ふっと思い出す過去の嫌なできごとは、なぜいつまでも思い出されるのか。
トラウマ、という程ではないけれど
過去のイヤな思い出が
ふっと思い出されるときがある。
▷ 嫌な記憶ほど覚えている。
イヤな記憶がよみがえったときは、
「あー、また思い出しちゃった!」と
まさに首をぶんぶんと振る勢いで、
その思い出を『たった今』から
ふり払うようにしたり、
「ありゃ、今、暇なんか?」と
じぶんを引きで見ようとしてみたり、
過ぎ去ったことは変えられないんだから
今考えても仕方がない!という具合に
切り替えるようにしていた。
できるできないは別とするので、
実際には気にしないふり、忘れたふりなどが
関の山だったりもするが、、、汗
少なくとも
イヤな思い出のひとつやふたつ、
だれにでもあるんじゃないか。
実際に
いろんな人から聞く話で、
『学生時代に言われた一言が忘れられない』
『こどものころ、こんなことがあった』
など、とにかく忘れられないんですよね。
なんなら『絶対に許せない』という
強めの言葉も聞いたことがある。
『一カ月まえにあった嬉しいできごとで、
今日も気分は最高なんです!』みたいに話す人は
聞いたことがない。
ひとは
楽しかったり嬉しかったことよりも
嫌なこと、ザワザワしたことのほうが
覚えている。
そしてみんな
そんな自分のことをイヤだ、やめたい、と感じ
更にツライ思いを抱いている。
そういう人たちを
目の前にしてきて
『どうにかならんもんか』と
最近のわたしは考えていた。
過去は書き換えられる、と聞いたことがあるし、
癒しの方法などのアプローチは、さておき、
イヤなことほど思い出されることに対して
「なんなんだろうな、これって」と
ずっとぼんやり思っていたけれど
イヤな記憶ってヤツぁ、しつこいもので
「そういうもんだ、やれやれ」のように
とにかく “ 今 ” に目を向けるように
心がけるだけで済ましていた。(ほんとうにコレだけでいい場合もあると思う)
実際にどんな記憶にしろ、
記憶なんてあやふやなものだとも思うし、
じぶん目線の都合のよい思い出に
捏造している可能性もなくは無いので
(あのひとが悪い、じぶん悪くない、のように)
その過去が真実かどうかも、
不確かだとも思っている。
▷『ストレス脳』から読み解く嫌な過去とは。
そんななか、
このひとびとを苦しめる『過去のイヤなことの記憶』について
ハッとしたことがあったので
この記事を書き始めました。
ハッとしたのは、こちら。
『スマホ脳』で有名な精神科の医師、
アンデシュ・ハンセン氏の著書『ストレス脳』の
脳科学的に解説した一節です。
同じような危険を回避するなど
生き延びる術として強烈に記憶するのであって、
忘れたい記憶は生物学的にいうと重要な記憶と言えるのだそう。
わたしはこれを知ったときに、
ドキン!としたんです。
過去、命に関わるような危険や恐怖、
PTSD(心的外傷ストレス障害)などがあるわけではない。
凡人の遠いむかしの単純なイヤな思い出です。
それでも、
その蘇る記憶により、イヤな汗がじわりとしたり
胸がギュッとなったりするときがある。
そんなわたしは、
この本によって
イヤな思い出は、じぶんを守ろうとするゆえに
今でも忘れられないのだと知って、
なんてことだ!と思ったのです。
だって
イヤな思い出って
やはりサッサと、いい加減忘れたいものである。
思い出したくなんかない、
できれば消去したい記憶、
悔しかった思い、
ぐちゃぐちゃした感情、
こんな記憶はサッサと消えてくれればいいのに、
どっかに消え去ってくれればいいのに、
と、いった感じで、
あえて言葉にするとその記憶を保持していることが
疎ましかったし、不必要だし、恨めしかった。
だけどそれは、じぶんを守るため、
危機に対処できるための働きであるとは、
なるほど!すごすぎる!と思ったんですね。
わたしはそんな記憶たちを、
『記憶からなくなってくれれば楽なのになぁ!』と思っていた。
だけど、
脳は、この体は
生きよう、生きようとして、そうしていた、ということで。
脳は、この体は
生きよう生きようとだけしている。
常にこのわたしを
生かそう生かそうとしている。
なにがあっても、
どんなことがあっても
とにかく大前提が生きる、なのである。
かつて
落ち込んで、立ち止まったとき、
わたしだけが
もう前に進めないんじゃないかって怯えていたのだ。
そして
そんなことが過ぎ去れば、
今度はその記憶がツラく、
消えさってくれることを望んだり。
でも
体の方はそうじゃない。
どうしたって
生きよう生きようとしている。
なんにしても
生かそう生かそうとしているのだ。
このわたしを
生かそう生かそうとしている。
わたしだけが、
その記憶をイヤがって、
撥ねつけようとして、
要らないものとしていた。
でも違った。
二度と、
生きられなくならないように
じぶんを守るために
じぶんの命を守るために、(尊厳みたいなものも含む、とわたしは考える)
脳が、体がやっていた必要なことだったんだ。
相変わらず、
この体の有能さ、
豊かさに
推しの気持ちです。笑
こればっかです。笑
確かに、
体って『生きよう生きよう』ということしか
していないしな。
われわれサイドにとっては、わずらわしいくしゃみ鼻水も、
下痢、高熱、肌荒れ、
それこそ目やにや白髪、シミさえも、
すべてのなんやかんやも、
生きよう生きようと体がしている結果なのであって、
それにブーブー文句を言うのが
森ノなのです。
ほんとうに泣ける。
ちなみに、
この本によると
イヤな記憶の不安や恐怖も、
“ 安全 ” “ 大丈夫 ” という経験を積み重ねることによって
軽減できるそう。
▷ ドライな脳みそさん。
でも、脳みそがドライであるのが分かる興味深い以下の文章。
右脳、左脳とかにすると
またちょっと違うのかもしれないけれど
ドライな脳みそ。
不幸でもいいやん、生きれてさえいれば、みたいな。笑
命の危険からは、生物の自己保存の法則によって守られる。
わたしにとっての
思い出されるイヤな思い出は
命が脅かされるような危険、恐怖ではなく、
凡人のそれだが、
それでも思い出されるたびに
モヤ~リとするしイヤなのだけど、
その記憶には
今は
「守ってくれてたんか、ありがとう!でも今のわたしは、もう大丈夫!」と伝えてみようか。
わたしにできることは、まずそんなとこかな!
あとストレスには、適度な運動がよいらしい。やっぱりそうか。。。運動か…だよね。。。
なにがあっても
なんにつけても人体は
生きよう生きようとして
生かそう生かそうとされ生かされている。
ちょっぴり不思議で、感謝。
☕︎Have a nice day! ☕︎