受験はひとりじゃなくて仲間と乗り越えるものだと思うんだ
高校3年生の春
合格通知をひとつも手にすることができませんでした。
中高は優等生くらいには成績は良く、部活動にも参加しながら、ほとんど塾や予備校にも通わず、自力で勉強して、有名大学の推薦も取れるくらいにはいました。
それでも私は合格通知を手にできないまま、桜の季節を迎えました。
父に頭を下げ、はじめて予備校に通いました。私の入ったクラスは一番下。優等生だった私としてはプライドが傷つけられました。でも確かに私は受験の基礎すら知識として全く備わっていなかったのです。
約40名の理系で一番下のクラス。その中で女の子はたった3人。予備校で常に前の方に座っていた私は特に目立っていたでしょう。また、予備校の授業後にほとんど勉強をしないクラスメイトをおいて、私は自習室に篭もり、勉強しました。
学生生活にはどうしても存在する茶化すような男子たちも、理系とはいえ居ます。その存在も面倒で、さらには切磋琢磨しようもないクラスメイトをおいて、私はSNSをはじめました。
同じ浪人生でなんとなくゆるくつながり、私は毎日その日の目標と勉強記録を投稿しました。毎日勉強するための、小さな小さな楽しみでした。理系でも特殊な数Ⅲの演習ノートの投稿や、苦手だった英語長文もどんどん伸びていくのを感じ、そのノートなど、毎日投稿するために勉強、いや勉強するために投稿していました。
そこには愚痴を零すし、でも「頑張ろう」「頑張るしかない」と自分を励ましながら過ごす日々。それでも辛くなった時は、同じ浪人生の投稿を見て、モチベーションを上げていました。今の私でもこのSNSの使い方は良かった思っています。
予備校の人とはほとんど話さず、机と使用時間制限のかけたスマホを繰り返す毎日は、本当に勉強だけする日々でした。
浪人してようやく、少し早い時期の早期選考の一般受験にはじめて受かりました。合格を手にしました。でもその後、本命の第一志望を含め、そこ以上の偏差値の大学から合格通知が来ることはありませんでした。
「もっとできたんじゃないか」
そう何度も思いました。どこが良くなかったのか、どうしたら良かったのか、何度も何度も考えました。でも、大学受験はあれが私の本気で全力で最大限で精一杯だったと思うのです。あのとき以上の勉強、ストレス、内容は、きっと私には無理だったような気がします。
こんなこと書いてますが、それでも唯一の合格通知がきた大学は、偏差値さえ高ければ第一志望にしていました。それだけの納得感、通っていても楽しかった大学生活だったから、良いのです。楽しかったですよ。
でも、第一志望への憧れや夢は心の中にずっといるし、「もっとできたんじゃないか」と思います。
でもどんなに考えても、その「もっと」はできなかった気はする。ただ、私には唯一できたことがあったんじゃないかと度々思うのです。
それはリアルで一緒に受験をする仲間を作ること。
私はプライドが傷つけられて、予備校のクラスメイトを拒みました。切磋琢磨できる仲間はSNSにいたし、そこからリアルに友達になった人もいます。受験期間、それ以降のコロナ禍でも、SNSを通じて電話したり、一緒に勉強したり、そんな出会いもありました。
でも、リアルのつながりには敵わないような気がするんです。目の前で一緒に勉強できる仲間、共に愚痴り、また頑張れる。そんな存在が、もしかしたら受験では一番の味方で仲間でライバルで、そんな存在になれるような気がするんです。
だからもし私がまた大学受験をするのなら、リアルで頑張る仲間を作りにいくと思います。そうじゃなくても、もしなにかを頑張りたくなったら、仲間を欲するような気がするんです。
同じ受験を経験できるのは、同じ世代だけなんです。
今どき毎年問題は変わるし、いつシステムが変わるかも分からない。教えてくれる先生も、親も、同じ受験は経験していない。だからこそ、同じ受験をする同世代の仲間の存在が一番の心の支えになると思うのです。