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セダン雑談

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世界の普通の乗用車について適当に語ります。
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記事一覧

ヒンドスタン・アンバサダー

 インドのクルマと言えばタタ・ナノで知られるタタ、マルチ・スズキ(3ボックスセダンのディザイアもある)、3輪のリキシャ辺りが浮かぶものだが、ヒンドスタン・アンバサダーも忘れがたい。

 英国では1956年から生産されたモーリス・オックスフォードシリーズ3がベースで、インドでは1958年から。OHV直列4気筒1489cc、MGBでおなじみの、いわゆるBMC、Bシリーズのエンジンだった。

 タクシー

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セリアの集配車

 100円ショップのセリアで郵便の集配車のミニカーが売っていた。

 スズキエブリィが元ネタらしい。縮尺は1/52程のようで、1/48として許容範囲である。

 いかにもプラという外観。

 アオシマのミゼットと並ぶ。違和感はない。

 ゼンマイは装備していない。

 セリアの車庫(?)にはピッタリ入る。

AMC・ルノー・アライアンス

 1980年頃、当時のアメリカの情報というと、日本の自動車メーカーへの「恨み部」ばかりが伝わってきたものだ。だったら自分達で燃費の良い小型車を作ればいいと思ったものだが、実際にはアメリカの自動車メーカーはオイルショック後のドイツ車、日本車の攻勢に手をこまねいていた訳では無い。少なくともそれらに対抗する策として小型車を投入してはいたのである。

 ドル/円のレートが今と違いすぎるが。

 GMはシボ

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メルセデスベンツ190E

 いわゆる「日本車キラー」のアメリカ車は、結局日本市場ではうまくいかなかった話は前に書いた。
 言い方は悪いかもしれないが、「そこに仕掛けを投げても魚はいない」という印象があった。

 では、他の国のクルマはどうだろうか。日本車キラーたりえるクルマはあったのだろうか。

 昭和の頃、主体性のない小金持ちは「定番」が好きだった。時計ならオメガ、ロレックスである。

 そして、クルマはベンツだ。
♪純

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ルノー・ドーフィン

 いわゆる「大衆車」と「高級車」は、使う側の地域のその時々の時世によって決まるものではないかと思う。
 BMC時代の「旧ミニ」だって、日本では結構高級だった記憶が私にはある。

 ルノーというと、フランスで大衆車を多数生み出してきたメーカーで、ルノー4CVは日野でも1963年まで生産され、日本でもVWタイプ1、モーリス・マイナーと並んで、昔の写真ではよく見かけるクルマである。ルノー4CVのタクシー

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日産S13シルビア

 とにかく、CMが印象的なクルマだった。

 青い地球の映像が映る。
 ハモンドオルガンによるイントロダクションに始まるBGMはプロコル・ハルムの「青い影」という曲だ。
 画面上にラインが入り、地球の一部分が拡大され、英文字が入る。

 そこでナレーションが流れる。

「今、地上に噂がある」
「東経139度46分」
「北緯35度39分」

 最後まで見てもクルマの姿は見えない。
 これが私の最初に

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トラバントについて少し

 そのクルマを自分が知ったのは、1990年代だった。
 東ドイツの「国民車」が、共産圏ならではの競争原理の無い世界で改良されず、「生きた化石」的に残ってしまったものだった。「東ドイツ」ってのが、もう感覚的に知らない人、多いかもな。

 見た目的にはトヨタの初代パブリカやVWタイプ3を思わせる3ボックスセダンで、フレームの上にプラスチック製ボディという構成だったが、番組内で紹介していた所ジョージ(サ

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フォード・リプリカ

フォード・リプリカ

 福山市にある福山自動車時計博物館には多数の名車、珍車が展示されている。その多くが実際に乗り込む事が可能なのである。

 そんな興味深い中の1台が「フォード・リプリカ」である。フォード車ではない。ヘンリー・フォードの作った試作1号車(エジソンからもらった部品を取り付けたという逸話がある)を、手に入る廃品等をベースに、福山の人が再現してしまったというクルマである。

 かかった金額2万円。
 すごい

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甚六さんのクルマとは

 昔は、いや、「昭和のある時期までは」と言った方が良いが、自分が自動車免許を持っておらず、子供に免許を取らせて運転手代わりにする。クルマが空いている時は自由に使って良いことにする。

 という親が存在していた。少しステイタスが上の層である。

 アニメ「サザエさん」の伊佐坂先生の息子の甚六さんがクルマを持っている。洗車したりしている。というのは(暗黙のうちに)この例だと意識できるが、そういう世代も

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ライトバンは希少?

 小学生時代の一時期、うちの父はスカイラインのライトバンに乗っていた。これは副業にしていた盆栽の運搬に都合が良かったかららしい。

 当時の同級生でも、父親がちょっとした工事をする自営業だったりする場合、家のクルマはライトバンだった。

 一方、時の流れで、家族との時間でも仕事用のライトバンに乗っているというのは、どこかビンボくさい感じがするという時代に変化していく。

 日本で「おしゃれな2ボッ

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幻の三輪乗用車

 戦後の日本では、シトロエン2CVまでタクシーに使用されたという。当時の悪路を思えば、踏破性の高い2CVは納得できる部分があるが、耐久性は今ひとつだったらしい。

 その一方、当時やたら幅を効かせていたオート三輪を、タクシーに使用するというのも行われていた。まだバーハンドルの時代である。
 ダイハツ、マツダ、ジャイアント、オリエント、みずしま、アキツ、サンカー、その多くは運転席側面はオープンで、後

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ガードマンのクルマから(オペルの話)

 多分親戚のおじさんが買ってくれたんだと思うが、うちに1台のミニカーがあって、トミカより少し大きいくらいのサイズだった。多分日本車である。トヨタの(クジラ)クラウンか、日産(230)セドリック辺りだったんじゃなかろうか。

 うちの母はこれを「ガードマンの車」と呼んでいた

 多分勘のいい方はすぐにピンときただろうし、脳内にテーマ曲が流れている方もおられるだろうが、ここで言うガードマンは単なる警備

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キザシに至る道

 昭和の、自分たちよりだいぶ上の世代とか、あるいは近い世代でもヤンキー気質だったりする人には「セダン信仰」がある。ヤンキー気質の人はだいぶミニバンに移ったが。
 2ボックスの軽自動車やライトバン等は「格下」で、3ボックスセダンの方が良いという信仰である。

 例えば、「こち亀」で大原部長がセダンを買う話にそれが現れている。

 セダンであればカローラやサニーでも良い、しかし職業上の理由で3ボックス

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流浪するMG

 今となっては「MGってどこの自動車メーカーですか?」と言われる時代になってしまった。

 自分が名前を知っている人、それも昔は能力のあった人が、辺境に飛ばされた気分である。

 とは言え、自分もやっぱりMGの全盛期は知らない世代だ。家の近所に最後期のMGミジェットが2台いたのは覚えている。

 このMGはスポーツカーで知られた英国のブランドだった。ジャガーより格付けは下か。

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