世界は不平等だから、自分の周りだけでも優しい世界であってほしいよね
稼げる仕事と稼ぎにくい仕事があるように
親は選べないように
「生きづらい」と感じる人と気にしないで生きていける人がいたり
報われない努力だあったり。
世界って不平等なんだなとつくづく感じます。
だからこそ、自分の周りの人たちだけでも優しい世界であってほしいと願っています。(こういうところが提唱者って言われるんでしょうね)
それはnoteでも同じで、noteも優しい世界であってほしいと思っています。時々暗い記事も書くけれど、私の人間味も知ってほしいのもあります。私は幸せへの感度が高いから、人よりも「しあわせだ!」と思う回数はずっと多いと思っています。そんな人でも辛くてしんどい時あるし、それでもやっぱり世界は「楽しい」と「面白い」と幸せで満ちてると思ってる。そんなことも伝わるといいな~なんて思っていたりします。みんなで「自分のしあわせを一緒に探していけたらいいな」なんて思っていたりもします。
それでもSNSである以上、アンチコメントは避けられないことは悲しく思います。
高校~大学3年生くらいまで、Instagramをしていました。最大フォロワー数3000人の規模で、勉強コンテンツのアカウント運用をしていました。3000人にもなるとそれなりにアンチは増えるもので、それでも私のアカウントは少なかったように感じます。勉強コンテンツなのでよくあるアンチは「そんな投稿するより勉強すれば?」でした。他の友人のアカウントにもそんなコメントは来ていてよく見ていたし、「気にしてもしょうがないよね」と多感な時期にしてはうまくスルーしていました。それでもコメント見た瞬間は「ドキッ」とするし、怖いと思うし、「何も知らないくせに」と怒りが湧いてきます。
それはnoteでも変わらず、本当にたまにそんなコメントが来ます。丁寧にコメントを返したりしたものの、それを見た人がまた不快な思いをするのも嫌だなと、こっそり削除し、ブロックしておきました。
私は悪口を言えない人間でした。みんな良いところはたくさんあるし、人を嫌うことは 悪いことだと感じていた時期がありました。でもそれも問題で、「合う人いれば合わない人もいる」と思います。だから無理にみんなのことを知ろうとする必要なんてないし、100%の理解なんてできない。だから合わない人は避ける選択を取ってもいいと思うようになりました。
それに人間性の高い人はアンチや悪口を言わないように感じます。悪口は不安や不満から生まれるものだと思います。
悪口言うくらいなら、自分の身を磨くことに時間を使った方がよっぽど有意義です。悪口に耳を傾けるくらいなら、身近な人の温かい声や助けを求める声に、もっと反応していきたいなと私は思います。
さらに、私とは別意見だけれど、これもごもっともだと思います。
私は、私のnoteだけでも優しい世界で在りたいのです。
アンチコメントする暇あるなら、
もっと周りの人の優しさを探して欲しい。
アンチコメントに反応するなら、
周りの人に優しさを配って欲しい。
世界は不平等で、悪いことも悪い人もいるのは仕方ないからさ、せめて自分の周りだけでも優しい世界であって欲しい。