【第10回】小学校の自由研究が、プチ小説家のデビュー作になったおはなし📚
こんばんは🌕文月ノベルです。
これは、私が小学4年生の時に書いた童話の冒頭であり、実話です。
「私は、この家を選んで生まれてきたの」
当たり前のようで当たり前ではないその言葉に、家族は涙を零したと言います。残念ながら、30歳を目前にした今の私に、生まれる前の記憶は残っていません。しかし、今でも私は、生まれてきた幸せを噛み締め日々を過ごしています。。
ということで本日は、出生前記憶のあったころに家族や小さな子どもたちへ向けて書いた童話を書き綴りたいと思います。
どうか、お付き合いください。。。(*´-`)
◇童話「誕生」
私が生まれる前のこと
それはなが〜い旅でした。
私には、生まれたいと願っている家がありました。
その家は、
大きくて強いお父さん
とっても優しいお母さん
そして、
いつも一緒に遊んでくれるお兄さんが住んでいて、
笑いの絶えないほんわかあったか〜家です。
私はなんとしてもこの家に生まれたい
このお父さん、このお母さん、このお兄さんの家に生まれたいと強く思っていました。
しかしそれは、みんなも思っていることでした。
そして
いよいよ私の夢見た
「誰があの家に行くか」の大会が始まりました。
それは厳正なじゃんけん大会です。
予選は10回中7-3で勝ちました。
準々決勝、20回中 15-5で勝ちました。
準決勝、30回中 16-14で2点差
ギリギリセーフ!
いよいよ決勝戦です。
心臓がドキドキとしてきました。
とても怖いのです。
何しろこれで私の人生が決まるのです。
〜ドックン ドックン〜
その時です。
「緊張してたら勝てないよ」
と神様がアドバイスしてくれました。
私はいっぱいいっぱい深呼吸して
目を閉じて集中してみました。
決勝戦
100回中50-50の引き分け
延長戦
これは一回勝負です。
ジャンケン ポン!
相手はグー
私はパー
やった!勝ちました。
私があの家の子どもになったのです。
長かったこの旅、
安心感と喜びとうれしさのあまり
いつしか私は、泣いていました。
「オギャー オギャー」
子どもは親を選んで生まれて来ます。
このお父さんとお母さんの子どもになりたいと強く願ったのです。生まれる前の子どもは「この家!」と決めて生まれてくるのです。
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この童話から、10年後の深夜。
一人暮らしの私の部屋に長い着信が鳴り響きました。寝ぼけ眼な私は、番号すら確認せずに受話器を取ります。
電話越しに聞こえた女の子の声は震え、不安げな声で私の名を何度も呼びました。我に返った私は番号を確認し、それが気が置けない友人からの電話であることを確認しました。
「どうしよう、私、妊娠しちゃった」
泣きながらそう訴える彼女に私は聞きました。
「どうして、悲しんでいるの?」 すると彼女は言いました。「だってまだやりたいことがあるし、叶えたい夢があるのに、生めないよ」
厚生労働省によると、年間の人工妊娠中絶件数は2 0万件にのぼります。妊娠した6人に1人が、中絶を希望しているのです。
しかし、大人になった今の私には、中絶がいけないこととは言えません。世の中を見渡すと、望まない妊娠故の親子問題で悩み苦しむ人がいます。傷つき、涙する人がいます。
毎朝のように新聞で目にするのは、虐待や家庭内暴力による事件です。親は子を咎め、子は親を憎む。
「こんな家に生まれて来なければよかった」
「こんな子、生まなければ良かった」
しかし、出生前記憶について研究している池川章さんによると、出生前記憶がある小学生はこう話すといいます。
「それも承知で生まれてくるの。お母さんが成長す るまで、何度でも同じことを言いに来るんだよ」
もちろん、出生前記憶やこういった発言にはさまざまな意見があることも、分かっています。しかし、私がこの先、もしも子どもを授かることがあるとすれば、親になる覚悟を決めたのならば、子供を授かったその大きな幸福を、愛する人たちと共に喜べる自分でいたい。
私はまだ親になったことがないので、真の意味で親の気持ちはわかりません。私が想像するよりもきっと大変で、悩みが尽きることは無いのだと思います。
でも、どうか、お父さんも、お母さんも、苦しみ過ぎず、そして、傷つかないでください。
親こそが、子どもにとってかけがえなく大事な存在です。子の幸せが親の幸せであり、親の幸せが子の幸せでもあります。
だからこそ、20年前のあの童話と、今を繋いで、
今晩は、こんな言葉を結びとさせてください。