私はなぜ、書き続けるのだろう。
お気に入りの300円(税別)のシャーペンを持って書こうとした時、ふと、思った。
なんで私は書き続けているのだろう。
書くことのスタートは好きな伝記漫画の要約だったかもしれない。いや、日記だったかもしれない。
どっちでもいいけれど、小学校高学年とか中学生くらいには「書く」が日常にあった。
私にとって「書く」はあたりまえのこと。
みんながあたりまえに朝起きて伸びをするように、
ご飯を食べて、歯磨きをするように、
家事するように、学校へ行くように、お仕事するように、
私は書く。
はじめは漫画や小説の要約や読書感想文
日記をはじめて、胸の内を言語化するようになった。
そこからはずっと書く。アナログでもデジタルでも。
私は常に全力で何事もやっていきたいと思っています。
それは、全力だからこそ学べることがある、それを学びたい・知りたいという思いからくるものかもしれないけれど、たぶんそれだけじゃない。
いま死んで、後悔しない?
誰か大切なひとの死に触れたことは無い、しあわせな人生を私はまだ送れている。
でも、幼い頃からよく考えていたことがある
「死んだらどうなるの?」
そんなことが頭をよぎってしまった日の夜は、1人ではとてもじゃないけど眠れなくて、死という恐怖に怯えて泣いて、寝付くことが難しかった。小学生の頃は、そんなことがかなりあった気がする。だんだんと減ってしまったけれど。それでも、死の恐怖は常に持ち続けている。
そんな私にも一時だけ、「死んでみたい」なんて思ったこともありました。本当に辛かった。信頼できる人に裏切られ、実力さえ負けて、苦しい世界から消えてしまいたいなんて、思うこともありました。
今は、そんなことなんて感じさせないような人に、私はなったと思います。昔と今じゃ、人格が全くちがうと思う。
今の自分がとても好きです。
就活は大変です。他のやることもたくさんあって、毎日限界を感じながら生きています。今週はもう倒れちゃうんじゃないかと思うくらい、スケジュールはパンパンで、それを日々更新しています。
大変だけど、でも今、私はすごく幸せです。
悩むことが面白いのです。
考えることが楽しいのです。
傍から見たら、私はきっと大変そうなひと。
同情されてしまうような状況とも言えると思う。
でも、実際の私は全くそんなことないのです。
日々楽しさや嬉しさや、驚きといったプラスの環境に囲まれて、本当に楽しい。ワクワクする。
そんな気持ちを残しておかないと、仮に私が今日死んだ時「大変な中死んでしまって…」なんて言われて同情されてしまうかもしれない。そんなの嫌だ。
たとえ、今日私が死んでしまっても、
今のこの瞬間、確かにとても大変だよ。
でも、それ以上にワクワクが詰まっているんだよ。
そう、伝える手段を持っておかないと、嫌なんだ。
人生振り返っても、大変で辛くて苦しくて、
そんなことも山ほどあるけど、
そんなことを無しにできるくらい、
今の私はみんなが思う以上にハッピーなんだよって
残して置きたいんだ。
まだまだやりたいことなんて山10個分くらいあるから、絶対に死にたくないよ。
でも、もし今日死んでしまっても、後悔はない。
自分の人生、全部全力で、やりたいことも山ほどやってきて、周りの人からも評価してもらって、元気をもらって、元気を渡して。支えたいと思ってくれる人がいて、支えたいと思える人もいて。ステキな人たちに囲まれて、そんな自分がとっても好き。
そんな気持ちを残すためにも、きっと私は今日も「書く」のだと思った。
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