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いまさら冬ソナ。〜冬のソナタは、本当に「ソナタ」なのか。

本当にソナタなのか。

窓を開けると、白い世界になっていた。
そして静かな朝だった。

僕は、雪をみると、いつも「冬のソナタ」のことを思い出す。

冬のソナタは、日本で放送されるや否や、日本中のマダムたちを虜にし、「韓流」ブームの火付け役となった作品である。
日本で初めて放送されたのは2003〜2004年。もう20年以上も前のことである。

我が家も例外ではなかった。
家に帰ると、テレビにはヨン様ことペ・ヨンジュンが映っていた。
次第に僕ものめり込み、結局吹き替え版、字幕版、韓国ノーカット版、で3周することとなった。なぜそこまで僕を惹きつけたのかはわからない。

当時の日本のドラマにはなかった懐かしさのようなものが、新鮮に感じたのかもしれない。かわいそうなヒロインというのも僕が知っているドラマにはなかった設定である。(他にはシンデレラしか思いつかなかった)

僕は、当時主題歌を風呂場で熱唱していた激シブ中学生だった。
韓国語はわからなかったので、歌詞は適当である。学校で冬ソナトークがしたかったが、冬ソナトークをできる友人はいなかった。(中学校では流行っていなかった、そりゃそうだろう。では、何が流行っていたのだろう?)

もう20年以上前のことなので、細部は覚えていないが、スキー場の風景や、冬の嵐の風景なんかは、いまでも思い出すことができる。とにかく韓国の冬は寒いのだ。

あと、ペ・ヨンジュン演じるミニョンのマフラーの巻き方を真似した

漫才コンビ「ますだおかだ」の増田英彦がものまね番組でヨン様の真似をしていた、そんな時代だ。(ますだおかだがM−1チャンピオンになったのは2002年)

見ていた当時、僕は「ソナタ」という言葉の意味を知らなかった。
音楽用語だよね、くらいの認識である。

ソナタ(あるいはソナタ形式)というのは音楽形式の一つであり、古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)の作曲家たちによってその形が確立されていった。

ピアノソナタという言葉を聞いたことがあるかもしれないが、ものすごくざっくりいうと「これはソナタ形式で作ったピアノ独奏曲です」ということである。

音楽形式、というとなんだか堅苦しく聞こえるかもしれないが、普段聞いている音楽にもなんとなく型というものがあるだろう。

イントロ→Aメロ→Bメロ→サビ→繰り返し→Aメロの変化版→サビ→アウトロなど

もちろん全ての曲が同じ型にハマっているわけではないが、聞いている方も、お、少し曲調が変わったぞ、とか、もうすぐサビが来そうだ、と音楽を聴くことができるのは、ある程度この形式というものがあるからである。パターンといっても良いのかもしれない。

サビがない、とか、曲が次にどうなるかわからないメチャクチャな進行をして、全く予想できない音楽が展開されると、聞いている方は混乱するし、よくわからなかった、となってしまう。

もちろん今は、リピートして何度も聞けるから、それを逆手にとって、聞いているうちにクセになる、という新たな売り出し方もできるかもしれない。

だが、現在は長時間の音楽は聞けない、とかイントロが長かったらスキップしちゃうとか、また別の問題が起きていているらしい。
TikTokなどいわゆるショート動画の影響だろう。

試みに2024年アップルミュージックの日本のアーティストベスト10を聞いてみたが、そのほとんどが、イントロなしの曲であった。(すぐに歌い始める)2024年流行った曲でイントロがしっかりあったのはミセスの「ライラック」だけかも?

きっとTM NETWORKの名曲『Get Wild』は歌い始める前にスワイプされてしまうだろう。なんてこった。

音楽の形というのは今も目まぐるしい変化をしているのかもしれない。

5分の名曲よりも、10秒のパンチラインみたいな感じだ。

長いのはええねん、いっちゃんええとこだけ聞かせてくれたら。
しらんの、なんでも効率化やで。たいぱたいぱ。

ああ、でもネットニュースとかも結局そうか。
内容よりもインパクト。いかにクリックされるかが重要な世界。
若者だけに限ったことではないのかもしれない。まあいいや。
飽食でインスタントな世界。

話を戻そう。

モーツァルトの時代を想像してみて欲しい。家にオーディオはあるだろうか。サブスクはあるだろうか。もちろんない。

この時代は家で音楽を聴くことはできない。

音楽は、ライブでしか聞けない時代だ。

おそらくほとんどの人にとって初めて聴く曲であり、そのためにはある程度、形が決まっている方が、わかりやすい。印象に残る。
この作曲家の音楽は良いな、また聴きたい、と思わせるには、一度の演奏が勝負なのだ。あとで聴くができない。

まあ要するに、

音楽形式とは、聴衆に安心して聞いてもらうためのものでもあるのだ。

と、僕は思っている。


ソナタ形式とは

ソナタ形式とは、提示部(第1主題、第2主題)→展開部→再現部→コーダという流れで作られる音楽である。

でもこれだけだとなんかよくわからん。僕も当時はこんなこと全く知らなかった。

ざっくりといこう。

提示部


曲の冒頭である提示部では、この曲はこういうメロディーやリズムでいきまっせというのを聴衆に示す部分である。提示部では2つの主題を聴衆に伝える。
一番わかりやすいのはベートーヴェン交響曲第5番運命だろう。
(ッ)ダダダダーン。(ッは休符。力を溜めている部分)

この曲では、このリズムがひたすら繰り返されていく。すると、聴衆は、なるほどこの曲はこの(ッ)ダダダダーンが主役か!となる。

だが、ずっと同じだと当然飽きる。なんか変化が欲しいよなあ、という聴衆の期待に答えるかのように音楽は第2主題へと推移する。

すると、なんだか音楽の感じが変わった!と気づくことができる。
運命では第2主題は、緩やかなメロディーが奏でられて、おそらくほとんどの人がその変化に気づけるだろう。

ここで、聴衆たちは、

なるほど、この曲はこの2つの主題を使ってこの先進んでくんだなと理解する。

展開部


その後曲は展開部へ。
ここは、比較的自由に曲が動く。作曲家の腕の見せ所である。
先に提示した2つの主題をうまく織り交ぜながら、音楽が動いていく。
ぐるぐると音楽が動いていくので、次第に聴衆は不安になるかもしれない。

だが安心して欲しい。

再現部


冒頭の音楽に戻ってくる。(運命であれば、ッダダダダーン来たー!戻ってきたー!となる)
ここで聴衆は、怒涛の展開部を潜り抜けて、戻ってきた!というある種の安心感のような感情が芽生えるだろう。

これにより、たとえ展開部の目まぐるしい転調についていけなかったとしても、戻ってきたことがちゃんとわかる。

そして、再現部は全くのコピペではない。作曲家たちが各々工夫し、あといくつか細かいルールのようなものもあるのだが、ここでは割愛する。

とにかく、戻ってきた!と思えることが大事なのだ。

当時の聴衆の間でも、音楽通の人たちはきっと、戻ってきたけど、少し変わっている部分もあるよね、とその違いを楽しんだことだろう。

コーダ


曲の終わりである。
静かに終わるか、盛り上がって終わるかはその曲次第だが、
戻ってきた音楽が次第にエンディングに向かっていることを示す。

さて、ここからが本題だ。はたして冬のソナタは「ソナタ」と言えるのだろうか。

以下、ネタバレを含みます。まだ見てない!やめて!という方は、冬のソナタ視聴後に戻ってきてください…っていまさらそんな人いないか。
なお、物語のあらすじは僕の記憶で語っています。悪しからず。



冬のソナタにおけるソナタ形式


主な登場人物
・ヒロイン ユジン
・謎の転校生 チュンサン
・幼馴染でユジンに一途な青年 サンヒョク
・ユジンの恋敵 チェリン
(サンヒョクとチェリンはここでは割愛させていただく。)

提示部

第1主題 ヒロイン、ユジンの通う高校に転校生チュンサンがやってくる。
     やがて二人は恋人になる。
第2主題 次第に二人は惹かれあっていき幸せな時間が訪れる。だが、チュンサンの転校してきた目的は父親探しだった。そして、まさかの秘密を知ってしまう。

冬のソナタが提示した二つの主題はこうだ。
①二人の恋物語の行方
②チュンサンの父親は誰か

ここで視聴者に幸せと破滅を暗示させる恋へと向かっていく二人を提示する(これはミスリードであるのだが)

展開部

2人の関係は突然の終わりを迎える。
チュンサンが、クリスマスの待ち合わせにこなかった。
チュンサンは事故で亡くなってしまったのだ。
雪が降っていた。

そして10年の時が経つ。

設計事務所(だったかな)に就職したユジンは、新しい取引先の社長の顔を見て絶句する。
それは事故死したはずのチュンサンと瓜二つの青年ミニョンだったのだ。
ここからめまぐるしく物語は展開していき、次第に互いが惹かれあっていく。
そして、ミニョンは事故死したはずのチュンサンその人だった。
チュンサンは10年前、一命を取り留めたものの記憶を失っており、ミニョンという別人格を与えられ生きていたのであった。

奇しくもミニョンは10年前と同じ車に撥ねられるというシチュエーションを経て記憶を取り戻すのであった。

再現部

10年前と同じように、二人はまた恋人となった。

幸せな生活を送っていたのだが、チュンサンは、10年前なぜ、転校してきたのか、ということを思い出してしまうのであった。(父親探し)

冒頭で提示した2つの主題をここでもう一度視聴者に示している。

そして、また父親探しをすることになり、そしてとうとう、10年前の悪夢の再来、チュンサンとユジンは兄妹であることを知ってしまう。

チュンサンはユジンの元を離れる決意をする。

チュンサンは海外へと発つ。

だが、二人が兄妹ということは間違っていたということが判明する。

コーダ

数年後、事故の後遺症で視力を失ったチュンサンにユジンは再会する。
そして全ての誤解が解けて、ようやく二人は幸せになるのであった。
(ながいながい恋の物語。そしてとても静かな終わり方であった)

おわりに

なんとびっくり、冬のソナタは、ちゃんとソナタ形式で語られていたのだ(若干無理やり感はあるがそこはご愛嬌ということで)

ああ、久しぶりに冬のソナタ、見たくなってきたな。

当時でさえ、懐かしい、という印象だったので、今視聴したら、どう感じるのだろうか。



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守田樹|凡庸な日常
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