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ここから祖国を再「建国」する
「建国記念の日」として知られる2月11日は戦前までは「紀元節」でGHQが占領瀬策の中でそれを廃止し、 神武天皇即位の日という日本のルーツを日本人に伝わらないように仕向けた、というのはよく知られている。GHQはそれ以外にも色々日本の制度を書き換え、憲法も書き換え、ろくでもない事ばっかりしてきたことは流石にもうけっこう知られていて、未だ「マッカーサー様、民主主義をありがとう」みたいな人は流石にもう少ない。
ただ問題は日本人がそれで自国に胸を張れるようになったかという事で、近年「コロナ禍」での醜態で、やっぱり日本人はダメだと思う日本人が結局増えてしまったようにも感じる。日本にはもう未来がない、日本はモルモットだ、もうオシマイだ、日本なんてさっさと捨てて海外移住しよう、2025年に日本はもうなくなる。ここ数年はそんな意見をげっぷが出るほど見た気がする。まあ無理もないかもしれない。
ただどこかに都合のいい理想郷があって、そこへ逃げ込めば日本がなくなっても万事解決!なんて都合のいいことがあるわけない。ユダヤ人でもクルド人でも、一度国を失くした民族は石も手追われ、その後悲惨な歴史を歩むことになる。「コロナ禍」では日本人のムラ社会的な暗黒面を嫌というほど見せられてきたけれども、それでもここから再「建国」していくしかない。暗黒面をどう克服していくかを考えながら。
その「コロナ禍」では例えば「文化は不要不急」とかいって真っ先に切り捨てられたが、本来日本はジャポニズムの時代から世界が羨望する「文化の国」でもある。文化があるという事はその社会に「自由」があるという事。北朝鮮とか見るまでもなく、「自由」の無い専制独裁国家にはろくな文化がない。「自由」があるという事ははみ出し者、「不良」が存在するという事でもあるが、そういう者たちこそ「文化」の担い手でもある。社会に「不良」が存在できる「寛容さ」が「文化」を支えている。
文化復興、世界を席巻する令和のジャポニズム、そして祖国の再「建国」。その時こそ「乾杯日本!」であることを願って。
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