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「持続可能」も「多様性」も最初から日本の歴史の中にあった
近年「持続可能」とか「さすってなぶる」みたいな、それまで聞き慣れない語をよく聞くようになった。海の向こうの「文明国」からのお告げのような言葉で、舶来の概念に弱い日本人はそのご宣託を大層有難がっている。ただそんなにさすったりなぶったりしなくても、日本にはそもそも「勿体ない」という言葉があり、「MANGA」みたいに「MOTTAINAI」ですでに世界で通じる語になっている。
「勿体ない」は室町時代からあったとも言われ、「さすってなぶる」みたいな急ごしらえの造語ではない。昔からその語があったという事は、さすってなぶられずとも、日本人がその精神を昔から持っていたことになる。
例えば江戸時代は当時最先端のリサイクル社会でもあり、庶民が着ていたものはほとんどが古着だった。江戸の町だけで4000件もの古着屋があったと言われている。灰や紙のリサイクル業者もいて、質の劣化した再生紙は厠(トイレ)に使われたりした。道に落ちている紙屑も拾って再利用していたから結果として町が綺麗にもなり、これが江戸の町が綺麗だった理由の一つでもある。蝋燭の回収業者もいて一度使った蝋は再利用された。傘も古くなったものは再利用され、破れた傘の紙は包装紙などに使われた。かもじ(つけ毛)を作るため抜けた髪を集める業者、排泄物を集めて肥料にするため農家に売る業者などもいた。挙げればいくらでもあるのできりがないが、要するに江戸時代はモノを輸入に頼らなくても自給自足で回していける循環型の社会だった。
対して「さすってなぶる」欧米の過去はどうだったかと言えば、例えばフランス革命期のパリの街は汚物だらけで腐臭が漂い、排泄物は回収どころか窓から直接外に投げ捨てていた。空から降ってくる糞よけのために傘が必須で、道に落ちた糞を踏まぬようハイヒールが流行した。「勿体ない」どころか産業革命で大量生産・大量消費・大量投棄になり、資源を求めて有色人種の国を植民地化・奴隷化してまでも収奪の限りを尽くした。
対して江戸時代の日本では、資本の投入により労働力を抑える産業革命に対し、それとは真逆の、資本の投入を抑えて労働力を大量投入して生産力を上げる「勤勉革命」が起こっていた。日本人の労働観はこの時形作られていたわけで、「働くのが奴隷」というのは植民地主義の欧米の考え方と言える。
江戸時代の日本は今ほどモノに溢れてなかったから「勿体ない」で再利用せざるを得なかった面もあろうが、歴史を見れば欧米から「さすってなぶる」をマウント気味に上から目線で言われるのは「何を今更」感しかない。欧米は何かと先進的、日本は常に遅れてる、みたいなイメージで語られがちだが、欧米は18世紀以降繰り返してきた過誤に今頃になって目を向け始め、ようやく「勿体ない」に追いついてきただけ、という話でしかない。
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