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永遠のテレビっ子

私を傷つけたのは、なにも父だけというわけではない。

両親が別居することも、そして引っ越す先も、すべてが決まってあとで言われるだけ。のちに正式に離婚したことも、その後数年経ってから知らされた。

当時私はまだ小学生だったから、仕方のないことだとは思う。しかし小学生だからこそ、きちんとした説明がほしかった。引っ越すことによって友人と離れてしまう不安。誰も知ってる人のいない中学校へ進学しなくてはならないことの恐怖。親の都合に振り回されることへの怒り。でもみんな私の気持ちには無関心。幼い私は何の決定権も持たない。

新しい家。姉2人には個室があって、それぞれ自室にテレビがあった。私がテレビが観たいとお願いしても、姉たちの答えはそのほとんどが「NO」だった。何度お願いしても観せてはくれなくて、しまいには「うるさい!」と怒られた。そして2人の部屋からは、それぞれ賑やかなテレビの音と、姉たちの笑い声が漏れ聞こえるのだった。

その光景を思い出すと、今でもとても悲しい気持ちになる。胸がぎゅっと締め付けられて、涙が込み上げてくる。

母は女手ひとつで子供3人を育て、なんとか生活を成り立たせることで精一杯。私の心を想う余裕はどこにもない。姉たちだって、ようやく手に入れた父のいない自由な生活を満喫していた。10代の大人になりかけの姉たちからしてみれば、小学生の私はとてもうざく、邪魔な存在に思えたのだろう。

とにかく生活のすべては私抜きに決められていた。4人で生活をしていても、そこに私の意思は反映されていなかった。というより、そもそも意見を求められること自体ほとんどなかったのだ。ずっとこの疎外感を感じ続けながら思っていた。私はまるで家族の一員じゃないみたいだって。

それがなくなったのは、私が20歳を越えたあたりからだろうか。年の離れた姉たちとも、ようやく対等に話せるようになってきてからだ。

それでも当時のあの疎外感は忘れられない。いつだって、私はあの家族のなかにいなかった。存在を認められていなかった。皆がみな、それぞれ自分のことに精一杯で、家族のなかで一番の弱者を気遣うことも、守ることもできずにいた。それがあの当時の私の家族だ。

そしていま、私は自分の意志で、好きなときに、好きなテレビ番組を、好きなだけ観続ける。それが私の、ある意味幸せの象徴なのだから。世の中でいくらテレビがオワコンと言われようとも、私のなかでテレビは、永遠に楽しくて、面白くて、それを観られることはとてもとても幸せなことなのだ。だから私はこれからもずっと、永遠のテレビっ子なのである。

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