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心音-cocorone-【ショートショート】
今にして
あの頃、日葵は光輝いていた。
ひたすらベースをかき鳴らす日葵。
もう、あれから10年以上が経つけれど、今でもこの日葵のベースからは林檎の匂いがする。日葵の心臓のように、トクトク、トクトク。
穏やかに、トクトク、トクトク。
そう、日葵が旅立った夏の記憶・・・。
夏の記憶
「うぉぉぉぉ!」
大はしゃぎで初夏の波打ち際を走る日葵を、俺と彼、2人で追いかけた。彼は日葵をずっと追いかけていく。ギラギラと照り付ける夏の太陽に、俺はクラリとした。
「また貧血か?男らしくねーぞ!」
ギラギラ、ギラギラ。
夏の太陽が苦手な俺は、日葵の挑発にはのらない。少し瘦せすぎているところはあるけれど、健康的な日葵とは裏腹に、俺と彼はいつもどこか病的。
俺は貧血、毎日3錠鉄剤を飲む。
彼は喘息、常に吸入器を肌身離さない。
あの時俺と彼は、日葵から一時でも光が消えるなどと思っていなかった。
トクトク、トクトク。
日葵のベースは心音と同じ。生きているように奏でるライン。
あの頃の俺たちは、日葵のベースが全てだった。日葵が生きているのは、日葵のベースが鳴ることだった。
「1人で弾いてもつまらなくないの?」
彼がいつも聞くそれに、日葵はいつも不思議そうな顔をする。
「こいつ、1人でも生きられるんだぜ?」
恋人にするように、日葵はそのベースに口付ける。
「日葵がいなきゃ鳴らなくない?それ。1人で生きられないだろ。」
彼の問いかけに、日葵は瞳を丸くして、カラカラ笑う。
「こいつは俺で、俺はこいつ。1人なの。誰でも1人で生きるんだ。俺にはたまたまこいつが・・・枝分かれしたんだよ。」
「バンドとか、やったらいいのではないの?」
「・・・俺は『共鳴』が苦手なんだよ・・・。だから1人で弾く。」
その理由を考えておけば・・・。
今でも俺が、日葵に想う事だ。
日葵が「苦手」だったのは、きっと『共鳴』でなく『共生』だった。
日葵のベースが鳴った時、日葵が苦手なのは、「生きること」だと知った。誰よりも優しく、脆く繊細な日葵には、きっと、難しいことだった。だから俺はあの時、日葵と『共生』したいと思ったんだ。
何故、そんなことを望んでしまった・・・。
「日葵、一緒にベース弾こう!俺もやる!」
俺の提案に、日葵はのり気でなかった。首を縦に振らなかった。やりたくない、を連発した。けれど俺だけでなく、彼も日葵にそれを望んだ。
誰よりも優しい日葵は、いつしか、俺と彼と3人でベースを奏でるようになった。
ただ鳴っているだけだった俺達3人の音は、次第に『共鳴』を始めたんだ。きっと俺と彼も、ベースが枝分かれしてしまったんだ。
だから俺達3人が『共鳴』した。響き合った。1人で生きる日葵には、「響き合い」すら少し苦しいのに、きっと俺と彼は、『共生』すら望んでしまった。
「共に生きる」責任なんてなかった。すぐに俺と彼はそれを理解し、そして日葵は、「生きること」自体を否定した。
鳴らなくなった、日葵のベース。同時に俺と彼のベースも鳴らなくなった。
日葵はきっと、『共鳴』ならできたのに。
何故俺は、彼は、響き合うことで満たされなかったんだ。
俺はあの日、日葵が俺にしたように、日葵を挑発しようとした。もちろん彼も。けれど、波打ち際を歩く日葵は、もう俺の挑発にのらないどころか、半ば虚ろな瞳でエナジードリンクを飲んでいた。
波打ち際から見える水平線。ゆっくりと沈みゆく晩夏の太陽に、日葵は消えてしまった。
うつろうて
冬がやってきた。
遺された日葵のベースは、何故か林檎の匂いがする。まるで林檎の木から作られたように、林檎が実ったように。日葵から枝分かれした、日葵のベース。トクトク、トクトク、日葵の心臓のように。
俺と彼は、動かされた。そう、日葵が遺した、鳴ることのないベースに。
その、甘い匂いに。
そう、いつからだったか。俺が歌を歌うようになったのは。
そう、いつからだったか。彼がリズムを刻むようになったのは。
そう、日葵が、俺を動かしたんだ。彼を動かしたんだ。
日葵が俺と彼に遺したもの、それは音の奏でと林檎の匂い。
匂い立つ日葵の心臓。
今にして
きっとあれから10年以上が経った今も、俺が歌を歌い続け、彼がリズムを刻み続ける、その理由の全てが、日葵なのだ。
晩夏の太陽に消えた日葵。
そして今年も初夏がやってくる。
俺は、相変わらず貧血で、毎日3錠の鉄剤を飲み、彼は、相変わらず喘息で、常に吸入器を肌身離さない。
“男らしくねーぞ!”
日葵が笑っている。輝いている。誰よりも脆く儚く散った日葵が、誰よりも強く光輝いている。
俺と彼は今、あの波打ち際でなく、日葵がいた・・・、いや、日葵がいる五線譜の上を走っている。
トクトク、トクトク、トクトク。
――――心音。