース、広告、仲介の4種類。
このうちEコマースは粗利益率も低く、仕入れのキャッシュも必要なのでまだその時期ではないと判断。そこで次は広告に照準を合わせました。
世界一の広告企業グーグルに挑む気概で、2004年から検索エンジンを作りはじめます。多くの人が利用する検索エンジンを開発できれば、モバイル広告で大きな売上につながるというわけです。
当時の世の中には、まだモバイル用のロボット型検索エンジンは存在しませんでした。
そこに満を持してリリースされたのが携帯専用ロボット型検索エンジン「CROOZ!」だったのです。多数のモバイル人気ポータルサイトに検索エンジンとして導入されていきました。
しかし、検索エンジンとして世界を獲ることはできなかった。
時代背景は、勝てなかった一つの要因でしょう。検索結果側のコンテンツが育っていないうえ、広告主も使う人のリテラシーも成熟していなかった。(あと、Googleが強すぎました)
当時のインターネットは検索すると個人のHPやワンクリック詐欺、風俗店などが大量に出てきて、探しているコンテンツを見つけにくいものでした。おまけにモバイルの広告は消費者金融と出会い系サイトばかり。
もっとユーザーにとって価値ある普通のページが増えないと、より多く、より長く使ってもらえない。
そこで、みんながこぞって自分の活動を投稿したくなるようなブログを作ろうと方針転換することに。
<ギャルが流行らせたデコれるブログ>
検索エンジンサービスは、大量のサーバーの管理コストが多大にかかります。なんとかして検索エンジンを普及させたい。先ほど述べたように価値あるページが溢れるようにもしたい。
そこで、2005年、一日3,000~4,000人の女性が自分のHPを作ることに着目し、女性用のブログ『CROOZblog』をリリースしました。
元は検索エンジンの普及が目的だったこの一手が、思いもよらぬ結果を生みます。
当時の女子高生を中心に女性から支持を受け、月間ユニークアクセス者数1100万人を獲得するまでに成長したのです。
『CROOZblog』はページを細かくカスタマイズできるのが売りで、これが当時のギャルに「かわいくデコれる」ということで大ウケしたんですね。
この『CROOZblog』ですが、サービス終了となった2022年5月までに、なんと30 億件以上のブログ記事を集め 500 万人以上のユーザーに利用されることとなりました。
かつて『CROOZblog』を愛用してくれた女子中高生たちが、今は大人の女性になりSHOPLISTを利用してくれています。
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『CROOZblog』が大ウケしていた頃、もう一つの主力事業としていたのが人材事業でした。
モバイル系の開発に特化したエンジニアは当時希少だったのですが、しばらくモバイル事業を主力にしていたCROOZには、ノウハウを持ったエンジニアがたくさん在籍していたのです。
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2004年からの方向転換後、CROOZは広告・人材事業で伸び、2007年にJASDAQ上場を果たします。
しかし、ここでまたもや事業転換。
2009年、人材事業を売却、広告事業からは撤退。
主力であった二事業を手放したのでした。
<二大事業を手放しソシャゲで急成長>
2009 年、広告事業と人材事業を手放したCROOZ。
売却・撤退で上場後に約52億円あった売上は約37億円まで減少。しかし、実は営業利益の低かった事業からの撤退だったため、営業利益は増加していました。
業績のさらなる飛躍を睨み、当時急成長していた将来性の高いモバイルコンテンツ事業へ経営資源集中を決断します。
この転換はまさに絶妙なタイミングでした。
2010年、世の中はMobage・GREEの大ヒットにより、ソーシャルゲームブームが到来します。
この波に即座に対応したCROOZは、ヒットメーカーへと転身することができました。
数々のゲームをリリースし、2009 年には36 億円だった売上を2012年には約234億円まで急拡大させます。まさに倍々ゲーム。
「神魔×継承!ラグナブレイク」や「アヴァロンの騎士」など、Mobageの人気ゲームランキングの上位に並ぶようなヒット作が数々誕生し、ソーシャルアプリケーションプロバイダー企業としての知名度を上げます。
2014年には、レーシングゲームの『ACR DRIFT』を世界135ヶ国に配信しました。世界を見据えるようになります。
この頃の裏話ですが、
小渕さんにサウナでこんな話をされました。
「なぁ、諸戸。そろそろ、世界を獲りにいくのにふさわしいロゴが欲しいな」
この話をした数時間後、Appleの有名なコーポレートロゴを制作したデザイナーRob Janoff氏に連絡。CROOZは日本で初めて、彼の作ったロゴを持つ会社となりました。
閑話休題。
どこから見てもゲーム事業は絶好調でしたが、
こちらからもまた撤退を決めます。
2016年、「エレメンタルストーリー(エレスト)」以外のゲーム事業から撤退することを発表しました。子会社「Studio Z株式会社」を新たに設立し、ゲーム事業はそちらに移します。
小渕さんは当時、モバイルゲーム市場のレッドオーシャン化を予期していました。「ゲーム事業は博打みたいなもんだ」と僕に話してくれたのを覚えています。
実際、CROOZのゲーム事業撤退後、懸念していた通り、次々と新規参入するゲームメーカーによる強烈な競争は激化。それまで数ヶ月数千万円で開発できていたものが数年数億円かかるようになり、コスト構造が激変しました。
2018年にはこんなニュースが話題になっています。
そんなわけで、モバイルゲーム事業から撤退しつつ、2012年にリリースしたファッション通販サイト「SHOPLIST.com」へ経営資源を集中させていきます。
※とはいえ、今もゲーム事業で次なるヒットを狙っています。最近は、ボクシングのマニー・パッキャオさんやフロイド・メイウェザー・ジュニアさんを始め、世界各地のインフルエンサーも巻き込んで次世代型ゲームを開発中。NFTキャラクターを駆使して対人戦バトルを行うものです。
<EC事業がソシャゲを追い抜く>
「半径50センチですべてが完結する時代が来る」と創業より前に予見していた小渕さんにとって、EC事業はかねてより手をつけたいジャンルでした。
ただし、自分たちで在庫を持つビジネスは危険も伴うので、カジュアルブランドに出店してもらう戦略を取ります。
始めは出店料を無料にし、プロモーションもこちらでやる形を取って、一気に商品の取り扱い数を増やしました。
SHOPLIST以前にゲーム事業が急激に伸びていたことで、プラットフォームを構え、プロモーションを打つためのキャッシュができ、また『CROOZblog』が育っていたおかげでユーザーを確保できていたからこそ乗り出せたのです。
SHOPLISTは、2012年7月のサービス開始以来、初年度の取扱高は22億円超、次年度は68億円超、3年目となる2015年3月期には、100億円規模に拡大。
2014年には、当時テラスハウスの影響で引っ張りだこだったモデルの今井華さんを起用して初のテレビCMを放映。
2023年現在は、CROOZの売上高の実に7割をSHOPLISTを含むEC関連事業が占めています。
ちなみに、昨年からPayPayでもお支払いができるようになりました。
<SHOPLISTのV字回復と今後の展望>
SHOPLIST が急激に伸び、ゲーム事業から徐々に撤退していた頃、SHOPLISTに次ぐ第二・第三の柱を創り出すことが必要になると考え、新規事業への投資及び M&A の積極化を意思決定しました。
そのため2016年頃には、小渕さんは約30社からなる子会社のグループ代表としてグループ経営の舵を取るように。
約7割以上の売上を占める『SHOPLIST.com 』を運営するCROOZ SHOPLIST株式会社の経営も他の経営陣に託していました。
しかし、2017年頃からゆるやかに成長率が低下し、2019年3月期の通期決算では、CROOZ SHOPLIST株式会社単体で約3億円の営業赤字を計上してしまいます。
危機感を覚えた小渕さんは、本社の役員らも引き連れ、自ら再び現場に降りて『SHOPLIST.com 』立て直しを先導。
まずは急激な成長のためてんやわんやだった組織内でほったらかしになっていた課題を抽出。
特にインパクトのある課題を「重要プロジェクト」として設定し、課題を発見した人物をリーダーに任命、社長と同等の権限を与え解決に当たらせました。
詳細は下の記事に譲りますが、結論、わずか1年足らずで、早々に赤字を解消しています。
2020年7月には、親会社であるクルーズの代表取締役社長も兼務しながら、『SHOPLIST.com』を運営するCROOZ SHOPLISTの代表取締役社長に着任、現在に至ります。
さて、CROOZ史の振り返りの締めに、今後の展望について小渕さんの言葉をご紹介します。
CROOZは、1兆円目指して、共に日本を明るくし、世界にインパクトを与えるようなオモシロカッコイイ事業を生み出したい方との出会いを歓迎します。
以上!CROOZの歴史でした。
<おわりにースピード重視がCROOZのDNA>
CROOZ全史、いかがだったでしょうか。
その都度未来を読み、すばやく事業を変え、成長を続けてきた足跡から何か伝わるものがあれば幸いです。
なんて言いたいところですが、ほんとはこんなに綺麗に筋が通った歴史ばかりあるのではありません。
現実はもっと泥臭いです。
一つの事業の成功の裏には、上手くいかなかった無数の事業がありますし、上手くいった施策の裏にはいくつもの「ダメだこりゃ」があったのです。
小渕さんが、創業から一貫してスマートに、そして確実に未来を当てて、難なくスルスルッと成功してきた、なんてわけはありません。
それでも、CROOZがここまで会社を継続し、成長を続けてこられたのには強力な要素があったと思っています。
それが「スピード。以上」という行動指針です。
経営は、頭を悩ます選択の連続です。
どちらを選んでも茨の道、みたいなことばかり。
なぜ頭を悩ますかといえば、選択肢がいくつかあったとして、多くの場合、どれかひとつを選ぶメリットの大きさとデメリットの大きさが拮抗しているからです。
つまり、ある意味どちらを選んでも大した違いがない。おまけに、ITという世界はめまぐるしく情勢が変わります。
このような場合に最善の意思決定の仕方とはどのようなものか?
CROOZは、甲乙つけがたい選択に思い悩む時間があるのであれば、迅速に意思決定して、その手を選んだことが正解になるように力強く推進した方が良いと考えています。
実際、ファーストチェス理論というのがあって、「5秒で考えた一手」と「30分かけて考えた一手」は、その86%が同じ一手であったことが実証されています。
だから、「スピード。以上」なのです。
いずれ他がわんさか乗り込んで来るであろう市場に、いち早く乗り込み、リソースを集中して一気に駆け上がる。
競争が激化するまでに、なるべく少ないリソースで新たな芽を複数育てておいて、これだと思うものを見つければ撤退。一気に、新たな波に乗るためにリソースを集中。
CROOZの歴史はその繰り返しでした。
もちろん、今もSHOPLISTの陰で次なる成功の種を育てています。
CROOZのオハコとも言える仕組み化の徹底も、同じ失敗をさせないためであり、意思決定に時間をかけ過ぎないため。つまりスピードのために構築されているもの。
ガンガン新しいことを試して、新しい失敗の山ができるたび、一握りの輝かしい何かが生まれる。
それが、我々の信じる成功法則です。
<今回のワーク>
毎回恒例の、
テーマに合致した若手起業家向けのワークです。
が、今回は、問いを1つだけ投げて終わりたいと思います。
CROOZ成功の鍵は「スピード」だと述べました。最速で進むためには、優れた戦略や仕組みが必要です。
とはいえ、どれだけ安全に配慮しても予想外は起きます。トップスピードで走っていれば、事故の被害は甚大なものとなるでしょう。多くの人を巻き込み、再起不能と思われるまでにコテンパンになるかもしれません。
それでも、時に仲間に対して鬼のような形相をしてでも、僕らには成し遂げたいビジョンがあります。
君はどうだろう?
それでは、また次回お会いしましょう!
今回はいつもより特別長い記事でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
<注釈・参考文献など>
注1:こちらの本によると、1989年に、スイスの欧州合同原子核研究機関の米国人研究者ティム・バーナーズリー氏が後にWWWへ発展することになる、「Information Management:A Proposal」の提案を公式に行ったそうです。そこからみてクルーズの創業がだいたい10年です。