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いのちが「私」している

祖母とのお別れを終え、
叔母のお見舞いへと向かった。


叔母は、私の母の妹にあたる。

幼い頃から障害を抱えていて、言葉をうまく話せないし、意思疎通も出来ない。
けれど、幼少期は同じ時間を共に過ごしたり、一緒にご飯を食べたり。

大人になってからは
帰省する度に顔を合わせる間柄だ。


ここ数年は入院していたが、コロナの影響もあり、祖母は私をなかなか会わせたがらなかった。

ようやく数年ぶりの再会となったところ、祖母がいないという。こういう形になると誰が想像しただろうか。


病院はとても落ち着いた場所にあるところだった。


いろんな気持ちが込み上げる。
叔母のことがずっと気になっていたから。


ドキドキしながら部屋を覗く。

部屋の奥で叔母は1人ベットに横になっていた。


白内障になっていて、もう私の姿を認識することは出来ない。
そして、私のことを覚えているかも分からない。


私はただ、ここにいることしかできない。


涙が止まらなかった。


なんだか虚しかった。


でもそれでいいんだ。
段々そう分かっていった。



一緒に来ていた母は、昔叔母とよく歌っていた歌を歌っていた。
体に触れながらコミュニケーションを取る。

ああ、これが母の接し方だ。

いつ旅立つか分からないいのちを目の前にしても、いつもと変わらず接する姿。

母の愛であり、強さだ。

分かるから、
ますます涙が止まらなかった。


そして
叔母のいのちの働きを目の前にし、
私は諸富先生の言葉を思い出した。

「いのちが、私している」



私がいのちを所有しているのではなく、
いのちが私を活かし、私というものをカタチ作っている。

いのちとして叔母はここに存在している。
その美しさに、圧倒された。

叔母のいのちは強いんだ。

叔母の手に触れ、撫でた。

関節、血管をなぞる

叔母を感じる

私たちはなにかで繋がった。


十分に味わったところで
私たちは病室を後にした。


叔母の名前は「ひろみ」。
広い海と書くことをこの日知った。

由来は知らないけど、
祖父が船乗りだったことと、海の広さと叔母がリンクした。涙が溢れた。



「広海、いい名前。」


祖母の愛が、母の愛が、叔母の愛が
私たち家族の間に流れていく。


広海ちゃん、やっと会えたね。

ありがとう。
大好きだ。

<広海>
叔母に触れた時に見たイメージを描きました。


< umi >
帰りの飛行機で見た空のグラデーション。
まるで海のようだった。

おわり

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