重松清さん『ステップ』遺された家族の再生への10年を描く
本日は重松清さんの『ステップ』をご紹介します。
重松清さんは、初めて読む作家さんです。
最後の方はもう、鳥肌が立つほど感動しました。
(ネタバレを含みます)
主人公の健一は、結婚3年目で妻を亡くします。
30歳という若さだった妻の朋子。
娘の美紀は、まだ一歳半でした。
健一は娘の美紀を男手ひとつで育てていきます。
保育園の初登園の日から、小学校を卒業するまでの10年間の日々が描かれていきます。
私も自分のことと重ね合わせて読んでしまいました。
保育園時代、大変だったなぁとか。
送り迎えだけでもヘトヘトで。
職場につく頃には、灰になるほどぐったりきているのに、なんとか気力を振り絞って仕事に取り掛かる。
退社後、保育園のお迎えの前にスーパーに寄って。
保育園ではうまくいかない育児に保育士さんの前で泣いてしまったり、弱音を吐いたりしたことも数え切れません。
あの頃は職場と保育園と、息子の通院しか記憶のない日々でした。
自分のために使う時間なんてありませんでした。
小学校に入ってからの方が親の負担が増える分、子育てはキツかったなぁ。しみじみと思い出してしまうような。共感できる描写もいっぱいでした。
過ぎてみると10年なんて本当にあっという間なんですよね。
子育てって無我夢中、いつだって全力投球。
永遠に続くかのような時間だったのに、しんどかった。
輝いて見えるのは、いつだってあとになってからなのです。
失われて初めて気づく。
朋子の喪失の悲しみに向き合ってきた健一や美紀、遺された家族の10年も、読み進めていくうちにどんどん感情移入してしまいました。
泣いたり笑ったりしながら、日々を懸命に生きていく様子が胸を打ちます。
亡くなった母親の記憶は美紀にはありません。
母親の思い出を祖父母にどれだけ聞いても、朋子の思い出はこれ以上増えないのです。
幼い美紀は泣いてだだをこねます。
義父は家庭よりも仕事へ情熱を捧げてきた人生で、朋子との思い出が少ないことを痛烈に悔やみます。
朋子を失ってからの、健一と義父母家族との関係は葛藤がありながらも、孫の美紀を中心に思い合いながら続いていきます。
世間の考え方の違いや配慮のなさに、健一や美紀は傷つけられることもあります。
一般社会の目はやはり厳しい。
ふつうの家族の「ふつう」って何?
と、考えさせられました。
健一や美紀は、義父母、保育園の保育士さん、健一の会社、街角で知り合った人、さまざまな人たちに見守られ、支えられます。
ときには似た境遇の人に出会ったり、心が触れ合うようなひとときもあります。
何気ない思いやりに溢れた一言、小さな関わりに心が癒されたり、勇気をもらえることもありますよね。
辛いこともあるけど、希望もある。
そして、遺された人々のかけがえのない日々は、朋子がいなくなってからも積み重なっていくのです。
"ただ、笑顔だって変わるのだ。
変わりつづけるのだ。
赤ん坊の頃の美紀の笑顔といまの笑顔は、違う。
どちらがいいか悪いかの問題ではなく、十年たてば笑顔は変わる。
僕の笑顔だって、三十代の頃に比べると、だいぶ変わってきたはずだ。
決して動かない朋子の写真の中の笑顔ですら、あの頃といまとでは違う。
ほんとうだ。
毎日、少しずつ変わる。
その日の僕の心を映し込むように、微妙に優しくなったり、寂しそうになったりする。
それでいいのだと思う。
どんな写真を撮っても「よくないよね、これ、実物のほうがまだましだと思わない?」とぶつぶつ言っていた朋子だって、写真の笑顔は永遠に変わらないんだと決めつけられると、「そんなことないわよ」と口をとがらせるだろう。
亡くなったひとにだけ「永遠」を背負わせるのは、生きている者の身勝手さではないかとさえ、いま、思った。"(p271)
幼かった美紀も、優しく強く成長していきます。
最後の方で、健一が作ったハンバーグを美紀が褒めるシーンはささやかな日常ですが印象的でした。
あの頃の味とは全然違う。
いまのほうが全然美味しいと。
健一の10年の奮闘ぶりが、垣間見える描写でした。
そして遺された家族は少しずつ再生して、バトンは未来へと受け継がれていきます。
大切な人との日々をこの小説を通して思い出して、胸が苦しく切なくなりました。
なんで今まで読まなかったんだろうってぐらい、涙腺崩壊しました。