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谷川俊太郎さんのこと

遅ればせながら、数日前に詩人の谷川俊太郎さんが亡くなられたことを知った。
どなたかも書いておられたが、氏は、このままずっと居てくれるような気がしていた。

まだ日本に住んでいた頃、とある美術館を訪れた際、周囲から異彩を放つかのように、眼光の鋭い御老人を見かけた。
谷川俊太郎さんだった。
すぐに気づいたが、静かに椅子に座って居られるだけなのに、その圧倒的な存在感に気圧されて、とても声などかけられなかった。
その日は、息子さんである作曲家・谷川賢作さんが音楽を担当し、朗読会が開かれる直前だったようだ。

私は自分がいつ、谷川俊太郎さんの作品に出会ったのか、全く思い出せない。
自分の本棚を見ても、いつの間にか谷川さんの本が並んでいた、といった感じだ。どこの家にも一冊くらいは谷川さんが関わった本があるのではないか。それくらい谷川さんの本は日常生活に入り込んでいる気がする。

といっても、私はそれほど谷川さんの著書を読んできた方ではない。
絵本、翻訳された海外の絵本を何冊か持っている程度で、詩の方もたいして読んだことがなかった。



自分で持っている詩集も数冊しかないが、今でも時々開いて読むのは『空に小鳥がいなくなった日』だ。
「朝のかたち」「男と女」「父の歌」「古き良き機械たちに」「憤り哀しみのソネット」「私が歌う理由わけ」の章からなり、男女の出会い、恋愛、結婚、子供が生まれてーー
人が生きてゆく中で湧き上がってくる様々な心情を描いた詩は、リアルな手触りがあり、ぐっとくる。
当時「苦しみのわけ」という詩に惹かれ、この詩集を手にしたのだった。

あなたの苦しみのわけは
たとえ訊ねたとしても答のあろうはずはない
両手の指できつくまぶたを押さえて
あなたの顔は一瞬異星人のようにゆがんだ
あなたの手ひとつまだとりはしないのに
私はすでにあなたから去った男の一人なのだ
どんな慰めの言葉も口にしないで
ただあなたの体を抱くことが
一杯のお茶ほどにも
あなたを安らかにすればそれでいいと
そう考えることすら私にはうすっぺらな
人生相談の答の一行のように思える
あなたの苦しみに触れることができぬように
私はあなたの体にも触れることができない
と そう私が思うのは優しさからではなく
優しさに対する恐怖からだ
あとはもう沈黙しかないだろう
それもまたごまかしにすぎぬかもしれないが

「苦しみのわけ」谷川俊太郎

1974年の初版は、私が敬愛している南佳子さんが挿画と装丁を担当していたらしいが、自分が持っているのは1990年の改訂版でウィリアム・モリスのカバーだ。古書店で探して手に入れた覚えがある。

私は谷川さんの王道と言われる作品はほとんど読んでいないくせに、変わった著作ばかり手にしてきた。だから熱心な読者とはとても言えない。
以前、氏の手がけた絵本の中でもかなり異色な作品の記事を書いた。


他に谷川さんの著書で気に入っているのは、キノコの本だ。
私はキノコを食べるのも、見るのも、採るのも、関連するグッズを集めるのも大好きで、こちらの本も絶版になってから知り、確かオークションで手に入れた。
幻想的なキノコの写真に谷川さんが詩をつけている。
他にも久世光彦、シェイクスピア、宮沢賢治などの著名な作家、万葉集、俳句からも、キノコや森についての言葉が掲載されていて、興味深い構成になっている。


わたしは聞いたことがある
月夜にきのこたちが歌うのを
見たことがある
一本足でゆらゆら踊るのを
きのこの胞子は夢の砂
私に美しい幻を見せてくれる


設計図なんか描かなかった
即興で創ったのだ
一つの旋律をいくつにも変奏するように
色を変え姿を変えるのを楽しみながら
一瞬で創ったのだ
数千種のきのこを
神は

「きのこ 森の妖精」谷川俊太郎



猫の本も好きだった。こちらの翻訳された絵本の内容には全てに共感している。たしか谷川さんも猫好きだった覚えがあるが、その記憶も曖昧だ。


翻訳を担当された、レオ・レオニの絵本は息子と一緒に何冊も読んだ。


むしろ、息子が生まれてからは、絵本の方でお世話になったと言える。
こちらは、息子に与えた初めての絵本だった。
シュールな擬音の連続と抽象的な生き物のような絵に、読み聞かせをする度に、小さな頃の息子は大喜びで、お気に入りの一冊だった。


私は、佐野洋子さんの大ファンだったので、佐野さんのエッセイに登場する谷川さんを読み、谷川さん像を頭に思い浮かべていた。
お二人は一時期、ご夫婦だった。
佐野さんが亡くなられた後に出版された本の中では、元夫である谷川さんと元義理の息子である佐野さんの息子さんが、対談されていたのが印象的だった。


谷川俊太郎さんについては、その作品も含めて知らないことの方が多く、読んでみたい本のリストに何冊も入ったままになっている。
これから少しづつでも手に取ってゆけたら、と思っている。


谷川俊太郎さん

沢山の作品を残して頂き、ありがとうございます。
これからも、あなたの作品は、多くの人にまた新たに読み継がれてゆくことと思います。

心よりご冥福をお祈りいたします。


また朝が来てぼくは生きていた
夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た
柿の木の裸の枝が風にゆれ
首輪のない犬が陽だまりに寝そべってるのを

百年前ぼくはここにいなかった
百年後ぼくはここにいないだろう
あたり前な所のようでいて
地上はきっと思いがけない場所なんだ

いつだったか子宮の中で
ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって
それから小さな小さな鳥になって

それからやっとぼくは人間になった
十ヶ月を何千億年もかかって生きて
そんなこともぼくは復習しなきゃ
今まで予習ばっかりしすぎたから

今朝一滴の水のすきとおった冷たさが
ぼくに人間とは何かを教える
魚たちと鳥たちとそして
ぼくを殺すかもしれぬけものとすら
その水をわかちあいたい

「朝」谷川俊太郎




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