『論理哲学論考』をより楽しむための変則的な五作
本来なら原則的な五作として例えば、
あるいはヴィトゲンシュタイン自身が影響を受けた五作として、
なんかを紹介するのでしょうが、某誌より「論理哲学論考と文化をつなぐ」という企画に寄稿のご依頼をいただき、あまり真面目に紹介しても自分らしくないなと思い、以下の五作を選んだ次第です。
本稿は同誌に掲載された拙文に「ちなみに」以下の部分を加筆したものですが、満載のどうでもいい情報をお楽しみいただければ幸いです。
ノーバート・デイヴィス『恐怖の遭遇』
「僕を楽しませてくれて、読むのが好きな本は何百冊もあるが、素敵と呼べるのは二冊だけで、これはその一つ」
そうヴィトゲンシュタインに讃えられたのが、米国のハードボイルド小説、しかも粗野な私立探偵と高貴な大型犬のコンビによるドタバタ劇、と知るや誰もが驚くだろう。
全編こんな調子である。
ただしヴィトゲンシュタインが本書と出逢ったのは1940年代なので、1918年に完成した『論考』とは関係ない。
が、その『論考』を執筆中、戦場で死に直面した彼は、日記に「あらゆる問題について考えたが、数学的な思考様式と繋がりがつかない」と書き、翌日「しかし繋がりはつけられるだろう」と綴る。
デイヴィスと『論考』の繋がりもつけられるだろう。──「理想言語」の条件を追求した、などと誤解されもした『論考』だが、当初から著者の関心は、後年と同じく「日常言語」にあった。
理想のリの字も語られない(倫理のリの字は示される)デイヴィスの小説こそが、いつの時代もヴィトゲンシュタインの「理想」なのである。
ちなみに、同書をヴィトゲンシュタインは2冊買った。
ケンブリッジ大学に在籍中すでに読んでいたにもかかわらず、教授をやめてアイルランドに滞在中のある日、僻地の村で売っているのを見つけ、再読の誘惑に負けて購入してしまったのだ。
それにしても「素敵と呼べるのは二冊だけ」の、もう一冊は何なのだろうか。
筆者は以前、
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「良いプレゼントを贈るのにお金を沢山かける必要はない。しかし時間は沢山かける必要がある」 そうヴィトゲンシュタインは言いました。 良いサポートにも言えることかもしれません。 ごゆるりとお読みいただき、面白かったらご支援のほど、よろしくお願いします!