「ギロチンが娯楽」は今尚変わらず
フランス革命期、革命を主導したジャコバン派は何千もの反対勢力を次々にギロチンで処刑し、ついには国王ルイ16世や王妃マリーアントワネットまでもを処刑するに至った。「国民主権」「自由と平等」を理念として掲げながら。この頃のジャコバン派の恐怖政治(テロール)が「テロ」の語源でもあるが、人々がギロチン処刑に対し恐怖に怯えているだけかと言えば必ずしもそうではなく、革命政府のギロチン公開処刑は当時のパリの娯楽でもあった。今で言えばスポーツやショーを楽しむ感覚に近かったかもしれない。ギロチンの形を模したアクセサリーやミニチュア玩具のギロチンなどは当時のファッションアイテムでもあったという。
当時のフランスは食糧危機やアメリカ独立戦争支援による財政難に見舞われており、ルソーなどの啓蒙思想家によって人々が政治に「目覚め」つつある状態でもあった。そんな中で税を免れ既得権益を守ることしか考えない貴族や国王をその座から引きずり下ろし公開処刑してやることは、課税に苦しむ平民とって快感ですらあったのだろう。これぞ自由と平等の体現であると。
ルイ16世は必ずしも暴君だったわけでもなく、全国三部会を招集し貴族からも税を徴収しようとした面もあった。マリーアントワネットの「パンが無ければケーキを食べれば~」も今ではデマというのが定説になりつつある。しかし革命に熱狂し自らの側に正義あり!と「炎上」した群衆はもう止めようがなかった。そしてその頃平民の側から出された「人権宣言」が現在の「人権」のルーツにもなっている。
フランス革命は夥しい血が流れ凄惨極まりないものだった事はよく知られるが、では現代を生きる人間がそれを野蛮と言えるほど理性的・人道的であるかと言えばそれはそれで疑問がある。「公開処刑」と称しネットで特定個人を匿名で誹謗したり、昨日まで支持していた著名人を掌返しで引きずり下ろし、社会的に抹殺するエンガチョを楽しんでいる。ルサンチマンで人を叩くことが娯楽になっている今の世は、旧体制をギロチンにかけ熱狂していたフランス革命期と被って見える部分すらある。ギロチン恐怖政治を主導したロベスピエールが最後は自身もギロチンにかけられたように、「破壊」を楽しむ者は最後には自身の身をも亡ぼすことになる。「破壊」ではなく「創造」こそ真の娯楽であってほしい。
尚、ギロチンはそれまで絞首刑・斬首・日炙りなど、身分によってバラバラだった不公平な処刑法を「平等に」一本化しようということで生まれた処刑法だった。ジョゼフ・ギヨタンという人物の考案にちなんで「ギロチン」らしいが、こういうとこにも革命の「平等」理念が色濃く表れている。