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4年ぶりの鼻炎と生理痛に襲われたけど、撃退。


今年の3月ごろ。

4年のブランク越しに見舞われた、
くしゃみ、とまらない鼻水、目のしょぼしょぼ感、生理痛は、

“つらい”のひとことに尽きた。

忘れてたこのつらさ…。


『こんなにしんどいのを、みんな我慢してるの?!』と、
おどろきをかくせず、


ひとたび周りを見渡してみれば
職場のひとびとは皆、

“目のかゆみ”、“くしゃみ鼻水”、“喉の痒み”と戦うべく
机の上にはティッシュ、目薬、点鼻薬、飲み薬、炭酸飲料を常備し、

ゴミ箱をみるみる間に、
鼻をかんだチリ紙でいっぱいにしていく。


炭酸飲料は、喉の痒みを炭酸のシュワシュワで、ほんの一時的に紛らわしているらしい。
よく考えついたものである。効き目的にどうなのか。
喉の奥って、痒くてもかけないんだよね…つらいよね…。


そんなかれらを、
なにか偉業を果たしている偉人のように感じて改めて眺めた。



アレルギーの症状や生理痛の激痛は、
もうこれ仕事どころではないのだが。。

わたしは仕方なく薬を口に放り込んだ。




かくいうわたしは
4年まえ、
集中的に野菜中心の食事改善をおこなったことで
しらぬ間に、くしゃみや鼻水とは無縁になっていた。

そして鎮痛剤を飲まないと起きあがれなかった生理痛も、
そのときから1度もなかった。にもかかわらず、
突如、舞い戻ってきた症状たち。




塗ったそばから、鼻から下のファンデーションが落ちていく。
メイクも無駄になるくらい、くしゃみが止まらず、鼻をかむ。
目のかゆみで涙もポロポロ出てくる。


『…これは、無理。参りました…』と降参し、
わたしは腹をくくり、

「グルテン、控えます…」とひとり呟いた。




さよならグルテン。


このころ、いつもの生活の中で
変わったことがあるかと振り返れば
思い当たる節は、
クッキーや菓子パンにハマッていたことだった。



それらを『犯人だ!』『悪いやつめ!』と糾弾する気はなく、
むしろ大好き!美味しい!まいにち食べたい!のだけど、
あまりに体がつらいので


実験的にその日から大幅にグルテンの摂取を控えた。


すると二日後、
たちまちつらい症状たちは消え去った。



わたしは特に、
小麦粉が体に合わないようで
如実にあらわれる。


食べるのをやめると、

ピタリと症状が治まるので、
原因が特定できたと言っていいのだと思う。
(クッキーや菓子パンなので、“砂糖”かもしれませんね)



泣く泣く、
クッキーと菓子パンを止めざるをえない。



しかし
しばらくすると
また少し食べ始めてしまうのが人間というもの。喉元過ぎれば熱さを忘れるのである。それをくり返す。

(うめぇんだな、お菓子)


やはり、
敵はグルテンの『グルテンとの戦い』の構図ではなく、

『己との戦い』ということか。



体のこと。


なにより、
体が楽になるのは
とびきり嬉しい。


本当は、

こっちが正常、なのだと気がつく。
こっちが本来の体。


だから薬を飲まないと生活に支障をきたすくらいであれば、
きちんと道を元に戻してあげないといけないんだ、と思う。



体がしんどかったり、つらい症状があるのは、
それは異常なのである。
けれどもそれに慣れてしまうと、
それが『異常』だと気がつけない。
『あたりまえの不調』になる。


そもそも日々忙しいから、
痛みや多少の不調、不快感、違和感のために、
いちいち立ち止まっていられなかったりする。

まじめなひとほど、多少つらくても仕事優先で頑張っちゃう。

あとは「年だから」と諦めて、痛みや不調と折り合いをつけていくパターンもある。


そして
なんやかんやで、薬で症状を抑えながら
なんとかやり過ごす。

やり過ごしてしまえる。

やり過ごすことができてしまう。




そしてなんだか一時、
治った気になる。




でも、本当はそれは、おかしいんだなって。



その方法でいいんだって、本当に納得できているのであれば
それでもいいのだろうけれど、
本当の体は、そんなふうじゃない。



もっと快適なのです。




快適で、気持ちがいいもの。


なんか忘れちゃってたけれど、
ちょっとずつ、思い出してきたんです。わたし。





そんな快適さや気持ちの良さを捨てて、

目の前のお菓子やジュースを飲みたい!というひとはきっと多い気がするし、
わたしも食習慣の改善には、なんども挫折しているひとり。。。





なにを飲み食いしようが、
それはそれで
じぶんの人生なのだから勿論よいのだけれど、

それらは多かれ少なかれ
遅かれ早かれ
体にあらわれる。




体はちゃんと出来ている。


職人のように黙々と仕事をしている。
だれに褒められなくても、だれにも気づかれなくても
ただ目の前のしごとを、細胞たちはこなしている。


そしてどこかが悪ければ、
“痛む”ということも、ちゃんとしてくれる。


痛んだり痒かったり、
そして痛くなかったり痒くもなかったり、

それらが
ちゃんとあらわれるように出来ている。


けれど本来は、体はもっと “気持ちがよくて快然” なのがベースなんですよね。




自力で便は出るし、
目や肌も痒くない。

生理痛もおこらないし、
ティッシュ1箱すぐなくなるくらいに
鼻水が出たりもしない。


そんなよくできた奴なんです。


(わたくし森ノは、もともとアトピー持ち、慢性鼻炎に生理痛は激痛、便秘がちで10日間出ないこともあったが、現在寛解・快便)




でもしかたがないと思うのは、
こんなにも物があふれている世の中では
体にいいことばかりなんてしていられない。し、する気も起らない。
誘惑多いし。




けれど一度でも、うっかり体の軽さや気持ちよさを思い出してしまうと、
もっともっと本来の仕様に戻したいと思えてくる。



この、とてつもない優れものさに
いつもひれ伏したいぐらいに
敬意を表するしかなくて、

ただただいつも
お世話になりっぱなしのこの体に
湧きあがる豊かさを感じて
ときめいてしまう。




体は、本来もっと快適なのを、
その力があることを
もっともっと思い出していきたい。


体が楽で気持ちがいいと、ほんとhappyなんである。
そんなhappyな体でいられるように
今日も一日、体・細胞ファーストで過ごしたいと思っている。



誘惑は多いけれど、

そんな誘惑にまけて
いつもどっかが痛かったり、
呼吸が浅かったり、
心が落ち着かなかったりと

なにかワケわからんものに
この体が乗っ取られてるような、


そんなことはもうやめにして
きちんとhappyでいられる体になろう。
そんな体に戻ろう、と思う。





☕︎ Have a nice day! ☕︎

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