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キラキラネームの歴史
今年の五月から「改正戸籍法」が施行され、キラキラネームをつけられなくなるかもしれないそうです。認められないケースとしては、「高」のように反対の意味だったり、太郎のように読み間違いか判然としなかったり、太郎のように関連性が認められなかったりなどがあります。
五月以降から通知が届き、そこに書かれた名前の読み方が合っているかどうかを確認しなければなりません。一年以内に届け出がなかった場合は、通知に記載されている「ふりがな」が登録されるみたいです。
私事ですが、僕の名前はキラキラネームというほどではありませんが、初対面の人に正しく読んでもらえる率は低いです。ただ、名前としては一般的なものなので、日常生活で困ることはありませんでした。小説のキャラクター名を考えるときは、面倒くさがりなので、例外もありますが、変換しやすいものを選んでいます。
日本の歴史を振り返ってみますと、有名なところで森鴎外の命名を挙げておきます。長男に「於菟」、長女に「茉莉」、次女に「杏奴」、次男に「不律」、三男に「類」という、どれも外国人風の名前をつけています。
子どもたちは、名前で嫌な思いをしたことはないらしく、於菟はその後、長男に「眞章」、次男に「富」、三男に「礼於」、四男に「樊須」、五男に「常治」と名づけ、鴎外の孫の代まで同様の命名がされていきます。
与謝野鉄幹と晶子夫妻も独特のネーミングセンスを発揮し、四男に「アウギュスト」、五女には「エレンヌ」という、生粋の日本人なのですが、カタカナでの名前をつけています。
谷崎潤一郎の『痴人の愛』には、ナオミという女性が登場します。
彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、或るとき私が聞いて見ると、本名は奈緒美と云うのでした。この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。「奈緒美」は素敵だ、NAOMI と書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議なもので名前がハイカラだとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧そうに見え、「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。
いまとなっては、ありふれた名前ですが、この当時、「ナオミ」というのは日本人女性としては珍しかったようです。
名前と同様に、苗字にも難読なものが存在します。明治四年に「戸籍法」が制定され、八年に「平民苗字必称義務令」が出され、苗字を好き勝手に創っていった結果なのだそうです。山がない里なので月がよく見えることから「月見里」、天敵の鷹がいないので小鳥が遊べるということから「小鳥遊」など。
明治三十一年に「改正戸籍法」が公布され、みだりに苗字を新設することが禁じられたので、これをもって打ち止めとなりました。しかし、名前はその後も制限されることはなく、昭和三十四年に出版された『名乗辞典』には、明治期から昭和初期生まれの「かわったよみ方の例」が挙げられています。
【男名】
恰 術 運 文 囂 寿 濯 松
【女名】
薫狼 十九 六花 真善美 香魚音 一四明 捨鍋 毛生 日露英仏
「囂」という漢字の意味は「やかましい」なので、「しずか」という読みとは正反対になります。今回の「改正戸籍法」に則って考えると、却下される類いの名前ではないでしょうか。
明治期は、西洋から入ってきた新しいものや概念などに、最近ではカタカナ表記で済ませることの多い中、当時は、新しい漢語を造って対応していました。「文明」「文化」「思想」「哲学」「科学」「法律」「経済」「合理的」「思考」「価値」「人格」「理性」「感性」「現象」などといった和製漢語は、どれも幕末以降の知識人によって造語されたものらしいです。
また、明治期以降の文学作品などでは、「洋杯」「洋卓、卓子」「手巾、手帛」「洋袴」「襯衣」「隧道」「珈琲」など、舶来の品を漢字表記する熟字訓も数多く見られます。
一方、海外の国名や地名には、「亜米利加」「英吉利」「仏蘭西」「露西亜」「伊太利」「独逸」など、外国語の発音に近い音を持つ漢字を当てる手法が用いられました。都市名に関しては、「牛津」や「剣橋」など、まるでナゾナゾのような表記もあります。「牛津」は「オックスフォード」と読み、「牛」と「津」の組み合わせからきています。「剣橋」は「ケンブリッジ」と読み、「cam」を音訳した「剣」に「橋」を組み合わせた表記です。
このようにして、新しい難読漢字がどんどん増えていきました。
そもそも、自前の文字を持っていなかった日本人が、「やまとことば」を書き表すために導入したのが、異国(中国)の文字「漢字」でした。その際、もともとの音に基づいて読むだけでなく、漢字の持つ意味に応じて「やまとことば」を当てはめていきました。
よく、X(旧Twitter)などでも流れてくる「生」という漢字の読み方が多い問題も、漢字の意味から柔軟な解釈がなされ、多義的な訓読みが生まれていった結果なのです。
『古事記』には「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」という長くて読みづらい神名が登場します。基本的に神様の名前は、ほとんどが万葉仮名で表記されます。
漢字の読みに関して、清少納言の『枕草子』のころから、すでに言及されています。
〔一四九〕 見るに異なることなきものの、文字に書きてことことしきもの
覆盆子。鴨頭草。芡。蜘蛛。胡桃。文章博士。得業生。皇太后宮権大夫。楊梅。虎杖は、まいて虎の杖と書きたるとか。杖なくともありぬべき顔つきを。
見た目は変わっているところはないけど、漢字に書くと大袈裟なものとして、上記のものを列挙しています。さらに、兼好法師の『徒然草』でも、名前について触れた箇所があります。こちらは「人名」に関する記述なので、完全に現代のキラキラネームを彷彿とさせます。
第一一六段
寺院の号、さらぬよろづの物にも、名をつくること、昔の人は少しも求めず、ただありのままに、やすくつけけるなり。このごろは、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。人の名も、目なれぬ文字をつかんとする、益なきことなり。
何事も、珍しきことを求め、異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ。
ちょっと風変わりなのがカッコイイとばかりに、やたらと凝った名前をつける風潮を、兼好法師は苦々しく思っていたようです。「どんなことにおいても、珍しいことを求め、異説を好むのは、いかにも教養のない人がやりそうだ」と痛烈に批判しています。
大伴家持の「家(やか)」や源頼朝の「朝(とも)」なども、知っているから読めるものの、一般的な読み方ではないので、改めて考えると、由来がはっきりしないものも多いようです。人名や地名だけに使われる特殊な読み方というのは、いまに始まったことではなく、日本人は、昔から好んでキラキラネームをつけていたことが窺えます。
【参考文献】