朝井リョウさん短編小説集『どうしても生きてる』自己肯定感が低くたって生きるのに邪魔にはならない
本日は朝井リョウさんの短編小説集『どうしても生きてる』をご紹介します。
初読みの作家さんでしたが、世の中の正論やルール、常識と、生きる現実との狭間で苦しむの人々の「生きづらさ」を炙り出した作品群に、ただただ圧倒されました。
とても人ごとではない。
チリチリとした痛みを感じました。
私はとくに『流転』が良かったです。
夢を叶えた人は困難に立ち向かいながら、変化を受け入れながらも愚直に継続してきたからこその今日がある。
そして、夢破れた人にも、立ち向かわないといけない今日がある。
ラストを大団円にまとめないところが、むしろリアルで良かったです。
全体的に読んで感じたのは、「生きる」って、こういう半径5メートルの現実の連続なんだよな、と。
その日々をやり過ごすために、私たちは何かが必要で。
胸ぐらを掴まれたようになりました。
各タイトルごとに、心に響いた一文を引用しました。
気になる文章がありましたら、ぜひ本作をご堪能くださいね。
「健やかな論理」
"いつだって少しだけ死にたいように、きっかけなんてなくたって消え失せられるように、いつだって少しだけ生きていたい自分がいる"(p47)
「流転」
"自分は一体、どこに向かって立てば、生きることに対して後ろめたくなくいられるのだろうか。"(p106)
「七分二十四秒めへ」
"生きていくうえで何の意味もない、何のためにもならない情報に溺れているときだけ、息ができる。"(p131)
「風が吹いたとて」
"どれだけ強い風が吹いたとして、考えなければならないことが山ほどある。生きなければならない明日は来る。"(p181)
「そんなの痛いに決まってる」
"心のままに泣いても喚いても叫んでも驚かない人がひとりでもいれば、人は、生きていけるのかもしれない。"(p241)
「籤(くじ)」
"現実は暗転してくれない。
本心を明かすことに多大な覚悟があったとして、その本心がどれだけ誤魔化しのない真実だったとして、その1秒後も現実はそのまま続く。"(p266)
どの作品も、短編とは思えないほど重厚な読後感です。
朝井リョウさんの作風に初めて触れてみましたが、文章に込められたメッセージに強く惹かれました。
綺麗ごとではない日々ですが、今日も明日も、生きていきたい。
自己肯定感は低くたって、邪魔にはなりません。
これでいいんだ、と自分を認めてあげられる。
無為な日々の連続だとして、それらに意味をつけられなかったとしても、どんな人生でも小説では誰もが主人公を生きられるんですよね。
そう思って読みながら、あなたの心に触れる言葉を、ぜひ見つけてみて欲しいです!
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