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勇気を出して電話してみた。
ある方が私的に携帯電話を公開してやっている、死にたい気持ちがある人がかける電話に、勇気を出してかけてみた。
※以下個人の感想になります。
鬱がしんどすぎて、楽になりたい、治したい、少しでも良くなりたい一心で。
以前から、Twitterやネット記事などで見知っていた、公開されている携帯番号に思い切って電話してみた。
電話してみた感想としては、自分の話と自説を早口で捲し立てられて、ずっと相手のペースで話を聞いたりしていて、なにか移動中か何かだったと思うのだけれど、落ち着かず、こっちは泡食って相手のペースと話してることを聞くのに必死といった感じだった。
自分としては、鬱で頭もぼんやりとしているし、ところどころひっかかりや気になるところはあれど、マシンガントークに押されて、また、死にたい理由もはっきりと一つと言えないような、これとはっきりと自分でわからず伝えることもできず、違う方向に話がずれていってしまった印象だった。
死にたい、鬱の理由の一つとして、絵を仕事にすることや、絵が仕事にならないこと、絵が描けない、描きたいものがない、描けない、描く気にならない…という話をしたら、毎日描け、とにかく描け、悩んでる暇があるなら描け…という話だった。でも、それがどうしてもできない、それほど描くことや絵自体が好きではないんだろうなという、話だった。それなら、バイトやりゃいいじゃん、絵に拘らず、他のことやってもいいじゃん、と。覚えてる限りを要約すると。
確かに、そうかもしれない。それほど描くこと自体や絵は好きではなく、10年ほど前、ふとしたきっかけで、たまたま自分の描いたものを周りの人が面白がってくれたり、楽しんでくれたり、した。
それがそれまで生きてきて唯一の人に認められたり喜ばれたり面白がられたり、評価されたことだったから続けてきた、やってみようと思っただけだった。
ただ、自分でやってみようと思ってやったこと、好きに作ったり描いたもの、Tシャツや展示、個展などは、やれてよかったし、楽しかった。いい思い出になった。やって良かった。
ものを作ること自体、完成させることは好きなんだけど、そのプロセスに絵を描く…ということがある、だからやってるという感じに近い。
その中には、自分の気持ちよかったり好きだったりする瞬間瞬間もあるのだけれど。
なにか確固たる差し迫った物理的な死にたい状況にある人や、論理的に話ができる人、論理的現実的なアドバイスが聞きたい人、聞いたら即行動したり実行できる覚悟や気持ちがある人などにはいいのだと思う。
けれど、自分のように、漠然とした不安や悩み、漠然とした辛さ苦しさ、消えたい気持ち…を抱えて、頭もうまく回らない、会話のペースもゆっくりな人には、情報量やスピードが早すぎて、うまく言いたいことが伝えられなかったり、言われたことを飲み込むスピードがついていけないように感じられた。
多分自分は解決策よりまず先に、死にたいくらいの辛い気持ちを伝えたかった、わかってほしい、そんな気持ちで電話したんだと思う。
現実的な話や解決策より先に、まず辛い気持ちを吐露したい、そんな欲求だったんだと思う。
そこで、具体的に解決処方箋のようなアドバイスや話をする相談者さんとの間で、ずっと話や気持ちにすれ違いがあったような気がする。
求めてるものや提供してくれるものとの間がマッチングしなかったような気がしている。
なんだかぐったりとして疲れてしまい、またなにか救いを求めて期待していた分、がっかりして、落ち込んでしまい、頓服薬を飲んで、友人に電話をして話を聞いてもらうという事態になった。
たぶんもう、死にたい気持ちがあっても、かけることはないかなと思う。
※あくまで個人の感想です。