「風景を守るのは左翼」という価値の倒錯
明治神宮再開発に伴う樹木の伐採が始まっている。この再開発は老朽化して耐震構造の脆い野球場とラグビー場の位置を交換して建て替え、さらに200m級の高層ビルも建てるため樹木を伐採する、といったものらしい。
神宮外苑は100年前に全国からの寄付や勤労奉仕によって整備され、その後東京都の都市計画公園に指定され、長きにわたり開発が制限されてきた「聖域」だった。景観維持のための指定地域である「風致地区」にもなっていたのだが、新宿区と東京都はこの風致地区指定の基準をこっそりと緩和し、神宮外苑に高層ビルが建つことを合法化してたらしい。
これは明治神宮が内苑樹木の維持費を出すのが難しくなってきたために起きた問題でもあり、そもそも公金を充てられれば話は早いのだろうが、明治神宮はあくまで一宗教法人なのでそれをやったら憲法違反(20条・政教分離)になってしまう。なので開発による恩恵も全否定はできないものの、内苑の樹木を維持するために外苑の樹木を切る、という、何だか矛盾に嵌まってるような感もある。
そして開発に反対しているのが単に左翼の陳腐で感傷的な感情論みたいに片づけられていることにも強烈な違和感がある。言うまでもなく日本は自然万物に神が宿る多神教で、自然に抗わず共生する、という自然観がベースにある。対して欧米キリスト教圏は一神教の絶対神で、人間は神の代行者として創られたと考えるから、自然は共生ではなく支配の対象になる。
明治の「文明化」で欧米を真似しすぎた事が日本人の価値観を歪ませてしまったのであり、本来であれば「日本を守る」「日本をなめるな」「日本を取り戻す」みたいな勇ましい人たちがこの件をもっと取り上げ、もっと広く是非の議論を喚起しなければいけなかった。
「100年前の東京を生きた人々からの贈り物である緑豊かな庭園を、100年先の東京を生きる人々に手渡すのが、私たちの役割だ」という開発反対派の意見、この感覚こそが本来の日本人の自然観で、これこそが本当の意味で「日本を取り戻す」だと言える。
それでも反対派の訴えもあってか最初1000本近く伐採される予定だった計画は600本程度まで抑えられ、神宮の象徴たる銀杏並木は保存されることになった。逆風と無関心の中、戦ってきた人たちには感謝しかない。
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