「幸福な国」は「有事に備える国」でもある
フィンランドというと幸福度ランキング常時上位の福祉国家で、ムーミンやサンタクロースの故郷でもあったりと何かと牧歌的なイメージもあったりするが、18歳以上の男子には兵役がある上、全国に50000以上の地下シェルターがあり、人口の8割に相当する440万人を収容することもできるという。福祉国家というのは人命を守ること、安全保障にも重きを置くということでもある。
シェルターは一定規模以上の建物に設置が義務付けられており、地下鉄の駅構内をはじめ、プールなどのスポーツ施設や駐車場、共同住宅の地下にも設置されるなど、ごく一部の上級国民しかシェルターに入れないなどということはなく、普段から国民生活に身近なところにある。
フィンランドのシェルターは冷戦時代から整備されてきたというが、その大きな契機となったのはソ連との冬戦争(1939年〜1940年)にある。第二次大戦時、ソ連は独ソ不可侵条約を根拠にバルト三国とフィンランドに対し併合を要求、フィンランドがこれを拒否したため1939年冬、ソ連はフィンランドに侵攻した。
ソ連との戦力差は圧倒的だったものの、フィンランドの英雄とも言われるマンネルヘイム元帥のもと、雪原や森林を利用したフィンランドならではの戦法でなんとか抗戦する。しかし圧倒的戦力差の前についに敗れ、1940年3月、独立を維持するため領土の10分の1をソ連に割譲する条件(モスクワ講和条約)で停戦する。
しかしその後もフィンランドは諦めず、当時快進撃を続けていたドイツと密約結ぶと領土奪還を目指し継続戦争として再びソ連と交戦状態に入る。一時は領土を奪還するものの、ソ連軍の反攻によりまたも領土を奪われ、枢軸国ドイツと組んでいたことで「敗戦国」となり多額の賠償金を支払うはめになる。
なんとか独立は維持するかたちで現在に至るが、フィンランドのシェルターにはそのような背景があり、北欧の「幸福な国」は常に有事に備え、戦争と隣り合わせの歴史を持つ国でもある。
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