1000万と結婚

昨日突発的に「1000万ってデカいと思う?」と聞いた

もちろん、金額としての話


「デカいな」


「1000万もらうのと、1000万分の価値のあるもの、手に入れるならどっち?」


「20代なら経験かな」



経験だと言ってくれる人で良かった。

でも、「30代では」違うんだな とも思った。



20代のまとめ本(仮)に、1000万について書いてある項がある

わたしはなぜか、その項が一番引っかかっている


1000万を手に入れるなら、

・1000万を稼ぐ男と結婚する
・投資をする
・物を買ってそれを何倍かで売る
・ひとり1000円払ってもいいと思って貰えるものを1万個つくる

みたいなことが書いてあった。(記憶上暫定)


そして大抵の女は「1000万を稼ぐ男と結婚する」ことを選ぶらしかった。それが一番手っ取り早いと。


それのデメリットとして、
その1000万は決して自分のものでは無いこと。


わたしは親の収入こそしらないが、
それ程度の生活をさせてもらっていると思っていて。

1000万の生活は、とても穏やかで幸せなものだとも思っている。



でもそれの弊害として、家族4人の記憶でディズニーランドに行ったことがないことに気がついた。


わたしは特別ディズニーランドに行きたい人ではないけれど、

「家族でディズニーランド」がわたしの中の勝手な幸せの定義であった。割と昔から。


自分が行きたい訳ではなくて、子供視点で考えた結果、両親と兄弟と夢の国に行ってる家族が羨ましかった。

その代わり関東に住んでいる祖父母と母と、たくさんディズニーランドに行った。それはそれで楽しかった。

でも仕事で忙しい父との記憶が全くないんだ


わたしは異性との初めてのディズニーランドは、絶対こどもを含めた家族で行くと決めている。

ずっとずっと決めていて、自分との約束にしている

だから今まで誘われても適当な理由で断っていた。


自分のこどもの「初めて」を、過去の記憶で無駄にしたくない。

だから仕事で家を空けるひととは、この夢は遂行できないなと思った。



恋人についても、「1000万稼いでいる」と言った人が二人いた。

付き合っていて尊敬することが多かった。
わたしができないことをしていて、カッコよかった。
デートは最大にきらきらしたものだった。


でもやっぱり弊害が多かったな。



きれいなデートは、お金をかけたらできると知った。

私が本当にほしいのは、それではないと思って
ずっと幸せのなかでもどかしい気持ちが消えなかった

自分に見合ってないと思った


デートはきらきらしている代わりに、普段の我慢が多かった。
思っていることをひとつも言えなかった当時。

行きたい、会いたい、電話したい、明日空いてる?が全く通用しない生活が わたしには苦しかった


それでもいいと思う人は、合ってると思うし、わたしはそれではだめだっただけ。


だから「1000万を手に入れてから考える」や、お金に物を言わせて生活の充実をはかる人だったら、なんかやだなって思った。


30代と20代で答えが変わるのは、しっかり現実を見ている証拠だと思う


「20代なら経験かな」と選ぶのも、正しいと思った。


わたしは1000万よりも、いわゆる「エモい」「イタい」映画を何度も繰り返してみたり、本を浴びるほど読んだり、煙草をまた始めたり、やめてよって誰かに怒られたり、首都高走ったり、猫を追いかけたり、静かな星空が見える山奥の宿にひとりで泊まったり。1000万円に相当する生活(経験)を飽きるまでやりたい。

またそのような価値観を交換できる相手と過ごす時間に、どれほどの密度があるのかを26歳で知った。


1000万と結婚をして、我慢に慣れる生活をデフォにするくらいだったら、

全て捨ててもいいから、自分の求める人生を過ごした方が価値があるしわたしはずっとそっちを選ぶべきだと思った


2年間自分の人生を俯瞰してみて。






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