『村上春樹のせいで』自分だけは自分の大切な世界を守り抜こう
「なぜ、私は村上春樹が好きなんだろう?」
それは、彼の生活リズムが正確だからということに気づいた。
私にとって、生活習慣の折り目正しさというのは、とても好もしく映っていたらしい。
彼の長編小説の多くに描かれれているような、物語のうねりにのまれてしまうと、過ぎ去りし日々の「普通」の暮らしは人々との愛の交歓だったことに気づいて愕然となるのである。
そこにあった「普通」さは、巻き戻らないからこそ光輝く刹那だった。
まさしく目下のコロナ禍のようではないか?
「普通」の意味が、こうも曖昧にぼやけてしまっている今となっては。
今日は『村上春樹のせいで どこまでも自分のスタイルで生きていくこと』を読んだ。
この本は、村上春樹さんの人生や作品について描かれているのだが、韓国人作家のイム・キョンソンさんにより編まれている。
翻訳の渡辺奈緒子さんの日本語訳のシンプルな文章のリズムも、静謐でとても好もしい。
村上春樹という作家の歩みが、本作を読めば理解できる構成だ。
膨大な作品群を紐解く前に、作家の来し方を辿りたい方。
作品発刊当時の作家の心境に近づきたいという方にも、おすすめしたい。
著者であるイム・キョンソンさんは、両親の仕事のために日本で育ち、幼少期は日本語をまず覚えたという。
その後に韓国本国へ帰った時の「おまえはなんか違う」といういわれのない差別体験は、とても重苦しいものだった。
著者の心境と、その昔、慣習を重んじる文壇へ迎合できなかった結果、袂を分かち独自の道を歩んでいった村上春樹の面影が重なって見えた。
この「なんか違う」違和感というものは、時代を超え、国境を越え、至る所で脈々と存在する病だ。
しかし、非寛容さは、皮肉にも作家が物語の世界を守り、昇華されていくことへと繋がったのである。
さらに数々の名作は、小説を書ききる体力と集中するための気力を保つために、きっちりとした生活リズムの中でテンポ良く生みだされてゆく。
本著は、著者と村上春樹さんの機微が、程よい距離感の中、織り交ぜられながら進んでいく。
『村上春樹のせいで』が日本のファンにも多く読まれることを期待したい。
また、このように愛情深く瑞々しく書き切った、イム・キョンソンさんの他の作品も読みたい欲求が沸いてくる。
読書家の宿命である。
さて、村上春樹さんの「いい文章考」について最後に引用して締めくくりたい。
既出のインタビューより、筆者が村上春樹さんにインタビューを行ったと仮想して再構成したものだ。
”筆者:春樹さんはどんな文章がいい文章だとお考えですか。
春樹:うーん、他のだれとも違っていながら、だれにでも容易に理解できて受け入れられる文章ですね。
鋭いリズムがあって、親切さが深く溶け込んでいて、ユーモア感覚もあって、しっかりとした意志を感じられる文章、簡単に言えばシンプルで読みやすい文章です。(p160)”
私は、まだ自分なりの文章の型が見つかっていない。
しかし、私なりの本音で、noteは書いていくつもりでいる。
耳障りの良い、優しいだけの言葉を書き連ねることは、ここではしたくない。それは、noteでの発信を心底大切にしたいから。
ところで、人生には寄り道が必要だから、人は旅をし移動する。
そして、思索にふける。
どこにも行けない私たちは、果たしてどこへ向かえばいいのか。
移動もかなわない私たちの心は、本当に不自由なんだろうか?
「自分だけは自分の大切な世界を守り抜こう。」
人生には寄り道が必要だから、物語が存在する。
旅の代替品として、本を存分に利用したらいい。