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メアージュピース物語 第1部 永遠の仲間を見つけた冒険者達の章 外伝「大切な人を失ったあの日の記録」

 魔王を倒すべく生まれた初代勇者フォルチュナ。彼が山脈の大陸に興した勇者フォルチュナの村に世界で最後の勇者が生まれた。魔王亡き後も魔物の残党が細々と生き残り、人間を襲って来る。生まれたばかりの勇者と共に魔物退治の旅を夢見る5歳の少年、武器屋の息子バルティックと牧師の息子シティーリオ。親友同士の小さな夢はやがて村の少年少女達を巻き込み大きな冒険へと発展。村の長老との約束「勇者が20歳になる事、8人の仲間を集める事」。これを目標にバルは剣の腕、シティオは魔法の腕を磨きつつ年下の仲間達の鍛錬を手伝いながら2人で幼き日の夢を叶える…筈だった。最後の勇者とその仲間達の最後の旅が始まるまでの21年間を綴る。(300文字)

「メアージュピース物語 第1部 永遠の仲間を見つけた冒険者達の章 外伝
大切な人を失ったあの日の記録」あらすじ

 


     ―21年前―

 

         ‡

  

「これは、なあに?」

 此処は山脈の大陸フーペフープにある、勇者フォルチュナの村。

 世界を脅かす存在であった魔王を倒すべく、突如勇者の力を持って生まれた初代勇者フォルチュナ=グレンミスト。

 彼が後に此処ファドミルナ国の王女と結ばれ、興した村がこの勇者フォルチュナの村である。

 フォルチュナを始めとして、歴代の勇者達が世界平和の為に数々の冒険を繰り返し、早数百年…。

 このフォルチュナの村で武器屋を営んでいるマイケル=ファミーユは、息子に訊かれて剣を磨いていた手を止めた。

「これか?これは、銅の剣だぞ。持ってみるか?」

「うんっ!」

 マイケルは、危なくないように側にいる息子に剣を持たせた。

「わぁ…重たくて僕、持てないよーっ!」

 剣を持ってヨロヨロしている息子を見て、マイケルは大笑いした。

 そして剣を返してもらうと、息子に言った。

「お前には、まだ無理だったかな。でも…どうだ、剣を扱えるようになりたいか?」

 息子は暫く剣を見つめていたが、やがてマイケルを見上げて言った。

「うん、なりたい!だって僕、大きくなったら魔物達をやっつけに行くんだもん!えいっ、えいっ!」

 剣を振り回す真似をする息子を見て、これは将来有望だと考えたマイケルは、持ちやすく加工した木の棒を持って来た。

「よーし、じゃあ今日から剣の特訓だ!父さんが、相手になってやるぞ。お前にはこれをやるから、最初はこれを剣だと思って練習するんだ」

 マイケルに木の棒を渡された息子は、少し不満そうに言った。

「何か…カッコ悪いよ」

 そんな息子の頭をポンポンと撫でて、マイケルは笑った。

「そう言う事はな、1人前になってから言うもんだぞ。強くなりたいんだろ?」

 息子は、元気良く頷く。

「うんっ!いつもお祖母ばあちゃんが読んでくれる本の中にね、強ぉ―い戦士が出て来るんだよ。この村に昔いた勇者様を、助けたりしてたんだって。だから、僕も次に生まれて来る勇者様の為に、いっぱいいっぱい強くなっておくんだ!」

 息子はそう言って木の棒を振り回しながら、早速外へ飛び出した。

 マイケルも、後を追う。

「あ、シティオだ…シティオーっ!」

 友人を見つけたのか、息子はそちらへ走って行く。

 武器屋の息子として生まれたバルティック=ファミーユは、この時まだ5歳。

 どんな事にも負けずに挑戦する、好奇心旺盛な男の子だ。

「こらこらバル、何処へ行くんだっ?」

 トコトコと走って行くバルティックを、マイケルは息を切らして追いかけた。

「あれ、バル…どうしたの、木の棒なんか持って」

 彼はバルティックの友人、シティーリオ=レーライカ。

 同じ5歳で、教会の牧師の息子だ。

 木の棒を振り回して走って来たバルティックを見て、シティーリオは不思議そうな顔をしている。

「ああ、これ?あのね、僕、今日から父さんに剣を教わるんだよ!」

「えーっ、剣っ?」

 シティーリオが驚くのと、マイケルが追いついたのが同時だった。

 マイケルは、ちょっと走っただけなのに大分疲れた様子で言った。

「バ、バル、お前いつからそんなに足が速くなったんだ?それとも、父さんの運動不足かな…ああシティオ、こんにちは。おつかいに行って来たのかい?」

 マイケルに訊かれて、シティーリオは頷く。

「母さんが、5歳にもなったらおつかいくらい1人で行けないと、駄目だって言うんだ」

「それは、偉いなぁ!うちのバルは、おつかいなんて行った事もないんだよ…」

 そう言って、マイケルはバルティックをチラッと見た。

 バルティックは、ムッとした顔をする。

「だから僕は、剣で強くなるんだってば!」

 そんなバルティックを羨ましそうに見つめながら、シティーリオは言った。

「いいなぁ…僕も剣、やってみたいよ」

「じゃあ、一緒にやろうよ!」

 バルティックがそう言うと、マイケルはシティーリオの前にしゃがみ込んだ。

「でも…シティオのおうちは、教会だ。大人になったら、お父さんみたいな立派な牧師様になるんだろう?」

 シティーリオは、俯いて言う。

「そうだけど…でも、僕だって剣がやりたいよ。剣の強い牧師様がいちゃあ、いけないのかなぁ」

 そう言われてしまうと…マイケルは、頭を抱えた。

「じゃあ、こうしよう。ロイ牧師…じゃなかった、お父様に訊いて来てご覧。それで、いいよって言われたらバルと一緒に剣の練習をしよう」

 シティーリオは、笑顔で頷いた。

「分かった!僕、父さんに訊いてみる。それじゃあ、さようなら!」

「さようなら」

「バイバーイ!」

 走って行くシティーリオを見ながら、バルティックはマイケルに言った。

「シティオ、一緒に練習出来るといいね」

「そうだね」

 バルティックの言葉に、マイケルも素直に頷いた。

 

 

     1年後 ―20年前―

 

        ‡

 

「グ、グレンミストさんとこの奥さんが、妊娠っ?」

 朝食を取っていたマイケルは、思わずパンを喉に詰まらせそうになった。

「ええ、そうなの。しかも、ババ様の占いによるとその子はどうやら…」

 台所に立つ妻、バルティックの母であるエリー=ファミーユのその意味深な言葉を聞いて、マイケルはハッとした。

「まっ、まさかっ!」

「そう…その、まさかなのよ!」

 エリーは、皮を剥いて食べやすい大きさにした林檎の器をテーブルに置き、自分も椅子に座った。

「何、何?何が、まさかなの?」

 バルティックはミルクを飲み干すと、父と母の顔を交互に見た。

 エリーはニッコリ微笑んで、バルティックのコップにミルクを注いだ。

「バル…とうとう、勇者様が生まれるわよ!」

 それを聞いて、バルティックの顔はパーッと明るくなった。

「ほんとっ?」

「本当だ!バル、戦士として活躍する時が来たぞ!」

 マイケルがそう言うと、バルティックはそれは喜んだ。

「わーい、やったぁーっ!あ、でも…もう、魔王はいないんだよ?」

 マイケルは、ポリポリと頭を掻く。

「ま、魔王?ああ…そう言えば、そう、だったな」

「じゃあ、活躍出来ないわねぇ…うーん、残念」

 エリーもそう言い、3人は同時に笑った。

 その笑い声に驚いたのか、側に寝かせていた小さな子供が泣き出した。

「あらあら…ごめんね、起こしちゃって」

 エリーは子供を抱きかかえ、泣き止ませようとしている。

 この子供はバルティックの妹、当時2歳のメルローズ=ファミーユだ。

 バルティックは泣き叫ぶメルローズを見ながら、パンを齧って言った。

「メルが大きくなったら、僕が剣を教えてあげるんだ!」

 それを聞いたマイケルは、思わず咳き込んだ。

「おいおい、メルは女の子だぞ?そんなに逞しくして、どうするんだ」

 バルティックは、真面目な顔で言う。

「でも父さん、今の時代は女の子も強くないと、魔物には勝てないんだよ?」

「まあ!立派な御意見ね、バルティック?」

 エリーはバルティックを見て、感心している。

 その時、入口の方でノックの音がした。

「きっと、シティオだ!」

 口を拭いて椅子を飛び降りたバルティックは、急いでドアを開けた。

 其処には、木の棒を持ったシティーリオが立っていた。

「おはよう、バル!」

「おはよう、シティオ!ねえ父さん、早く行こうよーっ!」

 息子に急かされ、マイケルはゆっくりと立ち上がった。

「はいはい…じゃあ、ちょっと行って来るよ」

「行って来まーっす!」

「行ってらっしゃい、気を付けてね」

 母に別れを告げ、バルティックはシティーリオと一緒に歩き始めた。

 その後を、マイケルが追う。

 3人はこれから、いつも剣の練習をしている村の広場へ向かうのだ。

 シティーリオはバルティックと剣の練習をする為、あれから一生懸命牧師である父を説得した。

 マイケルの手助けもあって、シティーリオはようやく父から許しを得る事が出来たのだ。

 それからは毎朝朝食後、この広場で剣の練習をするようになった。

 あの日、剣を始めてからもう1年が経とうとしていた。

 2人とも年齢の割に覚えが早く、基礎もしっかり出来ている。

「ねえ、聞いた?勇者様の話…村の皆が、この話ばっかしてるんだよ」

 シティーリオに訊かれ、バルティックも頷く。

「うん、聞いたよ!もし魔王が生きていたら、その勇者様と一緒にやっつけに行くんだけどなぁ…」

「強いんだね、バルは…僕、そんな自信ないよ。だって魔王はもういないけど、村の外にはまだ魔物が沢山いるんだよ?」

 するとバルティックは突然立ち止まり、シティーリオに耳打ちした。

「シティオ…僕達が大きくなって剣も強くなったら、勇者様を連れて魔物をやっつける旅に出ようよ」

「えーっっっ?」

 シティーリオが驚くと、バルティックは人差し指を唇に当てた。

「しーっ!父さんに、聞こえちゃうだろ…それにさ、僕…お城とかも、見てみたいんだよ。父さんは昔、ファドミルナ城の兵士だったんだけど、とっても立派な建物なんだってさ」

 それを聞いて、シティーリオもバルティックに耳打ちする。

「僕の父さんは港町フィガーナまで仕入れに行ってるけど、港に止まってる船ってすっごく大きいんだって。僕、お城も船も両方見てみたいよ」

「じゃあ、決まりだ。大きくなったら、一緒に旅に出る…誓うか?」

 暫く迷っていたシティーリオだったが、バルティックの真剣な表情を見て大きく頷いた。

「うん、誓うよ!」

「約束だぞ!」

 2人は、元気良く広場へ走って行った。

 そう…バルティックとシティーリオの『勇者様との旅』は、この頃から既に計画されていたのだ。

 2人が、5歳の時である。

 

        ‡

 

 数ヵ月後。

 勇者の家系グレンミスト家に、新たな命が誕生しようとしていた。

「大丈夫じゃ、案ずるでない」

 この村に住む占い師ユーラシウラ=ルインドール、通称ババ様は静かにそう言った。

 出産には幾度も立ち会っている、シティーリオの母やその他近所の女性達は、産婆を買って出たババ様を手伝う為に、グレンミスト家に集まっていた。

 一方村の男達は、こう言う時に限って何もする事が出来ず、教会に集まってただオロオロと祈っている事しか出来なかった。

そして…。

「う、生まれおった!元気な男の子じゃ!すぐに、村の者達に伝えよっ!とうとう、勇者様が誕生したとなっ!」

 ババ様が叫ぶと、この事はすぐに村中に広まった。

「生まれたのはやっぱり、男の子だそうよ!」

「勇者の血を、継いでるんだって?」

「おめでとう、グレンミストさん!」

 村人達は、口々に勇者の誕生を喜んだ。

「もしかしたら、本当の意味での平和も近いかもしれないぞ!」

「いくら魔王がいなくなったとは言え、村の外にも出られないんじゃあ、気が休まらなかったもんなぁ…」

「魔物のいない、真の平和な世界が来るのね?」

 こうしてこの日の夜は、村中の人々が集まって盛大な宴が開かれたのであった。

 

 

 それから、数時間後。

 宴もようやく終わり、村人達が家へ帰った頃。

 長老と呼ばれているヘンリー=グレンミスト、その息子でフォルチュナの村の村長をしているテッド=グレンミスト、そのまた息子で今日初めて父親となったレイモンド=グレンミストは、生まれたばかりの勇者の将来について語っていた。

「あの子は、いつか旅に出る筈じゃ…」

 突然の長老の発言に、レイモンドは驚きを隠せなかった。

「おっ、お祖父じい様っ!突然、何を仰るんですかっ!あの子は…セディナードは、今日生まれたばかりなんですよ?それなのに、もう旅に出るだなんてやめて下さい!」

 しかし、長老は首を横に振る。

「いや、儂には分かる…あの占いババも言うとったがな、勇者として生まれたからには世界を知る必要がある」

「そんな…」

 苦い顔をする、レイモンド。

「幸いこの村の子供達は皆、勉強熱心じゃ。ほら、あの武器屋のとこの息子と教会のとこの息子は、剣の練習に励んどるそうじゃないか。ああ言う子達が側にいてくれれば、安心じゃろうて。のぉ、テッド?」

 同意を求められ、村長も頷いて言う。

「私も、とう様の言う通りだと思うぞ。お前は今日から勇者の父親なんだ、あの子の為になる事なら何でもしてあげなさい。全ては、運命の導くままにな…」

「お、お祖父様も父様も、何を仰っているんですか!いくら勇者だ運命だと言ったって、私は自分の息子を危険な目に遭わせるつもりは、絶対にありませんっ!」

「まあ落ち着くのじゃ、レイや…」

 長老は、興奮するレイモンドを宥めて言った。

「お前達にも子供の頃、よく聞かせたじゃろう?先代の勇者様、儂の曽祖父ひいじい様の話を」

「は、はい…よく、覚えております…10代目勇者、ジオシェード様…ですよね?」

 レイモンドに、頷いて見せる長老。

「曽祖父様が亡くなったのは、儂が9つの時じゃった。最後まで、村人達の事を案じておられてな…本当に優しく、立派な人じゃった。儂も大人になったら、この人のようになりたいと思ったもんじゃ」

「父様は確かその勇者様から、今までの歴代の勇者様のお話も、色々とお聞きになったんでしたよね?」

 村長の質問にゆっくりと頷きながら、長老は言った。

「その通り、昔は魔物ももっと頻繁に現れていたと言う。当然その魔物達は、その頭である魔王が操っていたのじゃが…昔の人々が魔王だと思っていたのは、実は魔王の手下にしか過ぎなかったらしいのじゃ」

 レイモンドは、驚いて訊く。

「えっ?そ、そうだったのですか?じゃあ、初代勇者様から永遠に語り継がれて来た、魔王退治の話は…」

「初代以下、歴代の勇者様達やその時代の人々は、それが魔王だと信じていたんじゃ。しかし倒しても倒しても、真の魔王はまた次の勇者が生まれると同時に、自分の手下を魔王として呼び寄せ、世界を脅かして行った」

「そ、そんな…」

 息を呑む、レイモンド。

「こうして、勇者と魔王の戦いは何十年も何百年も続いたんじゃよ」

「それで、とうとう先代のジオシェード様の時代に、真の魔王が現れたんでしたよね?」

 村長が思い出しながら訊くと、長老は茶を1口飲んで言った。

「そうじゃ。世界中の人々から、今度こそと期待をかけられていた曽祖父様は、そりゃあ弱音を吐きたい時もあった。何故自分の代に真の魔王が現れたのか、何故自分ばかりがこんな目に遭うのか、何故自分は勇者として生まれて来てしまったのか…とな」

「まあ、その気持ちは…当然のものです、よね」

 レイモンドが、静かに呟く。

 勇者を息子に持ってしまったレイモンドの胸中は、複雑だった。

 もし大切な可愛い息子が、そんな場面に出くわしてしまったら…と、考えただけでも恐ろしかった。

「そんな時に頭に浮かんだのは、初代勇者様の言葉だったそうじゃ」

「初代勇者…このフォルチュナの村を創設された、フォルチュナ様ですね」

 レイモンドの言葉に、頷く長老。

「フォルチュナ様はこれで戦いが終わりではない事が、お分かりになっていたのじゃろう。次に生まれて来る勇者、つまりグレンミスト家の子孫達の為にある手紙を残された」

 そう言って長老は立ち上がり、鍵付き戸棚の引き出しから古くなった薄茶色の封筒を取り出した。

「ま、まさか…数百年も、前の…げ、原本が、残っているのですかっ?」

 ハッとするレイモンドに、長老はその封筒を差し出した。

「歴代の勇者様は、旅のお守りとして必ずこの手紙を持って行ったそうじゃ。曽祖父様も旅の途中でこの手紙を読み、無事に戦いを乗り越える事が出来たと言っておった」

「す、凄い!あの初代勇者フォルチュナ様が、実際に書き記したものなんですよね?ああ、何て素晴らしいんだ…よ、読んでみていいですかっ?」

 レイモンドが興奮気味に訊くと、長老は黙って頷いた。

 封筒から便箋を取り出して読んでみると、中には次のような文章が書かれていた。

 


   この手紙を読んでいると言う事は、世界はまだ平和ではないと言う
  事だ。
   そして、勇者として生まれた事を疑問に思い、勇者として生まれた
  自分に腹を立てていると言う事であろう。
   無理もない、私も其方達と同じ悩みを持った。
   私と其方達とは同じ種類の人間であり、其方達は私の大切な子孫だ、
  その気持ちはよく分かる。
   戦いを目前に控えた今、悩みは大きくなるばかりであろう。
   いくら頑張ってもうまく行かない、何故自分だけがこのような目に
  遭うのかと。
   しかし、1人でいても悲しくなるだけだ。
   自分の隣を、見てみなさい。
   何がある、何が見える?
   それは仲間、仲間の笑顔だ。
   其方達には仲間がいる、勿論私にも。
   決して、1人ではないのだ。
   何でも、相談してみなさい。
   悲しみは半分に減り、喜びは倍に増える。
   私は何度となく仲間に助けられ、励まされた。
   戦って、苦しんで、辛い思いをしているのは其方だけではないと言
   う事を、どうか忘れないで欲しい。
   仲間達と協力し、どんな困難も乗り越えて欲しい。
   そして、皆が平和に暮らせる世界を築いて行って欲しい。
   多くの亡くなった人々の為にも、共に戦った仲間と自分の為にも。
   挫けず、頑張りなさい。
   私は、いつでも其方達の側にいる。
   其方達の、側に…。

                   フォルチュナ=グレンミスト 』

 

 

 声も出なかった。

 何とも言えない感情が込み上げ、それは涙となって流れ落ちた。

「曽祖父様も、これを読んで零れる涙を止める事が出来なかったそうじゃ。初代は、何と立派な勇者であったのだろう。それなのに、自分は悩んでばかり、愚痴を零してばかりだと…」

 そう言いながら、長老は手紙を丁寧にしまった。

「曽祖父様の仲間達もこの手紙を読んで、大きな感銘を受けたそうじゃ。曽祖父様一行は、この手紙のお陰で真の魔王を倒す事が出来た」

 レイモンドは、涙を拭った。

「セディナードも…このフォルチュナ様のように、立派な人間に成長する事が出来るでしょうか?」

「それは、父親であるお前次第じゃよ。危険な目に遭わせたくないと、変に過保護に育てても、いい結果は生まれないと言う事じゃ…」

 長老がそう言うのと同時にドアが開き、村長の妻であるリリア=グレンミストが入って来た。

「まだ起きてたの?お父様!早く寝ないと、体によくありませんよ!貴方も!」

 長老と村長は、ゆっくりと立ち上がった。

「やれやれ…では、年寄りは退散するとするかの」

「全く、リリアは魔王より怖いよ…」

「何か言ったかしら、貴方?」

 リリアに怒鳴られて、長老と村長は早々に部屋を追い出された。

かあ様…フローレンと、セディナードは?」

 レイモンドが心配そうに訊くと、リリアはニッコリと微笑んだ。

「大丈夫よ、心配しなくても2人ともぐっすり眠ってるわ。それにしても、貴方が父親になるなんてねぇ…私も、お祖母ちゃんでしょ?何だか、まだ実感が湧かないわ」

「母様、セディナードを勇者としてどのように育てて行ったらいいのか…私には、自信がありません」

 レイモンドの不安そうな表情を見て、リリアは向かいに座った。

「あのね、レイ。あの子…セディナードは、勇者である前に1人の人間なの。だから、勇者だ何だって煩く言わずに、今は普通の男の子として伸び伸びと育ててあげるのが1番いいと、母様は思いますよ?」

 リリアの話を、レイモンドは黙って聞いている。

「勇者としての自分を認識させるのは、それからでも遅くないんじゃないかしら。後は、両親であるレイとフローレンで、話し合って決めなさいな」

「そうか…うん…そうだね…」

 母に相談したお陰で、レイモンドは気持ちが楽になった気がした。

「有り難う、母様」

 レイモンドは礼を言うと、自分の部屋へと戻って行った。

「お休みなさい、レイ…私の可愛い、坊や」

 リリアは赤ん坊だったレイを思い出しながら、クスッと笑った。

 

        ‡

 

「勇者様が大きくなったら、僕が剣を教えてあげるんだ!」

 勇者が誕生してから、数ヶ月が経った。

 いつも通り、バルティックとシティーリオは広場へ向かって歩いていた。

 バルティックの言葉を聞いて、シティーリオは少し考えながら言った。

「でもさぁ…僕達と勇者様は、6歳も年が離れているんだよ?一体、いつになったら大きくなるの?」

「そんなの、すぐに大きくなるさ!後ね、僕はメルにも剣を教える事にしてるんだ!」

「えーっ、メルにもーっ?メ、メルは、女の子じゃないか!」

 驚くシティーリオに、バルティックは得意気な顔で言う。

「あのね、シティオ。今の時代は女の子も強くないと、すぐ魔物にやられちゃうんだよ?」

「ふーん、そうなのかなぁ…」

 分かったような、分からないような…と言った感じで、シティーリオが曖昧に頷く。

 バルティックは、思いついたようにシティーリオに言った。

「そうだ!ねえ、シティオもマリアに剣を教えてあげなよ!」

「えーっっっ?」

 シティーリオは、開いた口が塞がらなかった。

「ちょ、ちょっと、待ってよ!だって、マリアはシスターになるんだよ?それに、まだ4歳だし…5歳になったら、僧侶の勉強をさせるんだって父さんは言ってたけど」

「でも、それってシティオも勉強してるんでしょ?」

「そうだよ、でも難しいんだ。今は、怪我を治す魔法を覚えてる所なんだけどね、やっと掠り傷くらいなら治せるようになったんだ」

 それを聞いたバルティックは、尊敬の眼差しでシティーリオを見た。

「へぇーっ!凄いじゃないか、シティオ!」

 シティーリオは、照れながら微笑む。

「そ、そんな事ないよ…バルこそ、魔法やらないの?」

 バルティックは、木の棒を振り回した。

「僕は、剣が強くなれればそれでいいんだ。剣1本で、勇者様を守って見せるさ。あ、今日は父さんがいないだろう?だから、2人で決闘しようよ!」

 バルティックの父マイケルは青年の頃、山を越えた所にあるファドミルナ城の兵士をしていた。

 当時兵士達は皆、この地域一体の魔物退治を任されていた。

 マイケルはある日、兵士が休憩地点としていたこのフォルチュナの村を訪れた。

 其処で後の妻となるエリーに、一目惚れしてしまったのだ。

 やがて、マイケルは魔物との戦闘中に腕をやられる。

 その傷は、日常の事をするには何の問題もないものだった。

 しかし、兵士として剣を扱うには致命的だったのだ。

 其処で以前から仲を深め、傷の手当てもしてくれていたエリーと結婚。

 兵士を辞めて、彼女の父が営んでいた武器屋を継いだ。

 その傷のせいで、ほんのたまにだが今でも腕が痛む事がある。

 武器屋の仕事に差し支える事はないが、剣を教えるのは少々きつい。

 それで今日は、バルティックとシティーリオの2人だけで練習をする事になったのだ。

「えーいっ!」

「やーっ!」

「もらったぞっ!」

 勝負はついた。

 バルティックが勝ち、シティーリオは服についた砂を払った。

「どうしてバルは、そんなに強いんだろう。僕は教会の息子だから、駄目なのかな…」

 俯くシティーリオに、バルティックは言った。

「そんな事、関係ないよ。シティオは、魔法が使えるじゃないか。僕は剣、シティオは魔法で勇者様を助ければいいんだよ」

 シティーリオは、顔を上げて微笑んだ。

「うん、そうだね…あのさぁ、バル。僕、勇者様を見に行きたいんだけど。この前よく見えなかったんだよ、人がいっぱいいて」

「いいよ、行こう!」

 バルティックも賛成し、2人は勇者の家へ向かって走って行った。

 

 

「うわぁ…小っちゃぁーいっ!」

「ほら、僕の手よりも小さいよ!」

 バルティックとシティーリオは、ベビーベッドで眠るセディナードを見て、驚きの声を上げている。

 勇者の母であるフローレン=グレンミストは、体力も元に戻って普通に家事をこなしていた。

「さあ、お菓子どうぞ」

『有り難う御座います!』

 2人は、出されたお菓子を喜んで食べた。

「勇者様は、大きくなったら旅に出るの?」

 シティーリオの突然の質問に、フローレンの表情が曇る。

 バルティックは言った。

「シティオ!勇者様はまだ生まれたばかりだから、そんな事訊いちゃ駄目なんだよ」

 すると、フローレンはクスッと笑った。

「いいのよ。そうねぇ…この子がどんな風に育って行くのか、おばさんにはまだよく分からないの。でも、貴方達みたいなお友達がいてくれたら嬉しいわ」

「ほんと?」

 それを聞いて喜んだのは、シティーリオだ。

「本当よ。この子が歩けるようになったら、一緒に遊んでやってくれるかしら?」

『はいっ!』

 揃って頷く2人を見て、フローレンも笑顔で頷いた。

「そう、良かったわ。じゃあ洗濯物干して来るから、ゆっくりして行って頂戴ね」

 セディナードが眠っているのを確認して、フローレンは部屋を出て行った。

 それと入れ違いに、長老が部屋に入って来る。

「おやおや…これはこれは、小さな戦士達よ」

「あ、長老様だ!」

「長老様、こんにちは!」

 元気のいい2人を見て、長老はニコニコしながら向かいに座った。

「こんにちは…して、今日はどんな御用で此処へ?」

「今日は、勇者様を見に来たんだ」

 シティーリオはそう答えて、脇で寝ているセディナードを見た。

「セディナードって言う名前なんでしょ?カッコいいね!」

 バルティックの言葉に、長老は機嫌を良くしながら言った。

「ふぉっふぉっふぉ、そうじゃろうそうじゃろう!何せ、儂が付けた名前じゃからのぉ。ところで、其方達の名は確か…」

「僕は武器屋の、バルティック=ファミーユです!」

「僕は教会の、シティーリオ=レーライカです!」

 自己紹介する2人を見て、長老は目を細める。

「ほう…ファドミルナ城元兵士の息子殿と、牧師様の息子殿とは…これは、頼もしい!セディの仲間には、ピッタリじゃ!」

「じゃあやっぱり、勇者様は旅に出るの?」

 シティーリオが、先程の質問を繰り返す。

 長老は咳払いを1つすると、呟くような小声で言った。

「あまり、大きな声では言えんが…恐らく、そうなるじゃろうな」

「長老様っ!」

 其処で突然、バルティックは叫んだ。

「僕達も、勇者様と一緒に旅に出たいんだっ!魔物を全部やっつけて、平和な世界にしたいんだっ!」

「ぼっ、僕もですっ!」

 シティーリオも、続けて言う。

 2人の真剣な眼差しを見て、これはセディナードに相応しい男になると見極めた長老は、静かに頷いた。

「良いか、2人とも。儂の話を、よく聞くのじゃ」

 2人は、緊張しながら背筋を伸ばした。

「旅に出るのは、このセディナードが20歳になるまで待つ事。世界を旅しても大丈夫なくらい、強くなる事。そして、セディナードと其方達を含めた総勢8名の仲間を揃える事…この条件を全て満たす事が出来たら、旅に出る事を許可する」

 ゴクリと、息を呑む2人。

「どうじゃ、其方達2人で頑張れるか?」

 2人は、顔を見合わせたまま固まった。

 しかしシティーリオが頷いたので、バルティックも頷いて長老に言った。

「出来ますっ!絶対、頑張るよ!」

 長老も、頷いた。

「宜しい…まあ、其方達は剣が得意のようじゃから、強くなるのもすぐじゃろうて」

 しかし、シティーリオは不安そうに俯いた。

「バルは、凄く強いんだ。でも、僕は…」

 弱気なシティーリオを見て、長老は大笑いした。

「ふぉっふぉっふぉ!良いか、シティーリオ。いくらバルティックが剣が強いとは言え、もし大怪我を負ってしまったどうする?流石のバルティックとて、何も出来ずにただ立ち尽くす事しか出来ないじゃろう?」

「う、うん…」

 頷くシティーリオ。

「じゃが、シティーリオには何が出来る?傷付いた仲間を、回復させる事が出来る。つまりな、シティーリオ…バルティックも勇者であるセディナードも、シティーリオがいなければ何も出来んと言う事なんじゃよ。儂は何か間違った事を言っておるかな、バルティック?」

 長老に訊かれて、バルティックは首を横に振った。

「長老様の、言う通りだよ!だからシティオ、一緒に頑張ろう!」

 バルティックにも励まされ、シティーリオはようやく元気を取り戻した。

「うん、そうだね…僕、頑張るよ!バル、有り難う!長老様、有り難う!勇者様が大きくなるまでに僕、絶対強くなるよ!バル、練習しよう!」

 シティーリオがそう言って立ち上がると、バルティックも頷いて長老に言った。

「じゃあ長老様、僕達帰ります」

「おお、そうか…気を付けてな」

『さようなら!』

 長老に見送られて、2人は元気良く走って行った。

「セディナードよ、剣はあの子達に教えてもらいなさい。お前にとって、大事な仲間となる子達じゃ。あの子達なら、安心して任せられる。お前も、強くて優しい子になるのじゃぞ…」

 長老は去って行く2人の背中を、いつまでも微笑ましく見つめていた。

 


     7年後 ―14年前―


        ‡ 

 

「そう、その調子!其処だ!そう、うまい!よし…じゃあ、2人とも休憩にしよう」

 そう言って、バルティックは大きな岩の上に腰掛けた。

 すっかりお兄さんらしくなった12歳のバルティックは、朝練習のリーダーとして立派に活躍していた。

「ねえねえ、バル!僕、本当にうまくなってるのかなぁ…メルは女の子なのに、僕よりぜーんぜん強いや!」

 勇者セディナードは、6歳になっていた。

 剣の練習を始めてまだ1年しか経っていないのだが、流石勇者の血を受け継いでいるだけあって、かなり飲み込みが早い。

「ちょっとセディ、何言ってんの?私はセディより2つもお姉さんだし、3年も多く剣の練習してるんだから、私の方が強いのは当たり前でしょ?セディも一生懸命練習しないと、宿屋のアストリアって子に負けちゃうよ?」

 バルティックの妹メルローズは、8歳になった。

 妹に剣を教えたいと言う兄の情熱に負け、メルローズも5歳から剣の練習を始めた。

 それから3年が経ったが、8歳にしては男の子も顔負けの上達振りを見せている。

「あの子は、剣には向いてないよ。まだ4歳なのに、文字の読み書きや数の計算を覚えるのに、夢中だって話だからね。どっちかと言ったら、魔法が得意なタイプじゃないかな」

 バルティック同様、12歳になったシティーリオが呟く。

 バルティックは、考え込みながら言った。

「じゃあ、将来は賢者かなぁ…」

「でも宿屋の息子なんだから、将来は宿屋を継ぐんでしょ?」

 そう言うメルローズに、バルティックは首を横に振った。

「違うよ、メル。旅に出るに当たって、パーティにこんないっぱい戦士がいても、しょうがないだろう?だから僕は、将来有望な賢者をずっと探していたんだ」

 シティーリオは、呑気に指折り数える。

「じゃあ、アストリアもメンバー決定だね。と言う事はバルに僕、メルとアストリア、そして勇者セディ…5人決まったから、あと3人か」

「おいおい、あと3人かって…マリアが入ってないじゃないか、シティオ。そうすれば、あと2人だ」

 バルティックの思わぬ発言に、シティーリオは目を丸くした。

「マ、マリアって…あ、あいつ、大人しいから、旅になんてついて来るかなぁ。それに僧侶の勉強しかしてないから、役に立つかどうか…」

 マリアージュ=レーライカは当時10歳、シティーリオの妹である。

 大人しくて無口だが、兄思いの優しい子だ。

 そんな妹を可愛がっているシティーリオは、マリアージュを危険な旅の仲間に入れるのは、正直言ってあまり乗り気ではなかった。

 すると噂をすればで、マリアージュが広場へやって来た。

「あ、マリアだ!」

 セディナードが初めに気が付き、皆もそちらの方向を見て手を振る。

 マリアージュも手を振りながら、こちらへ走って来た。

「お兄ちゃん、もうお昼だから帰って来なさいって」

 シティーリオは、驚いて言う。

「え、もうそんな時間なのか?」

「そう思ったら僕、急にお腹が空いて来ちゃったよ…」

 お腹を押さえるセディナードを見て、皆が笑う。

 バルティックは、此処ぞとばかりにマリアージュに訊いてみた。

「なあ、マリア。僕達の仲間に、入らないか?」

「えっ…」

 突然のバルティックの誘いに、マリアージュは唖然とした。

 まだ10歳の彼女は、突然10年も15年の先の話をされても、どうしたらいいのか分からなかった。

 バルティックは、尚も続ける。

「マリア、僧侶的な存在が必要なんだ。回復魔法は、使えるんだろう?シティオと協力すれば、何とかなるよ」

「で、でも…」

 迷っていたマリアージュだったが、旅への参加を決定付ける一言を、バルティックはこの後言う事になる。

「魔物が近付いて来ても、マリアには指1本触れさせないよ。僕が、マリアを守る」

 それは、10歳の乙女心をくすぐるには十分な言葉だった。

 その後は兄が何を言っても、マリアージュの耳には入らなかったのである。

「マリア、危険だよ!剣をやってる訳じゃないから、戦う事は無理だろう?回復とかの僧侶魔法だけでは、とてもじゃないけど…」

「私、仲間に入る…」

 マリアージュの返事は、皆を驚かせた。

 殊に兄のシティーリオは、暫く開いた口が塞がらなかった。

「マリア…大人しいだけだと思ってたけど、見直した!」

 そう言ったのは、メルローズだった。

 彼女は自分より2つも下だが、兄達と共に剣の練習をしている。

 そんなメルローズを見て、マリアージュはいつも羨ましいと思っていた。

 自分の方がお姉さんなのに、メルローズの方が年上に見える。

 そんな頼りない自分が、嫌だった。

 だけどこの旅に参加すれば、もしかしたら変われるかもしれない。

 マリアージュは、ふとそう思った。

 そして、バルティックの言葉…この2つが決定打となって、マリアージュの口からOKの返事が出たのだ。

「マリアも来てくれるなんて、心強いね!」

 嬉しそうなセディナードの頭を撫でながら、バルティックも頷いた。

「そうだな。これで、あと2人か…ああ、ペルも入れようか?」

 メルローズの次に生まれたバルティックの2人目の妹、ペルティエ=ファミーユはこの時まだ2歳。

 そんな小さな子供の将来まで、もう決めてしまうとは…バルティックの無責任な発言に、メルローズは慌てながら言った。

「ちょっ、バ、バル兄さんっ?ペルは、まだ2歳…」

「いいんだよ。お前が2歳の時だって、僕はメルに絶対剣を教えるんだ!って、決めてたんだからな!」

 偉そうに言うバルティックを見て、メルローズは呆れながら頭を抱えた。

「全く…」

 やがて、シティーリオは皆に言った。

「じゃあ取り敢えず、僕達は帰るよ。行こう、マリア」

 頷いたマリアージュも、皆に手を振る。

「さようなら」

 2人を見送った後、残った3人も自分の家へと帰って行った。

 

        ‡

 

 それから、数週間後。

「おじさん、戦士なのに武闘家なのっ?」

 メルローズは、興味津々で目の前にいる男性の顔を見つめている。

「おじさんって言うか、まだ28なんだけど…」

 男性は、苦笑いしながら言った。

「ハハハ、そ、そうだよ!お・兄・さ・んっ!はね、武闘家でもあり戦士でもあるんだ。つまり、最悪相手に剣を取られた場合でも、魔法が使えなくても、この腕だけで十分戦える技を持ってるって訳だ!」

「す、凄い…」

 バルティックはその男性の話を聞いて、尊敬の眼差しを向けた。

 今日バルティック、シティーリオ、メルローズ、セディナードの4人は、アストリアの家族が経営している宿屋に来ていた。

 当時4歳のアストリア=ラッセルは、毎日客の部屋を1つ1つ回っては、世界中の色々な話を聞き出していると言う。

 4歳のアストリアが、果たしてそれを計画的にやっているのか…。

 それは定かではないが、これから旅に出ようと言うバルティック達にとって、その行動を真似しない手はない。

 今日1日、情報収集に充てようと考えたバルティックは、3人を引き連れてこの宿屋へとやって来たのだ。

 2階の1号室に泊まっていたこの男性は、28歳。

 真の魔王が倒れてから数十年、本当に世界は平和になったのかどうかをこの目で確かめたかったと言う、気ままな1人旅だ。

 しかも、この男性は戦士だと言うのに、武闘家の術まで心得ていると言う。

「ねえ、おじさんは強い訳っ?本当に、世界は平和だったっ?」

 尚もメルローズは、おじさん攻撃を繰り返している。

「お…お・兄・さ・んっ、はねぇ、結構強い方だと自分では思うよ。それから僕は隣の大陸から来ただけで、まだ全部を回った訳じゃないから、平和かどうかは分からないな。でも、魔物はまだまだ沢山いたよ」

 4人は、改めて外の世界の恐ろしさを知ったのだった。

「おじさんかい?おじさんはね、行商をしているんだよ」

 3号室の中年の男性は、行商をして各地を旅しているらしい。

「おじさん、魔物いるのにどうやって此処まで来たのっ?」

 またもや、メルローズの質問だ。

 男性は、笑って答える。

「いいかい、こう見えてもおじさんは魔法が使えるんだ」

「う、嘘っ?」

「嘘なんかじゃないさ。おじさんの放つ攻撃魔法は、強力なんだぞ。魔物なんか、剣がなくたってイチコロだ!」

「へぇーっ、そうなんだぁ…」

 メルローズが攻撃魔法に興味を持ち始めたのは、恐らくこの頃からであろう。

 この行商の男の言葉が切っ掛けになったと言っても、過言ではないかもしれない。

 バルティック達が感心していると、男性は細長い紙筒を袋から取り出して言った。

「これは世界地図と言って、売り物の1つなんだが…」

「せ、世界地図、ですか?」

 バルティックの目が、輝く。

「ああ、そうだよ。おじさんが常日頃思っている事はね、世界はどう言う形をしていて、海を越えるとこんな大陸があって、其処にはこんな城が建っている…なんて事を、人々はあまりにも知らなさ過ぎると言う事なんだよ」

「僕も、知らないなぁ…」

 セディナードが、困った顔をしながら呟く。

 男性は、ハハハと笑った。

「ボクはまだ小さいから、無理もないよ。とにかくね…何故知らないかと言うと、それは自分の住んでいる村や町から、1歩も外に出た事がないからなんだ。真の魔王が倒されたとは言え、まだ魔物は多いからね…」

「確かに、そうですね…」

 頷く、シティーリオ。

「そんな人達の為に、世界地図も商品の1つとして置いてあるんだよ」

 話を聞きながら、4人の意見は既に一致していた。

 バルティックが、男性に訊く。

「おじさん、それいくらですか?」

 男性は、驚いて言う。

「きっ、君達、買うのかい?」

『うんっ!』

 4人は、同時に頷いた。

 男性は暫く考え込んでいたが、4人の眼差しを見て今すぐにでも、旅に出たいんだと言う強い意志を悟った。

「今、いくら持ってるのかな?」

 男性に訊かれて、すぐさま4人はポケットの中のコインを探った。

 バルティックは36モール、シティーリオは31モール、メルローズは20モール、セディナードは13モール…計100モールしかなかった。

「これだけ、です…」

 バルティックは、皆の全財産を男に渡した。

 金を受け取った男性は半分の50モールを袋にしまい、もう半分をバルティックの手の中に返した。

「出血大サービス!50モールでお買い上げだ!」

 男性は世界地図を丸めると、筒に入れてバルティックに手渡した。

 4人は一斉に喜び、男性に礼を言った。

『有り難う御座いました!』

「ああ、頑張って強くなるんだよ」

『はいっ!』

 4人は揃って返事をすると、男性に別れを告げて元気良く部屋を飛び出して行った。

「あーあ、本当は1200モールだったのにとんだ赤字だったな…ま、いいか」

 男性は、何故か清々しい気持ちで笑みを浮かべた。

 

 

 広場まで走って来た4人は、息を切らしながら草の上に座った。

「凄いよ、僕達!世界地図を、手に入れたんだ!」

 セディナードは、大喜びではしゃいでいる。

「しかも、僕達だけの地図だ。旅への、1歩前進だな!」

 そう言って、バルティックは地図を広げた。

 大きく分けて、大陸は全部で10あった。

 それぞれの大陸には城、町、村などがあり、港からは船も出るようだ。

「僕達の住んでいる大陸は、この山脈の大陸フーペフープか…」

 シティーリオは指で辿りながら、地図に記されている大陸の名を読み上げた。

「氷の大陸、水の大陸、花の大陸、森の大陸、砂漠の大陸、山脈の大陸、草原の大陸、岩壁の大陸、魔の大陸に死の大陸かぁ…世界って、やっぱ広いんだな」

 メルローズが、先程の話を思い出しながら言う。

「1号室のおじさん、隣の大陸から来たって言ってたよね。隣って言うと氷の大陸か草原の大陸だけど、どっちから来たのかな」

「うーん…何となく、草原?」

 セディナードが、適当に答える。

「何、それ?ただの、セディのおじさんに対するイメージじゃん!」

 メルローズが笑う。

 すると突然、バルティックはガバッと立ち上がった。

「ビッ、ビックリしたぁ…ど、どうしたんだよ、バル」

 驚くシティーリオの肩に手を置いて、バルティックは言った。

「僕、武闘家になる」

『えぇーっっっ?』

 皆が、声を上げる。

「ど、どうして、バル兄さん…」

 メルローズの質問に、バルティックは真剣な表情で答えた。

「聞いただろう、1号室の人の話を!戦士なのに、武闘家の技も使えるんだ。こんな凄い事って、ないじゃないか!僕は、今よりもっと強くなりたい!」

「そんな、無茶な…僕は、やらないよ。剣と僧侶の勉強で、精一杯だ」

 シティーリオが呆れた顔をすると、バルティックは頷いて言った。

「ああ、僕1人でやるよ。あの人に、頼んで来る!」

 そしてバルティックは、宿屋の方へ走って行ってしまった。

「全く…バルは、こうと決めたら即実行だもんなぁ。もう、誰にも止められないよ」

 シティーリオは、相変わらずの呆れ顔で溜息をついた。

 

        ‡

 

 数日後。

 バルティックは父やシティーリオ達と剣の練習をした後、宿屋に泊まっていたその男性と、武闘家になる為の稽古をするようになった。

 男性は急ぐ旅でもないからと、真剣なバルティックの頼みを聞き入れてくれたのだ。

 男性の名は、ネルス=トラップ。

 山脈の大陸フーペフープの隣、草原の大陸ノークノーカにある港町ヌイラートから来たと言う。

 彼の父はランツドーエ城で近衛隊長をしており、若い頃から剣の腕は抜群だった。

 兄のハリスは33歳、ヌイラートで未来の武闘家…つまり子供達の為に、武道場で技を教えている。

 ネルスはそんな兄から武闘家の技を、父から剣を教わり此処まで成長した。

 その技を、今度はバルティックが教わろうとしている。

 ちなみに…ネルスが旅に出た理由は、近衛隊長だった父が最近引退して家にいるようになってしまったので、その口煩い父から逃げる為…と言うのも、あったようだ。

 兄は家庭を持って既に独立、母はのほほんとした性格で我関せずなので、父の小言の矛先は自動的にネルスに向いてしまうらしい。

「武闘家は、武器を使わない。使えるのは、自分の体だけだ。ポイントは素早さ、身軽さ、それから…」

「凄いなぁ、バルは…」

 引き続き、広場で武闘家の技の練習をするバルティックを見て、セディナードはポカンと口を開けて驚いている。

 シティーリオは、セディナードの肩を叩いて言った。

「それより、僕達も早くやろうよ」

「あ、うん!」

 バルティックがネルスから武闘家の技を教わる事になったので、セディナードはシティーリオから回復魔法を、メルローズはババ様から攻撃魔法を教わる事にした。

「セディは本当に飲み込みが早いから、僕も教えやすいよ。やっぱ、勇者の血が流れてるからなのかなぁ…」

「そうなの?僕は、よく分からないけど…」

 考え込むシティーリオを横目に、セディナードは草の上に座って、パラパラと回復魔法の本を捲り始めた。

 

 

「ババ様ぁーっ!私も、占いやりたぁーいっ!」

 戸棚にしまってある占い道具を見ながら、メルローズははしゃいでいた。

 ババ様は、着々と魔法の準備をしながらメルローズに言った。

「駄目だよ。お前は、剣や攻撃魔法を覚えたいんだろう?それにな…占い師も勇者と一緒で、このルインドールの家系に占い師としての血を継いで生まれた者でないと、出来ないんだよ」

 ババ様の話を聞いて、メルローズは不貞腐れた表情を浮かべた。

「なーんだ、つまんないの。勇者も占い師も、決まった人しかなれないなんてさ…でも、やっぱりそれなりに苦労があるんでしょ?きっと、私には耐えられないわね」

 メルローズは広場での剣の練習が終わった後、ババ様の家で熱心に攻撃魔法の勉強に取り組んでいた。

 しかし、好奇心旺盛なメルローズは占いにも興味を持ち、棚から様々な占いの本を取り出しては、読んでいる。

「いいから、こっちの本をお読み。お前は、中々素質があるよ。恐らく、かなりの戦力になる筈じゃ」

 それを聞いたメルローズは、目を輝かせた。

「ほんとに?私、バル兄さんには負けていられないの。これからは女も戦う時代なんだって、兄さんは私が小さい頃からいつも言ってた」

「そうかいそうかい、それは頼もしいねぇ。お前は本当にしっかりしておるし、兄さんに負けず劣らず頼りになりそうな子だよ」

 そう言って、ババ様は水晶玉に被せてあった布を取り、何やらブツブツと唱え始めた。

 メルローズは読んでいた本を閉じ、ババ様をジッと見つめる。

「何を占ってるの?」

「お前達の、旅の事だよ」

 メルローズは、驚いた顔で言う。

「そんな事、分かるの?」

「そりゃあ、ある程度の事は分かるさ。お前達が旅に出るだろう事も、セディナードが生まれる前から分かっていた事なんだよ」

「す、凄い…」

 メルローズは、目を丸くしている。

 やがてババ様は念じるのをやめ、水晶玉を見つめ始めた。

 メルローズも後ろから覗き込むが、何も見えない。

「どう?私には、なーんにも見えないただの透明な水晶玉だけど…」

 メルローズに訊かれて、ババ様は囁くように答えた。

「8人の人影…」

「やったぁーっ!ちゃんと、8人揃うんだね?」

 ババ様は頷き、更に言った。

「男女、4人ずつのようじゃな…」

「って事は、女は私とマリア、まあ一応ペル?男はセディ、バル兄さん、シティオ、で一応アストリア…男は、これで4人揃ったのかな?」

「シティーリオ…」

 メルローズが指折り数えるのを聞きながら、ババ様はハッとして顔を顰めた。

「どうしたの?」

 メルローズに顔を覗き込まれたババ様は、慌てて水晶玉に布を被せた。

「い、いや、何でもない。さてと…占いは、これで終わりじゃ。ほれ!勉強をしなさい、勉強を!」

「えーっ!旅について、もっと色々訊きたかったのに!」

 駄々をこねるメルローズに、ババ様は言う。

「駄目じゃ駄目じゃ!そのように集中力が散漫なのでは、バルティックに負けてしまうぞ。年下である、セディナードにもな?」

「そ、それは、困る…」

 負けず嫌いのメルローズは、渋々と本を読み始めた。

「シティーリオらしき影が見当たらんかったが、あの子はメンバーから外れてしまうのだろうか。それとも…どちらにしろ、嫌な事が起こらなければ良いのじゃが…」

 ババ様は暫くの間、水晶玉で見た事が気になって仕方がなかった。


 

     9年後 ―12年前―

 

        ‡

 

「どうして?どうして、やりたくないんだ?」

「やーっ!やなのーっ!」

「バ、バル、あまりしつこく言わない方が…」

 バルティックは、2人目の妹ペルティエに剣の練習を勧めていた。

 しかし、ペルティエは駄々をこねてやろうとはしない。

 それを見ていたメルローズは、しつこく迫る兄を止めていた。

「いいか?男ならまだしも、女の場合は剣をやるなら早めに始めた方がいいんだ」

「だけど、嫌がってるよ」

 メルローズに言われて、バルティックは深い溜息をついた。

「まあ、無理に勧めるのも良くないか。メルなんか、一緒になって木の棒を振り回したもんだけどなぁ」

「と、とにかく!私達は、剣の練習に行こうよ。きっともう、シティオ達待ってるよ?」

「あ、ああ、そうだな」

 バルティックは諦めて、メルローズと一緒にいつもの広場へ向かった。

「バル!メル!」

 前を歩く2人を見つけて駆け寄って来たのは、シティーリオとマリアージュだった。

「おう、おはよう…あれ、セディは?」

「今来るよ、ほら」

 シティーリオに言われて後ろを見ると、セディナードが慌てて走って来た。

「おはよーっ!アストリアも、もうすぐ来るよ」

「そうか。じゃあ取り敢えず僕達は、先に広場へ向かおう」

 バルティックの言葉に皆は頷き、広場への道を急いだ。

 バルティックとシティーリオが、2人きりで始めた毎朝の広場での練習。

 それは9年経った今、何と6人もの人数に増えていた。

 14歳になったバルティックは剣の練習をした後、武闘家の技のトレーニングも欠かさず続けている。

 師匠のネルスはあれから2ヶ月間、バルティックの為にずっと指導してくれた。

 しかし、永久に滞在する訳にも行かないので、ネルスはバルティックの為に今後の練習内容を、わざわざ書き留めて行ってくれたのだ。

 それを元に、バルティックは独自のメニューも合わせて、練習を続けている。

 同じく14歳のシティーリオは、大分僧侶についての知識と技が上達して来ていた。

 剣の練習の後は、セディナードに回復魔法を教えると言う日々が続いている。

 10歳のメルローズは剣は勿論、攻撃魔法も板について来た。

 時々失敗はするものの熱心に取り組んでいるので、ババ様も期待しているようだ。

 8歳のセディナードは、剣やシティーリオとの魔法の傍ら、勇者としての勉強も自宅で行っていた。

 長老が、勇者としての知識をセディナードに伝授しているのだ。

 最近では、今からでもいつか行くであろう旅に向けてチームワークを高める為、候補として挙がっていたマリアージュやアストリアも、練習に参加していた。

 マリアージュは、12歳。

 昔は、純粋にシスターになる為の勉強しかしていなかったのだが、メンバーに入る事を決意してからは僧侶魔法も覚え始めた。

 アストリアは、6歳。

 4歳の時から、既に勉強熱心だったので6歳になった今、身につけた魔法の腕は驚くべきものになっていた。

 5歳で魔法使いの魔法と僧侶の魔法、どちらにも手をつけていたと言う。

 其処を見込んで、バルティックはアストリアに仲間に入るよう、説得しに行ったのだった。

 アストリアも、最初は子供のくせに生意気な口を叩いていたが、バルティックのあまりのしつこさに、とうとう折れてしまったと言う訳だ。

 メルローズの『自分の力がどの程度なのか、実戦で試す事が出来るよ。それに5歳でそれだけ使える力を、そのままにしとくのは勿体無いなぁ…』と言う言葉がアストリアの自尊心を駆り立てたようだが、大半はバルティックの粘り勝ちと言えるかもしれない。

「やっと来たよ、アストリア」

 セディナードの言葉に、皆が振り返る。

 アストリアは注目を浴びながら、ゆっくりと歩いて来た。

「遅かったな、アスト」

 バルティックが話しかけると、アストリアは抱えていた本を大きな岩の上に置いて、溜息混じりに言った。

「それどころじゃないんだ。僕の家に泊まってる、行商の人達の事なんだけど…」

「行商?ああ、一昨日この村に来たって言う…」

 シティーリオの言葉に頷き、アストリアは話を続ける。

「その3人の内の女の人が、急にお腹が痛くなり出して…」

「そう言えば、お腹大きかったけど…え、もしかして赤ちゃん生まれんのっ?」

 メルローズが訊くと、アストリアは首を横に振った。

「それが…もう、生まれそうなんだよ!」

『えぇーっっっ?』

 皆は、一斉に声を上げた。

 アストリアの話によるとババ様の家に妊婦を運び、女性陣はまた手伝いに参加していると言う。

 皆はいても立ってもいられず、ババ様の家へと急いだ。

「でも…他の国の人の赤ちゃんがこの村で生まれるなんて、何か凄いね」

 走りながら、マリアージュがそう呟いた。

 バルティックも、頷きながら言う。

「ほんとだよ。けどさ、その人達生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、また行商を続ける気なのかな…」

「僕は、この村でお店を開いてもいいと思うな」

 セディナードがそう言うと、皆も口々に自分の意見を言い始めた。

 そうこうしている内に、ババ様の家が見えて来た。

 表では、近所の女性達が忙しそうに出たり入ったりしている。

 其処にポツンと、大荷物を背負った男が心配そうな顔をして立っていた。

「きっと、あの人がお父さんになる人じゃない?」

 メルローズがそう言うと、皆は一斉にその男の許へ駆け寄って行った。

「おじさんは、お腹が大きい人の旦那さん?おじさんが、赤ちゃんのお父さんになる人なんでしょ?」

 いつか聞いた事のあるような、メルローズの質問が始まる。

「そ、そうだよ…」

 男はそう答えて、チラチラと窓の中を覗いたり、ドアの向こうを見たりしている。

「おじさん、落ち着きがないね?赤ちゃん、まだ生まれないの?」

 メルローズは、尚も質問を続ける。

 すると、アストリアが言った。

「おじさんっ!もうすぐ父親になるんですから、もうちょっとしっかりしたらどうなんですかっ?」

 皆はしんとなり、メルローズがボソッと呟いた。

「ご尤もな、ご意見で…」

 6歳の子供にまで説教され、反省しながらその男は言った。

「た、確かに、君の言う通りだよ。しかしね、初めての子なもんだから私もどうしたらいいのかと、色々考えてしまってね…」

 その時だった。

 元気のいい赤ん坊の声が、村中に響き渡った。

「うっ、うぅっ、生まっ、生まれたっ?」

 再び男は慌て出し、その場を行ったり来たりし始めた。

 バルティック達が顔を見合わせていると、ババ様が外へ出て来た。

「赤ん坊は無事生まれたよ、母親も元気だ。アンタも、今日から立派な父親に…おや、お前達もいたのかい?」

 ババ様はバルティック達に気が付き、父親となった男と共に中に入るよう勧めた。

「おお、私の子供だ!よく頑張ったな、メアリー!」

「貴方…」

 寝ていた妻が、嬉しそうな顔で夫を見上げる。

 生まれた子供は、女の子だった。

 今も、元気な声で泣き続けている。

「凄い…」

「小さいね」

「可愛い!」

 バルティック達は、口々に生命の誕生を喜んだ。

 ババ様は、夫婦に言う。

「全く…大体、どうしてこんなにお腹が大きいのに、出発しようとしたんだいっ!アンタ達、まさか自分の子供の無事よりも商売の方が大事だなんて、バカな事言うんじゃないだろうねっ?」

 夫は、俯きながら言った。

「と、とんでもありませんっ!大丈夫だと思ったんですよ、本人もそう言っていたので。それにあまり長く居過ぎても、村の皆さんにご迷惑が掛かりますし…それで、出発しようかと」

 バルティック達は、黙って夫の話を聞いている。

「ですが、その判断がかえって皆さんにご迷惑を掛ける結果となってしまい、本当に何とお詫びとお礼を申し上げたら良いか…」

「でもね、僕は村の人の迷惑とかよりも、赤ちゃんとおばさんの体の方が何倍も大切だと思うよ。だって、おじさんにとって1番大切な宝物じゃないか、この2人は。それに、この村の人達は迷惑だなんて思ってないと思うし、そんな冷たい人いないよ?」

 セディナードのその言葉に、皆は顔を見合わせた。

「だからね…おじさん、色々と考え過ぎなんじゃないのかなぁ…」

 メルローズが、またボソッと呟く。

「ご尤もな、ご意見で…」

 ババ様は、頷きながら夫に言った。

「セディナードの、言う通りじゃ!自分の妻の容態も分からんとは夫として失格、父親としても失格じゃな。8歳の子に説教されるとは、全く情けない!」

「さっきは、6歳のアストにもしっかりしろって言われてたんだよ、このおじさん」

 メルローズにそう言われて、夫は俯きながら反省の意を表した。

 ババ様は、眉間に皺を寄せながら言う。

「良いか?其方達に、最善の方法を教えよう。奥さんもまだ回復しとらん事じゃし、赤ん坊も生まれたばかり…と言う訳で、暫くはこの村で暮らすが良い」

 バルティック達は、一斉に驚いた。

 夫は、ババ様に言う。

「し、しかし、それでは皆さんにご迷惑が…」

 するとババ様は、夫をキッと睨んだ。

「さっきの、セディナードの言葉をもう忘れたのかっ!其方は、妻と子供の事だけ心配しとれば良いのじゃっ!して…一緒にいたもう1人の方は、其方の母親かな?」

「は、はい、そうです。そう言えば、母の姿が見当たりませんが…」

 ようやく母の存在を思い出した夫は、キョロキョロと辺りを見回した。

 ババ様は言う。

「その方なら、先程この村に住む事をあっさり承諾して下さってな、この先にある空き家の掃除をとうにしておるぞ」

 それを聞いた夫は、顔を真っ赤にした。

「そっ、そんなっ!た、大変、お恥ずかしい限りで。母さんは、すぐそうやって何でも勝手に決めて、行動に移してしまうんだからな…しかし恥かきついでです、お言葉に甘えてこの村でお世話になる事にします」

 夫は、そう言って頭を下げた。

 妻も、か細い声で礼を言う。

 ババ様は、ニコニコと頷きながらバルティック達に言った。

「お前達、もし暇だったらこの人達を手伝っておやり」

 皆は、話し合った。

「どうする?僕達、今日の練習何もやってないよ」

 セディナードはそう言ったが、バルティックはハハハと笑う。

「そう言えば、そうだったな。でもさ、今は困った人達を助ける方が先だと思うんだ…どうかな?」

 その意見に、皆も賛成した。

「では、決まりじゃな…早速、頼むぞ」

 ババ様がそう言うと、バルティック達は頷いて立ち上がった。

 夫も立ち上がり、もう1度ババ様に礼を言うと妻と子供の顔を見てから、バルティック達と共に外へ出た。

「本当に、有り難う。君達にまで手伝ってもらう事になってしまって、悪かったね」

 夫はそう言って、大荷物を持ち上げた。

「手伝いますよ」

「僕も!」

「私も!」

 バルティック達は、荷物持ちを手伝いながら空き家へ向かった。

 

 

「この村の子供達は、何ていい子ばかりなんでしょう!生まれたあの子の為にも、是非この村で育てるべきだよ、チャールズ!」

 掃除も終わり、茶と菓子を用意しながら先程の夫チャールズの母マーサは、バルティック達を見てひたすら感心していた。

「さあさあ、お食べ」

『有り難う御座います!』

 バルティック達は礼を言って、一斉に菓子を食べ始めた。

 するとノックの音がして、ババ様が入って来た。

「ほう、中々住みやすそうになったではないか」

「先程は、本当に有り難う御座いました。全く、度胸のない息子で何の役にも立たず、お恥ずかしい限りです」

「か、母さん!」

 真っ赤な顔で慌てる、チャールズ。

「ああ、自己紹介が遅れましたが…私はマーサ=グラニーズ。これが息子のチャールズで、嫁はメアリーと申します」

 マーサはそう言って、ババ様に頭を下げた。

 ババ様は、笑いながら言う。

「私は、ユーラシウラ=ルインドール。この村に住む、占い師じゃが…なーに、初めて父親になる時は誰しも戸惑うものじゃよ」

 しかし、チャールズは首を横に振る。

「いえ、母の言う通りです。本当に何をしたらいいのか分からず、慌ててばかりで…それに比べて、この子達は立派です。私達の子も、この子達のように立派に育って欲しいものです」

 ババ様は、それを聞いて満足気に頷いた。

「それは、良い心掛けじゃぞ。私でも、驚くほどのいい子達じゃからな…ほれ、先程其方が説教されとったそのセディナードはグレンミストの家系で、勇者の血を継いで生まれた子なのじゃぞ」

『えぇーっっっ!』

 マーサとチャールズは、酷く驚いた。

「ま、まあ、そうでしたか!勇者様がまたお生まれになったと言う話は聞いておりましたが、この方がそうだったのですね。それで、こんなに立派でいらっしゃって…」

 マーサは、セディナードを見てひたすら感心している。

「しかし、勇者でなかったとしてもこの子はきっといい子の筈です!他の子達も皆、本当にしっかりしていますし…皆さん、あの子が大きくなったら是非、一緒に遊んでやって下さい!」

『勿論です!』

 チャールズの願いに対し、バルティック達は快く返事をした。

 安心したチャールズは、ようやく笑顔を見せた。

 ババ様は、チャールズに訊いた。

「ところで…あの子の名前は、もう決まっておるのか?」

「あ、はい」

 チャールズは鞄の中をがさごそとかき回し、1枚の紙を取り出すと皆に見せた。

「行商の旅を続けながら、妻のお腹が大きくなって行くのを見て、名前の事を色々考えました。男の場合、女の場合とそれぞれ考えたのですが、今回は女の子でしたのでジャスミンと名付ける事にします。ジャスミン=グラニーズです」

「可愛い!」

「いい名前だね!」

 バルティック達は、気に入ったようだった。

 ババ様も、頷いて言う。

「中々、良い名じゃ。立派な子に成長する事を、祈っておるぞ」

『有り難う御座います!』

 マーサとチャールズは、再び頭を下げた。

 こうしてババ様とバルティック達は、グラニーズ家を後にした。

 

 

 ババ様を、自宅でもある占いの館まで見送ったバルティック達は、再び広場へ戻った。

「あの子…剣はやるかなぁ」

「バルっ!」

 すぐ人に剣をやらせようとするバルティックの悪い癖が出たので、メルローズは慌ててそれを止めた。

「また、それなんだから。いい?あの子はまだ生まれたばかりで、女の子なんだよ?商人の子供なんだし、剣はやる必要ないの!」

「そっかぁ…」

 2人のやり取りを見て、皆は一斉に大笑いした。

 バルティックは、溜息をついて言う。

「じゃあ、あの子はメンバーから外しておくか」

 すると、アストリアが言った。

「僕、聞いた事あるんだけど…商人とか盗賊って言うのは、僕達には使えない特別な技を持ってるんだって。旅をする時にその技が使えると、物凄く便利らしいよ」

「例えば?」

 メルローズに訊かれて、アストリアは思い出しながら言った。

「えーっと…確か鍵がなくてもドアの開け閉めが出来たり、洞窟内の罠や宝箱の中身を透視する事も出来るって、ずっと前うちに泊まってたおじさんが言ってた」

「凄い…凄いよ、それ!ねえバル、その技絶対役に立つよ。しかも、僕達には使う事が出来ないんだろう?」

 シティーリオにそう言われて、バルティックは考え込んでいたが、やがて顔を上げて言った。

「よし、ジャスミンをメンバーに入れよう!」

 こうして本人の意思とは無関係に、ジャスミンのメンバー入りが決まった。



     11年後 ―10年前―

 

        ‡

 

『サーカス?』

 皆は、一斉に声を上げた。

 アストリアは、頷いて話を続ける。

「そう、クイックブルゥサーカス団。何週間か前、港町フィガーナに着いたらしいんだ。其処での仕事が終わったので、今度はこの村に来るって話ですよ」

「行きたいっ!」

 即座に叫んだのは、ペルティエだ。

 6歳になったペルティエは皆に甘やかされて育ったせいか、すっかり我儘でおねだり上手になってしまったようだ。

 バルティックの腕を引っ張りながら、必死に飛び跳ねている。

「行きたい、行きたい、行きたい、行きたい、行きたぁーいっ!ねえバル兄ちゃーん、お父さんに頼んでよーっ!ねーってばーっ!」

 6歳の妹にせがまれると、16歳の兄としては駄目とは言えないのであった。

 日頃の練習の成果か、徐々に体に筋肉がついて来たバルティックは、その逞しい腕を組んで言った。

「しょうがない、頼んでみるか…」

「わーい、やったぁーっ!」

 ペルティエは、喜んではしゃぎ回っている。

「ちょっといいですか、皆さん…」

 其処でアストリアは、突然小声で皆に言った。

「ペルティエのように、呑気にはしゃいでいる場合ではないのですよ。実を言うとそのサーカス団は、普通と少々違う所が…」

 8歳になったアストリアは、相変わらず情報収集に余念がなかった。

 こう言った事は誰よりも早く聞き付けて来て、皆に報告する。

 家業の宿屋も手伝っているので、すっかり敬語が板についていた。

「普通と違うって…どう言う風に?」

 12歳のメルローズはすっかりお姉さんらしくなり、裏のリーダーとして(?)バルティックをも打ち負かす時がある。

 メルローズの質問に、アストリアは更に声を潜めて言った。

「サーカスと言うのは、動物の調教が付き物です。象や熊と言った大きい動物から、犬や猿などの小さい動物まで様々です。しかし、そのサーカスは動物ではなく…何と、魔物を扱うとか」

『えぇーっっっ?』

 辺りに響くような大きさの声を上げて、皆は目を丸くした。

 喜んで蝶を追いかけていたペルティエは、皆の声に驚いて立ち止まり、こちらを不思議そうに見ている。

「ちょ、ちょっと待った…それって、危険じゃないのか?」

 バルティック同様、16歳になったシティーリオも心優しい性格のまま大きくなった。

 しかし、臆病な面も変わらないようである。

 不安そうな表情のシティーリオを見て、アストリアは言った。

「それが、そうでもないみたいなんです。昔、本で読んだ事があるのですが、魔物の中には稀に良心の欠片を持ったものが、いるらしいのです。また、そう言った魔物を見極める技を持った人間もいるとか…それは、通称魔物使いと呼ばれています」

「魔物使い?へぇ、聞いた事ないなぁ」

 10歳になったセディナードは、首を傾げている。

 シティーリオのお陰で回復魔法も大分上達し、長老の教えをきちんと守って勇者としての知識も、少しずつではあるが付き始めていた。

 アストリアは、話を続ける。

「明日の朝にこの村に着いて、開演は夜。港町には3週間いたそうですが、この村には2週間を予定しているそうです」

「ペルがあんな調子だから、多分俺達は行く羽目になるだろうけど…皆は、どうするんだ?」

 バルティックに訊かれて、皆は顔を見合わせた。

「兄さん、行きましょうよ」

 そう言ったのは、14歳になったマリアージュだった。

 子供らしさが抜けて、大人っぽい雰囲気になって来たマリアージュは、相変わらずバルティックに仄かな恋心を抱いている。

「うーん…ま、まあ、皆が行くなら、ね」

 シティーリオは、渋々承知する。

 他の皆も魔物のサーカスには興味があったので、それぞれが親に説得する事にした。

 

        ‡

 

 翌日。

 サーカス一座が、フォルチュナの村にやって来た。

 村人達は盛大に歓迎したが、魔物の噂を聞いていたので布に覆われた檻の馬車には、決して近付こうとはしなかった。

 その日の夜。

 いつも練習の場となっていたあの広場には大きなテントが張られ、村中の人々が続々と集まった。

 席には限りがあり、あまりの盛況ぶりに入れない者もいた。

 しかし、1日おきに開演すると言う事なので、開いている日を見計らってゆっくり見るのも、利口なやり方の1つだ。

 だが…初日と最終日には、特別なイベントを行うと聞いた以上は、それを見逃す手はないだろう。

 村人のほとんどがそう考えていた為、初日のチケットはあっと言う間に完売してしまったようだった。

「明日から2週間、練習が出来なくなったな…」

 ちゃっかり初日のチケットを手に入れたバルティックが1人、大きなテントの天井を見上げながら呟いた。

「そうだね。でも…まあ自分達でも結構頑張っていたと思うし、この2週間は休息に充てようよ」

 隣に座っているシティーリオの意見を聞いて、それもそうだと思ったバルティックは静かに頷いた。

 バルティック、シティーリオ、ペルティエ、バルティック達の父マイケル、そしてアストリアは、今日初日のサーカスの最前列を陣取っていた。

 そのすぐ後ろの列にメルローズ、マリアージュ、セディナード、そしてセディナードの母フローレンと、シティーリオ&マリアージュの母アンナがペチャクチャとお喋りをしている。

「お待たせ!」

「遅いよ、父さん…」

 皆の分の飲み物と菓子を買って来たアストリアの父トーマスは、それを皆に配るとマイケルとアストリアの間に座り、マイケルとお喋りを始めた。

 暫くすると会場は暗くなり、人々も静まり返った。

 ステージにスポットライトが点き、青いタキシードを着た恰幅のいい中年の男性が出て来て言った。

「さあ皆さん、お待ちかね!クイックブルゥサーカス団がお送りする、ショーの始まりだよ!我々クイックブルゥサーカス団は、普通のサーカス団とはちょいと違うんだ。え、何が違うかって?それは、怖ぁーい魔物を連れているからさ!」

 こうして、ショーは始まった。

 いきなり、スライムが何匹も出て来て燃え盛る火の輪をくぐったり、ドラゴンが火を吹いたり、トロルが玉乗りをして見せたり…どれを取っても驚くものばかりで、拍手は鳴り止まなかった。

「面白かったーっ!」

「凄かったわね!」

「最終日も、来なくっちゃ!」

 村人達は口々に感想を言い合いながら、興奮冷めやらぬまま家へと帰って行った。

 バルティック達も話に花を咲かせながら家路に着いたので、1番おチビさんのペルティエがいない事には、誰も気付かなかったのであった。

 

 

 その頃。

 ペルティエは帰り際の人込みに紛れて、テントの中へと逆戻りしていた。

 裏へ回り、様子を窺う。

 団員達は魔物を檻に入れたり、道具を片付けたりしている。

 其処でペルティエは、突然後ろから肩を叩かれた。

「キャッ!」

「アハハハハ!すまないねぇ、驚かせちゃったかな?お嬢ちゃんは、此処で何をしているんだい?」

 それはショーの司会をしていた、青いタキシードの男だった。

「あ、サーカスに出てたおじさんだ!」

「そうだよ。おじさんは団長って言ってね、このサーカスで1番偉い人なんだぞ?ま、まあ、自分で言うのもなんだけどね…」

 すると、ペルティエは突然大声で言った。

「おじさんっ!あたしも、魔物と仲良くなりたいっ!どうしたらいいのっ?」

 団長は、驚いてペルティエを見つめた。

 そして暫く考えた後、奥から本を持って来て言った。

「この本をあげよう。これはおじさんがお嬢ちゃんくらいの年に、両親から貰った本だ。魔物使いとしての心得、その他必要な事が全て載っている。自分できちんと勉強すれば、師匠がいなくても誰だって魔物使いになれるんだ」

「ほんと?あたしにも、出来るの?」

「ああ、勿論。但し、これだけは忘れちゃいけない。いくら魔物とは言え、同じ命ある生き物だ。互いに分かり合い、信頼し合う事が大切なんだよ」

 ペルティエは、不思議そうな顔で訊ねた。

「しんらい?」

「お嬢ちゃんが魔物達を信じ、また魔物達がお嬢ちゃんを信じる。それが出来なきゃ、駄目って事さ。そしてね…魔物達を、決して裏切っちゃいけない。魔物は、従順な生き物だからね」

「じゅーじゅん?」

 ペルティエは、首を傾げる。

「お嬢ちゃんが魔物達の事をずっと好きでいれば、きっと魔物達もお嬢ちゃんの事を好きでいてくれる筈だよ。どうかな?」

 それなら自信があると、ペルティエは元気に答えた。

「嫌いになんか、ならないよ!絶対、大切にするもん!」

「おじさんと、約束出来るかい?」

「うんっ!」

 強く頷くペルティエを見て、団長も頷き返した。

「よーし、いい子だ…あっ、こいつめっ!また、逃げ出したなっ!」

 団長がペルティエの頭を撫でていると、スライムの内の1匹が檻から逃げ出した。

 このスライムは、サーカスの魔物達の中でも1番悪戯っ子な為、係の団員は常に手を焼いていたのだ。

 スライムはいつもの通り其処ら中を飛び回っていたが、ペルティエの存在に気が付くと近くへ寄って来て、足元で大人しくなった。

「ほう、これは驚いた!こいつが、初対面の人間に懐くとは…これは、見込みがあるかもしれないな。しかしまあ、今日はもう遅い。ご両親も心配するだろうから、早くお帰り。そして、最終日にもう1度此処へおいで」

「どうして?」

「おじさんが、お嬢ちゃんにプレゼントを用意しておくからね」

「プレゼント?うん、分かった!」

 こうしてペルティエは団長に別れを告げ、貰った本を抱えてテントを後にした。

「ペルティエっ!」

「おい、ペル…お前、何処行ってたんだよ!心配しただろっ?」

 正面の入口では、マイケルとバルティックが心配そうな顔をして立っていた。

 そして3人で慌てて家へ帰ると、勝手な行動を取っていたペルティエが怒られるのではなく、どうしてちゃんと見ていてやらなかったのかと、マイケルがエリーにこっぴどく怒られていた。

 その後、先程テント裏で起こった出来事をペルティエから聞いたマイケルとエリーは、魔物と関わる事には賛成出来なかったが、すぐに飽きるだろうと適当に返事をした。

 しかしペルティエはこの夜から、寝る間も惜しんで団長から譲り受けた本を片手に、必死に勉強を始めるのであった。

 まさに団長との出会いは、ペルティエの運命をも変える出来事だったのである。

 

        ‡

 

 2週間後の夜。

 テントは、再び連日以上の人々で賑わった。

 バルティック達は皆、親に頼んで最終日のショーを見に来た。

 そしてショーが終わると、ペルティエは今度は親にきちんと了解を得てからテントへ戻り、裏に回って団長を探した。

「あ、おじさん!こんばんは!」

 団長は、笑顔で手を上げた。

「やあ、お嬢ちゃん!来てくれたんだね、有り難う。ショーは、どうだったかな?」

「すっごーく、面白かったよ!でも、もう終わっちゃうなんてつまんない…」

 その言葉を聞いた団長は、満足気に頷いた。

「そうかそうか…しかし、明日からはファドミルナ城の方へ行かなければならないんだよ、残念だけどね…それで、勉強の方は進んでるかい?」

「勿論!毎日、頑張ってるよ!いっぱい、色々覚えたの!」

「ほほう!それは、感心だ。じゃあね、今日でお別れだから約束通り、おじさんがプレゼントをあげよう」

 そう言って団長が持って来たのは、大きな袋だった。

 6歳のペルティエが、やっと抱えられるくらいの大きさだ。

 心なしか、温かい。

「おじさん…これ、なあに?」

 ペルティエに訊かれ、団長は静かに言った。

「お嬢ちゃん…魔物達と、早く仲良くなりたいかい?」

「うん!」

「だけどね、村や町の外にいる魔物って言うのはほとんどが悪い魔物なんだ。お嬢ちゃんには、危険過ぎる。だからね、赤ちゃんの時から育ててみたらどうかなと思って、魔物の卵を持って来たんだよ」

 それを聞いて、ペルティエは一瞬ドキッとした。

「ま、魔物の…卵?」

「そう。此処から魔物の赤ちゃんが生まれて来るから、いっぱい可愛がっていっぱい仲良くしてあげておくれ。そうすればきっとこの魔物も、お嬢ちゃんの事を大好きになる筈だよ。出来るかい?」

 ペルティエは多少の不安を感じたが、すぐに自信を持って答えた。

「うん、出来るよ!私、この子のお母さんになる!」

「よーし、じゃあもうお別れだ。元気で、頑張るんだよ」

 団長は、ペルティエをテントの外まで見送った。

「さようなら、おじさん」

「さようなら…あ、お嬢ちゃんの名は何と言うんだい?」

「あたし、ペルティエ=ファミーユ…じゃあ、バイバイ!」

 ペルティエは団長に手を振り、テントの正面に戻るとマイケルとバルティックに手を引かれて、家へ帰った。

 

        ‡

 

 それからと言うもの。

 ペルティエは、毎日のように卵を温めた。

 そして、数週間経ったある日の午後。

「凄いっ!」

「こ、こんなの、初めて見たよ!」

「うわぁーっ…」

 ペルティエが団長から貰った卵が先週ついに孵り、皆の前に初めて姿を現した。

 生まれて来たのは、何と飛竜の赤ん坊だった。

「ねえ、もしかしてこの子…サーカスで火を吹いていた、あのドラゴンの赤ちゃんじゃない?」

 メルローズの言った言葉に、皆が同時に頷く。

「これが、生後1週間だろ?えっと…ペルティエの持ってる図鑑によると、これが1年くらい経つと…」

「も、もっと、大きくなるのか?」

 恐れおののく、シティーリオ。

 バルティックは、笑いながら言う。

「そんなに怖がらなくても、大丈夫だって!1度人間に心を許してしまえば、多少の警戒はするものの、飼い主以外でも絶対に襲う事はないらしいよ」

「じゃあ、仲良くなったもん勝ちって訳?」

 メルローズの質問に、頷くバルティック。

 セディナードは、ペルティエに訊いた。

「ねえ、ペルティエ。名前は、もう決めたの?」

 ペルティエは、飛竜の頭を撫でながら言った。

「うん、決めたよ。ティーラって言うの!」

「可愛い!凄く、いい名前だわ!」

 マリアージュに褒められて、ペルティエは嬉しそうに笑っている。

 シティーリオは、ジッとティーラを見つめた。

「生まれたばかりの時は、ペルティエの膝ぐらいしかなかった。1週間後の今は、もう腰くらい。2週間後、3週間後…1ヵ月後には、僕より大きくなってるかもしれない!ああ、どうしようっ!」

 バルティックは、大笑いしながら言う。

「アハハハハ!シティーリオ、お前昔以上に臆病になったなぁ。大丈夫だって言ってるじゃないか、心配するなよ」

「けどさ…まだ、死にたくないだろ?」

 シティーリオの質問に、バルティックは肩を竦めて答える。

「そんなの当たり前さ、俺もお前もまだ16だもんな…けど、ティーラに関しては全く問題ないって!」

「そうかな…」

 シティーリオは、心配そうにティーラを見つめた。

 しかし、この時はあのような出来事が起ころうなどとは皆、知る由もなかったのだ。

 シティーリオの願いは、神に届かなかったのだろうか。

 

        ‡

 

 それは、ティーラが生まれてから半年経ったある日の事。

「僕、近い内に母さんと2人で港町フィガーナまで買い物に行くんだ」

 シティーリオの突然の発言を聞いて、皆は一斉に手を止めた。

 バルティックが、腕を組みながらしみじみと呟く。

「そうか、いよいよ俺達の仲間が初めての世界進出を果たすのか…」

 そんなバルティックの肩を叩きながら、シティーリオは笑った。

「大袈裟だなぁ、バル…教会で使う品物を、港町まで仕入れに行くだけだよ。本当は毎年父さんが行ってるんだけど、この前ババ様の葬式があっただろ?」

 シティーリオの話に、皆が頷く。

「牧師なんだから大人しく皆を仕切ってりゃいいのに、ババ様にはお世話になったからとか言って、自分も棺桶運びを手伝おうとしたんだ。そしたら、見事にギックリ腰…」

「ああ、あれギックリ腰だったの?道理で牧師様、様子が変だと思った」

 先日、亡くなったババ様の葬儀を思い出しながら、セディナードが呟く。

「それで、今年は母さんが行く事になったんだけどさ…何か、1人じゃ心配だろ?だから、僕もついて行く事にしたって訳さ」

「まあ、シティオくらいの腕前なら心配ないよね、バル?」

 メルローズが訊くと、バルティックは大きく頷いた。

「そうだな。後は実戦のみだからいい機会かもしれないぞ、シティオ」

「うん、僕もそう思ってる…」

 シティーリオも頷く。

 すると突然バルティックは、シティーリオに向けて剣を構えた。

「よしっ!そうと決まったら、最終試験だ!俺の剣を、受けてみろっ!」

 バルティックは勢いよく向かって行き、それをシティーリオが食い止め躱す。

 2人は、どちらも譲らぬ戦いを繰り広げた。

 それを見ながら、メルローズは溜息をつく。

「流石私達の師匠だよね、バルもシティオも。私も精々セディに先を越されぬよう、頑張ろーっと…」

 其処で、セディナードが言う。

「僕は、メルを越すのは無理だよ」

「え、どうして?だってまだ10歳の割には、相当強いじゃない」

「違うよ。僕は10歳だけど、メルはもう12歳だから絶対に敵わないんだよ」

 メルローズは、首を傾げる。

「そ、それって、実力じゃなくて…年齢の問題?」

 メルローズは訳が分からなかったが、内心ホッとした。

 そんな2人を見ながら、アストリアは1人呟く。

「低レベルな、会話…」

 マリアージュはバルティックと戦う兄を、不安そうな眼差しで見つめていた。

 ペルティエはそんな状況にはお構いなしで、自分と同じくらいの背丈になったティーラと、追いかけっこをして遊んでいる。

 この日の練習は、何事もなく過ぎて行った…。

 

 

「どうでしょうか、結果は…」

「胸騒ぎがして、ならないのです」

「胸騒ぎ…ですか?」

 その頃、牧師であるシティーリオとマリアージュの父ロイは、胸騒ぎがすると言う目の前の女性に対して、半信半疑の眼差しを向けた。

「水晶玉に、黒いもやが掛かっているのです…」

「黒いもや…ですか?」

 再び、ロイ牧師が訊き返す。

 女性は、頷いて言った。

「はい。ですから牧師様、やはりおやめになった方が…」

「しかし、品物を仕入れない事には仕事も出来ませんのでねぇ…」

 痛む腰を摩りながら、ロイ牧師は言う。

「ですが…」

「それでは、これで…失礼しますよ」

 ロイ牧師は女性が止めるのも聞かず、占いの館を出て行った。

 その女性…レーナフィザは、水晶玉を見つめたまま放心状態でいる。

 レーナフィザの娘であるルビイナリスが、心配そうな面持ちで部屋に入って来た。

「母様…」

「ルビイ…どうしても、牧師様に分かって頂かなくては!」

 レーナフィザは、焦って言う。

 ルビイナリスは、宥めるように母の肩に手を置いた。

「でもね、母様…私達は未来を予知する事は出来ても、それを変える事までは出来ないのよ?」

「だけど、このまま放っておいたら…」

 顔を顰めるレーナフィザに、ルビイナリスは思い切って訊いた。

「シティオ達は、死ぬって…死ぬって出たの?」

 レーナフィザは、首を横に振る。

「正直言って分からないのよ、黒いもやが掛かってしまって…水晶は私の、つまり占い師側の心をも映し出してしまう時があるでしょう?」

「え、ええ…」

「私の場合は、特に悪い結果の時によく黒いもやが出るのよ。きっと私自身がその結果を見たくないから、無意識の内にもやをかけてしまうのね」

 ルビイナリスはレーナフィザの話を聞きながら、茶を淹れてテーブルの上に置いた。

 そして、自分の分の茶を1口飲んでから言った。

「と言う事は…死ぬにしても、生きるにしても…どちらにしろ、結果は良くないって事なのね?」

 レーナフィザは、茶を飲みながら黙って頷いた。

 ルビイナリスは、沈んだ表情で水晶玉を見つめた。

 レーナフィザ=ルインドールとルビイナリス=ルインドールは、水の大陸サートサーチから遥々このフォルチュナの村へやって来た、占い師の親子だ。

 レーナフィザは亡くなったババ様の曾孫で、娘のルビイナリスはそのまた孫に当たる。

 占い師の家系であるルインドール家は、勇者の家系であるグレンミスト家同様、その血を持つ者は稀にしか生まれない。

 ババ様がその血を継ぎ、次に継いだのは曾孫のレーナフィザだった。

 そして、その娘のルビイナリスも血を継いだ。

 2代続けて血を継ぐ事は非常に珍しく、同時はババ様もそれは驚いたと言う。

 夫のテリーとレーナフィザ、そして娘のルビイナリスは水の大陸サートサーチで暮らしていたのだが、テリーが早くに亡くなってしまったので、それからはずっと2人で暮らして来た。

 しかし先日、曾祖母であるババ様が亡くなったと言う知らせを聞いて、ババ様の葬式に出席するべく、2人はフォルチュナの村を訪れたのである。

 それ以来2人はこの村に永住する決心をし、今はババ様が住んでいたこの占いの館に、腰を落ち着けている。

「母様…そう落ち込まずに良い方向へ向かうよう、お祈り致しましょう」

 そう言って、ルビイナリスはレーナフィザの手をそっと握った。

 レーナフィザはルビイナリスの手を握り返すと、溜息をついて俯いた。

 

        ‡

 

 そして、シティーリオ達の出発の日がやって来た。

「それじゃあ、行って来ます!」

 村の入口で、シティーリオが挨拶する。

「すまないな、シティーリオ。母さんを、頼んだぞ」

 ロイ牧師は、腰を押さえながらマリアージュに支えられて、2人を見送りに来た。

 マリアージュは、心配そうな顔でシティーリオを見る。

「兄さん…」

「バッカだなぁ、マリアは!」

 シティーリオは、マリアの額を小突いた。

「大丈夫だよ…毎朝見てるだろ、僕の腕!マリアは父さんの世話、頼んだぞ!」

 妻アンナも、ロイ牧師に言う。

「貴方…無理しないで下さいね」

「ああ、分かってるよ」

 毎朝の練習メンバーであるバルティック、メルローズ、セディナード、アストリア、ペルティエも見送りに来ていた。

 その横には勿論ティーラもいて、シティーリオを見送る為に大人しく座っている。

「シティオ兄ちゃん、頑張ってね!」

 ペルティエがそう言うと、隣にいたティーラもピギーと鳴いた。

「ティーラも、シティオ兄ちゃんしっかり!って、言ってるみたい」

 シティーリオはその鳴き声にビクビクしながらも、引きつった笑顔を向けた。

「僕達の中で、外の世界に出るのはシティーリオが初めてなんですから、楽しい土産話が聞ける事を楽しみにしていますよ。まあ、外の事を僕より先に知られるのは、ちょっと悔しいですけど…」

 アストリアがそう言うのを聞いて、皆は一斉に笑った。

「でも、凄いなぁーっ!ほんと頑張ってね、シティオ!」

 セディナードは、羨望の眼差しでシティーリオを見つめている。

「ま、これでシティオの臆病も少しは直るかもね」

「おいおい、メル!そりゃあ、ないだろ?」

 シティーリオは、メルローズの頭をクチャッと撫で回した。

 皆はメルローズの意見に賛成し、大笑いしている。

 メルローズは、自分の髪に触れているシティーリオの手の温もりを感じながら、少し頬を染めた。

 最後に、バルティックがポケットからペンダントを取り出して言った。

「シティオ…これ、綺麗な蒼だろ?石に穴開けて、ペンダント作ったんだ。お守りに、持てよ」

 すると、シティーリオもポケットからペンダントを取り出し、バルティックに言った。

「バル、偶然だな。僕も、十字架のペンダント作ったんだ」

「本当か?」

 バルティックが、驚いた顔でシティーリオを見つめる。

 シティーリオは、頷いて言った。

「じゃあ、交換だ!」

 2人はペンダントを交換し、互いの首に掛け合った。

 バルティックは、途端にシティーリオをきつく抱きしめた。

「油断、するなよ。俺との練習を思い出して、おばさんを守ってやってくれ…いいな?」

 シティーリオは笑いながらバルティックの体を押しのけ、両肩に手を乗せた。

「やめてくれよ、大袈裟だなぁ!行って、帰って来るだけじゃないか。バルこそ淋しくて眠れなくて、寝不足になったりするなよ?」

 ニヤけるシティーリオを見て、バルティックは顔を真っ赤にしながら怒鳴った。

「バッ…バカな事、言うなよっ!さっさと行けっ!」

 そんな2人のやり取りを見て、再び皆が大笑いする。

「じゃあな!」

 シティーリオは、笑顔で旅立って行った。

『行ってらっしゃーいっ!』

 皆が見送る中、少し離れた所にレーナフィザとルビイナリスが立っていた。

 2人も、シティーリオ達をこっそり見送りに来たのだ。

 しかし…彼女達は誰に存在を知られるでもなく、何も言わずにその場をそっと後にしたのだった。

 

        ‡

 

 それから、1週間が経った。

「もう、1週間だぞっ!行って買って戻って来るだけなら、3日もあれば済む筈なんだ!それなのに…」

 ロイ牧師は一気にまくし立てると、頭を抱えて俯いた。

 先日出発したシティーリオとアンナが、1週間経った今も帰って来ないと言うのだ。

 まだ村に来て間もない事もあり、レーナフィザやルビイナリスの占いを、村人達は今1つ素直に受け入れられずにいた。

 勿論、2人とも暦としたババ様の曾孫達であり、由緒正しい占い師ルインドールの血も流れている。

 だから、信用していないと言う訳ではないのだが、ババ様の時のように身も心も預けて、この人の占いに素直に従おうと村人達が思えるほど、彼女達はまだこの村に溶け込めてはいない。

 ババ様と村人達のような信頼関係を築くには、まだまだ時間が必要だった。

 あのババ様ですら、この村に来た頃は今のレーナフィザやルビイナリスのように、中々受け入れられずにいたのだ。

 長年のババ様の功績が、村人達との絆を生み出したのである。

 そんな訳であの時は、ロイ牧師もレーナフィザの占いを軽く聞き流していたのだ。

 しかし、レーナフィザが言っていた胸騒ぎと、未だ戻らない2人…。

 ロイ牧師は、自然と占いの館へ足を運んでいた。

「牧師様、落ち着いて下さい。まだ、港町に滞在している可能性も…」

 レーナフィザがそう言うと、ロイ牧師は首を横に振った。

「いや、そんな筈はない。出発から3日目に仕入先に手紙を送ったら、5日目に返事が来てとっくに町を出たと言うのだ…ああ、私はどうすれば!」

「一刻も早く捜索願を出すべきですわ、牧師様」

 そう言ったのは、ルビイナリスだった。

「捜索願?」

「ええ。この大陸は、ファドミルナ城の管轄でしょう?もう、城の兵に要請するしかありません」

 それを聞いて、ロイ牧師は立ち上がった。

「そ、そうだな、そうしよう…そうと決まったら、早速城に手紙を書くよ。有り難う、2人とも!」

 ロイ牧師は2人に礼を言うと、急いで占いの館を後にした。

「ねえ…本当に、大丈夫かしら。物凄く、鳥肌が立つのよ…やっぱり、私の占いは当たってしまったのね」

 レーナフィザは俯いて、腕を摩った。

 ルビイナリスは、茶を淹れ直しながら言う。

「何だか、考えたくないわ。こう言う時って、占い師の血を継いでしまった自分がつくづく嫌になる…」

「私も、そうよ。でも、これからは私達がババ様の代わりに、この村のお手伝いをして行かなければいけない。しっかりしないとね…」

 レーナフィザはそう呟くと、娘の淹れた茶を1口飲んだ。

「ええ…将来この村を担って行く、あの子達の為にも…」

 ルビイナリスも目を閉じ、必死に祈るのだった。

 

        ‡

 

 そして、ついに出発から2週間が経った。

「お城に出した捜索願、一体どうなったんでしょうか…」

 アストリアが、ポツリと呟いた。

「そう…だね…」

 メルローズも、同じようにポツリと呟く。

 朝…いつも通り広場に集まった皆だったが、何をするでもなくただ草の上に座り込んでいた。

 マリアージュに至っては、広場にすら顔を見せていない。

 シティーリオ達が出発してから2週間、捜索が始まって1週間が経っていた。

 しかし、未だにいい報告も悪い報告も、何1つとしてこちらの耳には届いていなかったのである。

「こらぁーっ、ティーラぁーっ!」

 ペルティエだけはティーラを追いかけ、無邪気に1人で遊んでいる。

 メルローズは岩の上に腰掛けて空を眺め、セディナードは無心に剣の素振りをし、バルティックは草をむしっては投げを繰り返した。

 アストリアは、そんな皆の様子と自分の膝の上に広げた本を、交互に見ている。

「ねえ、バル…」

 メルローズが、ふと言った。

「こんな事してても、しょうがないよ。シティオが帰って来る前に、いっぱい練習しておかな…」

「なあ、帰って来ると思うか?」

 その言葉を聞いて、皆は一斉にバルティックを見た。

 ペルティエも立ち止まって、こちらを見る。

「バ、バル…それ、ど、どう言う、意味?」

 セディナードが訊くと、バルティックは静かに俯いた。

「いいか、考えてもみろよ。港町を出たのが出発してから3日目、遅くたって馬車なんだから5日目には帰って来られる筈だろ?それなのに、もう1週間どころか倍の2週間も経ってるんだぜ?何を意味してるかくらい…お前達にだって、分かるだろう」

 皆は、沈黙した。

 メルローズが、ムッとしながら言う。

「考えたくないし、分かりたくもない!シティオは、絶対帰って来る!」

「そうだよ、帰って来るよ!」

 セディナードも叫ぶ。

 バルティックは、頭を抱えて呟いた。

「ガキには、分かんねぇんだよ…」

「ねえ、シティオ兄ちゃんはどうして帰って来ないの?」

 ペルティエだけが意味も分からずに、バルティックの腕を掴んでいる。

 バルティックは何も答えず、黙っていた。

「占いの館へ、行きましょう」

 皆は、そう言ったアストリアを見た。

「シティーリオとおばさんが無事でいるかどうか、占ってもらうんだ。僕達村人が困った時は、いつもババ様の所へ行っていたじゃないですか。レーナフィザさん達だって、きっと何かいい答えを出してくれる筈ですよ」

 皆が、顔を見合わせる。

「どうですか、こんな所で言い合っていても何も始まらない…」

 アストリアの意見に賛成した皆は、占いの館へ向かって走り出した。

 

 

「あ、皆…」

 出迎えたのは、ルビイナリスだった。

 ルビイナリス=ルインドールは18歳、美人でとてもしっかりしている。

 優しく話しやすい性格なので、皆は姉のように彼女を慕っていた。

 ルビイナリスは皆の心配そうな顔を見て、優しく微笑みながら言った。

「皆が言いたい事は、よく分かるわ。母様は今、教会に行ってるの。さあ、入って」

 ルビイナリスの顔を見て安心したバルティック達は、中に入った。

 ソファーに座ると、ルビイナリスが茶を出してくれた。

 ルビイナリスも椅子に座ると、皆に言った。

「母様の占いには黒いもやが掛かっていて、詳しい事がよく分からないの。でも、もやが掛かる時は大抵良くない事が起こるって…」

「って事は、シティオはっ…」

 バルティックが険しい顔で訊くと、ルビイナリスは首を横に振った。

「本当に、分からないのよ。確かに、多少は悪い方向へ進んでるのかもしれない。だけど、最悪とは限らないわ。大丈夫、彼は教会で生まれたんですもの。神様が、きっと付いていて下さるわ」

 しかし、皆は俯いたまま話そうとしなかった。

 暫くして、アストリアが口を開いた。

「今、何処にいるのか占えないんですか?」

 ルビイナリスは、溜息混じりに言う。

「残念ながら、駄目だったの。山奥のような場所が映るんだけど、奥へ進もうとするとまたもやが…」

「じゃあ、シティオは山奥に?」

 メルローズが訊くが、ルビイナリスは肩を竦めて、何とも答えようがないと言う表情をした。

「ねえ…僕、教会へ行ってお祈りしたい」

 ふと、セディナードが呟いた。

 皆は顔を見合わせると、同時に立ち上がった。

「じゃあルビイ、俺達行くよ。有り難う…」

 バルティックがそう言うと、ルビイナリスは黙って頷いた。

 そしてバルティック達は、祈る為に教会へと向かったのだった。

 

        ‡

 

 それから、更に1週間が経った。

 朝の練習が始まる頃、広場へ向かおうと歩いていたバルティック達は、教会の前が村の男性達で賑わっているのに気付いた。

 何故か大量の花が運ばれ、その脇で暫く姿を見せなかったマリアージュが、1人ポツンと佇んでいたのである。

「ねえ、あれマリアージュじゃない?ほら、マリアージュだよ!もう、2週間は会ってないよね?おーい、マリアージューっ!」

 セディナードはそう言って、マリアージュの方へ走って行った。

 皆も、セディナードの後を追う。

「マリアージュ、久しぶり!ねえマリアージュ、あの…マリアージュってば!」

 何度呼んでも、教会を見つめたまま返事をしないマリアージュの腕を、セディナードは必死に引っ張っている。

「マリア?マリア…おい、マリア!」

 バルティックは不審に思い、マリアージュの両肩を揺すりながら顔を覗き込んだ。

 するとマリアージュは、ハッと我に返った。

「あ、バ、バル、皆…」

「ねえ、どうしたの?さっきから、ボーッとしちゃってさ」

 メルローズが訊くと、マリアージュは無表情で言った。

「母さんと兄さん、帰って来たのよ…」

『えぇーっっっ!』

 それを聞いた皆の表情は、一気に明るくなった。

「いつ、帰って来たんですか?」

 アストリアが訊くと、マリアージュは相変わらずの無表情で答えた。

「昨日の夜中よ…お城の人達が何人も来たから、結構ざわついていたのに…聞こえなかったの?」

「だって、夜中だろ?皆寝てて、気付かなかったんじゃないか?で、シティオは何処にいるんだ?」

 バルティックが落ち着かない様子でそわそわしながら訊くと、マリアージュは無表情のまま教会を指差した。

「中よ…」

「中だな?よーしっ!」

 バルティックは、張り切って教会へと駆け寄って行った。

 散々、心配掛けやがって…何と言って、文句をつけてやろうか。

 自然に笑みを零しながら勢いよくドアを開けた途端、バルティックの体は固まって動けなくなった。

「ど、どうしたの、バル!早く、中に入りな…」

 笑いながらバルティックの背中を叩いたメルローズも、中を見て唖然とした。

 そんな2人の様子を見ていた皆も、慌てて駆け寄り中を見る。

 其処には、沢山の花で飾られたいつもと違う雰囲気の礼拝堂があり、目の前には棺桶が2つ並べて置いてあった。

「だ、誰かお葬式…やるの?」

 セディナードが訊くと、後ろから近付いて来たマリアージュが言った。

「そうよ。今夜やるから、皆も来てね…」

「嘘、だろ?」

 バルティックは何かを悟ったのか、放心状態のまま棺桶に近付いて行った。

 棺桶を開けようとするバルティックを、マリアージュが即座に止める。

「駄目よっ!もう釘が打ってあるの、蓋は開かないわ…」

「どうしてだよっ!顔くらい、見せてくれたって…っ」

 バルティックが叫ぶと、無表情だったマリアージュはようやく瞳に涙を浮かべ、笑っているのか泣いているのか分からない顔で言った。

「駄目なの、駄目なのよ!だって、顔も分からないような姿で、帰って来たんですもの!ひっ…く、か、母さぁーんっ!ひっ、く…に、兄さぁーんっっっ!」

 泣き叫びながら、マリアージュはその場に座り込んでしまった。

「え?ちょっ、ちょっと待ってよ。じゃあ、この棺桶、は…」

 メルローズがふらつきながら棺桶に近寄ると、片方にはシティーリオの名が、もう片方には母アンナの名が深く刻まれていた。

「嘘っ、嘘よっ!どうして、これがシティオなの?本当に、シティオ?だって…顔も分かんないんだったら、シティオじゃないかもしれないじゃない!」

 メルローズの言い訳も虚しく、マリアージュは首を横に振った。

「ちゃんと、お城の人が調べてくれたの。服装が、出発時に着ていたものと同じだったそうよ。それから、ほら…これを、首に掛けていたんですって」

 マリアージュはポケットから小さな袋を取り出し、バルティックに渡した。

 バルティックは、すぐに中身を袋から取り出した。

 息が、止まりそうになる。

 それは、出発時にバルティックがシティーリオに渡した、あのペンダントだったのだ。

 

『じゃあ、交換だ!』

 

 蒼い石は、シティーリオの血が固まったせいで赤茶けていた。

「シ、シティオ…シティオォーッッッ!」

 バルティックはそれを見た瞬間、シティーリオの名を思い切り叫んでいた。

 涙が、止まらなかった。

 皆も、後から後から溢れ出す涙を止める事が出来なかった。

「死んじゃやだ…死んじゃやだよ、シティオ。私、まだ12年しか一緒に生きてないんだよ?ねえ、やだよ、シティオ!嫌ぁーっっっ!」

 メルローズは狂ったかのように泣き叫び、シティーリオの棺桶にしがみついて、離れようとしなかった。

 バルティックが、宥めるようにメルローズの頭を優しく撫でる。

「嫌、嫌だよ、シティオ。行っちゃ嫌、行っちゃ、嫌…」

 メルローズは、ひたすら嫌だと呟いた。

 いつもは強気でしっかり者の彼女がこんなに取り乱したのは、この日が最初で最後だったかもしれない。

 

 

 その日の夜。

 シティーリオとアンナの葬式が、教会で行われた。

 勿論、村中の人々が1人残らず教会に集まった。

 その頃にはマリアージュもしっかりとし、落ち込む父を支えていた。

「私が、私が頼まなければ、こんな事にはっ…レーナフィザの占いを、信じていれば、こんな事には…私のせいだっ!」

 そう言って自分を責めるロイ牧師を、村人達は必死に励ましていた。

 マリアージュも来てくれた村人達に、1人1人礼を言って回った。

 バルティック達は、人で溢れる教会を抜けていつもの広場に来ていた。

 夜空は広く晴れ渡り、丸い月と沢山の星が輝いていた。

「シティオ兄ちゃんは、もう…いない、の?」

 ペルティエがベソをかきながら、ふと訊く。

 バルティックは、ペルティエの頭を撫でながら優しく言った。

「いるよ…確かに、もうこの村には帰って来ない。でもな、皆の心の中に生きてる。シティオ兄ちゃんの事、もう忘れたか?」

 ペルティエは、首を思い切り横に振る。

「ちゃんと、覚えてるよ!」

「だったら、大丈夫。お前が覚えてる限り、シティオ兄ちゃんはずーっと心の中で生き続けてるからな…」

 そう言ってバルティックはペルティエを抱きしめ、再び涙を流した。

 皆もそんなバルティックを見て、涙ぐんでいる。

 すると其処へ、マリアージュと長老がやって来た。

「あ、長老様…」

「マリアも…」

 バルティックは座っていた岩を長老に譲り、自分は草の上に腰を下ろした。

 長老は礼を言って岩の上に座ると、皆に言った。

「今回は、本当に何と言ったら良いのか…殊にマリアージュにとっては大切な肉親を2人も失い、慰めの言葉も見つからんよ…」

 マリアージュは俯いた。

 長老は、話を続ける。

「しかしな、悲しいのは皆一緒じゃ。儂も、そして其方達もな…バルティックよ、世界へ旅立つ事が怖くなったか?」

 突然そう訊かれて、バルティックは困った顔をした。

 しかし、首を横に振って言う。

「いえ、世界を旅して魔物を倒す。これは俺の昔からの夢でもあり、シティオとの約束でもあります。此処にいる仲間達と共にシティオの遺志を継いで、必ずや実現させて見せます。但し、皆が賛成すれば…ですけど」

 皆の顔を見回すバルティックを見て長老は静かに頷き、セディナードに訊いた。

「セディナード、お前は勇者の血を受け継いでおる。それは、自分できちんと分かっておるじゃろうな?」

 セディナードは、黙って力強く頷いた。

 長老も頷き、話を続ける。

「本当は、バルティックとシティーリオが中心になって、今回の旅を実現させる予定じゃったが…シティーリオ亡き今、バルティックを支えてやって行くのは勇者であるセディナード、お前の役目となったのじゃぞ!」

 すると、バルティックは慌てて言った。

「な、何を仰るのですか、長老様!勇者様をお支えするのが、俺の役目です。ですから、セディナードは俺が…」

「いいのじゃ、バルティック」

 長老は、バルティックを止めて言う。

「其方達は仲間なのじゃ、上下の関係などあってはならぬ…セディナード、この者達と共に危険な旅に出る自信はあるか?」

 セディナードは、大きな声で答えた。

「ありますっ!シティオともいっぱい話したんだ、外の世界の事。一緒に剣を練習して、一緒に世界地図を買って、僕の回復魔法なんてぜーんぶシティオが教えてくれたんだ!だから、だから、僕は、シティオと一緒に、旅に出、出る、って…」

 一生懸命語るセディナードの目から、涙が溢れて来る。

「よう、分かった。よう分かったぞ、セディナード…」

 長老も、目頭を押さえながらアストリアに訊いた。

「アストリアよ、其方はどうなのじゃ?このまま旅に出る事なぞやめて宿屋を継ぐも良し、勉強して学者になるも良し…其方次第じゃぞ?」

 しかし、アストリアは首を横に振った。

「僕は、皆と行きます。世界を全て回ってシティーリオの為にも、そして自分達の為にも1匹でも多く魔物を倒したい…そう思っています」

 長老は頷き、メルローズに訊いた。

「メルローズ、其方はどうする?女の子にもかかわらず、バルティックやシティーリオにくっついて、小さい頃から頑張っておったようじゃが…今なら、旅を断念した所で誰も文句は言うまいて…」

 するとメルローズは軽く微笑み、やがて真剣な顔で答えた。

「勿論、行く!私は、シティオみたいに臆病じゃないもん…もしシティオをあんな目に遭わせた魔物がいたら、その場でバラバラに引き裂いてやるんだからっ!」

 怒りの込もったメルローズの言葉に、長老は目を丸くしていたが、メルローズはすぐに笑って言った。

「ハハハ、冗談よ。でも…確かに殺した張本人は、魔物でしょう?だから残らずやっつけてこんな事が2度と起こらないよう、平和な世界にして見せます!」

 メルローズの固い決意に長老は頷き、今度はペルティエに訊いた。

「ペルティエ…其方は、まだ小さい。この者達と一緒に、旅する事が出来るのか?」

 ペルティエは、元気良く頷いて言う。

「うん、出来るよ!ティーラも連れて、皆と一緒にシティオ兄ちゃんの仇取るの。でもね、ティーラみたいに優しい魔物もきっといるから、そう言う魔物達とお話して同じ生きているものを殺しちゃいけないんだよって、教えてあげるんだ!」

「ほう、それは頼もしい限りじゃな。してマリアージュ、其方は…」

 長老が少し遠慮がちに訊くと、マリアージュは静かに頷いた。

「大丈夫です、皆にばかり任せておく訳には行きません。私だけ逃げるなんて事、絶対にしたくないんです。私も、仲間として旅に出ます!」

 どうやら、マリアージュの意志も固いようだ。

 長老は、皆を見回した。

「約束の時まであと10年、約束の人数まであと2人。毎朝、練習を怠る事無く勉学に励み、立派な大人になりなさい。シティーリオの分まで、其方達が精一杯生きるのじゃ。良いな?」

『はいっ!』

 皆が返事をすると、教会の方から声が聞こえた。

「埋葬の時間です。皆さん、最期のお別れを…」

「では、戻るとしようか…」

 長老はゆっくりと腰を上げ、教会へと戻って行った。

 皆も後を追い、埋葬に参加した。

 シティーリオとアンナは、墓地の冷たい土の中へ棺桶ごと埋められて行った。

 村人達は皆、2人の冥福を心から祈った。

 

 

 葬儀も終わり人々が帰り始めた頃、マリアージュはバルティックを呼び止めた。

「バ、バルティック…」

「どうした?」

 バルティックが訊くと、マリアージュは俯きながら言った。

「あの、お願いがあって…その、わ、私、武闘家になりたいの」

「なっ…何だって?」

 バルティックは、目を丸くした。

「ど、どうして、また…」

 マリアージュは、俯いたまま答えた。

「兄さんが、そして母さんが亡くなって気付いたの。ああ、このままでは皆の負担になってしまうって…」

 バルティックは、慌てて言う。

「ちょ、ちょっと待てよ、それはとんだ誤解だぞ?俺達は別に、負担だなんて…」

 しかし、それを遮ってマリアージュは話を続けた。

「私、強くなりたいの、兄さんの分まで。最初は戦士って思ったけど、14にもなって今から剣は無理でしょう?武闘家だったら、バルティックも途中からやり始めたし…あ、勿論簡単なものじゃないって事は、十分分かってるつもりだけど…」

 バルティックは暫く考え込んでいたが、やがてマリアージュの肩に手を置いた。

「強くなったな、マリア…きっと、シティオも喜んでる筈だよ。マリアがその気なら、明日からでも練習を始めよう!」

「あ、有り難う!それじゃあ、あの…また、明日!」

「ああ、お休み」

 こうしてマリアージュは教会へ、バルティックは自分の家へと帰って行った。

 明日からはまた、いつもの生活が始まる。

 勿論、毎朝の練習だってサボらずにきちんとやるつもりだ。

 ただ1つ、違う事。

 今まで一緒にいて、側で笑っていた筈のシティーリオはもう…此処にはいない。


 

     12年後 ―9年前―

 

        ‡

 

 シティーリオの悲劇から、1年が経ったある日。

「召喚士?」

 最初に驚いたのは、17歳のバルティックだった。

 村人の誰もが認める、立派な青年である。

「この間、この村に越して来たフォード博士の家には男の子が2人いますが、上の子が召喚士の勉強をいよいよ始めたそうです」

 9歳のアストリアは、皆にそう言った。

 大人も顔負けの知識量は、年々増え続けている。

「召喚士って…何?」

 11歳のセディナードは、素朴な疑問を投げかけた。

 年齢的にも、17歳のバルティックを支えるとまではまだ行かないが、それでも彼なりにバルティックの足手まといにはなるまいと、何事にも一生懸命取り組んでいる。

「召喚士と言うのは…魔法陣を使って呪文を唱え、精霊などを呼び出す事が出来る人の事です」

 アストリアの説明に、皆が頷く。

「精霊?それって、妖精さんみたいに可愛いの?」

 7歳のペルティエは、訳の分からない質問をしている。

 背は少し伸びたが、相変わらずの甘えん坊である。

「それって、戦力になる訳?」

 13歳のメルローズも、腕を組みながら訊いた。

 この1年、抜け殻のようになってしまったバルティックを、ずっと支え続けていたのは他でもない、メルローズだった。

 アストリアは、難しい顔をしながら言う。

「僕も調べたんですけど、召喚魔法と言うのは普通の魔法よりも、難しいと言われています。勿論、使いこなせればかなりの戦力になる事は、まず間違いないですけどね」

「じゃあ、旅の仲間にはピッタリじゃない?」

 メルローズがそう言うと、アストリアは首を横に振って言った。

「いいですか、考えてもみて下さい。何て言ったって、その子はまだ5歳ですよ?えっと、あと9年だから出発時には、14歳でしかありません…まあその子が努力してくれれば、別でしょうけど」

「その子だったら、礼拝で見掛けた事があるわ。上の子がカミユールで、下の子がロビナールって言うの」

 そう言ったのは、15歳のマリアージュだ。

 皆に励まされながら、ようやく笑顔の数も増えて来た。

「カミユールは本当に礼儀正しいし、大人しくてとても頭の良さそうな子だったわ」

 マリアージュの話を聞いて、バルティックは突然立ち上がった。

「よし、決めた!今日、フォード博士の家へ行く!ついて来たい奴は、飯を食ったらもう1度此処へ集合だ!」

『えぇーっっっ?』

 突然の事に皆は驚き、目を丸くするばかりだった。

 

 

「い、いらっ、しゃい…」

 フォード博士の妻リズはかなり驚いていたものの、快くバルティック達を中へ入れてくれた。

「あの、博士は…いらっしゃいますか?」

 バルティックが訊くと、リズは茶と菓子を出して博士を呼びに行った。

 そして。

「これはこれは、勇者様とお仲間の皆さんではありませんか…私に一体、何の御用ですかな?」

 部屋へ入って来たフォード博士に、バルティックは真剣な表情で言った。

「単刀直入に言いますが…上のお子さん、つまりカミユールを是非俺達の仲間として、お迎えしたいのです!」

 それを聞いた途端、フォード博士とリズは顔を見合わせた。

 バルティックは、話を続ける。

「戸惑われるのも、無理はありません。カミユールも、まだ5歳だとお聞きしました。俺達は世界の平和の為、セディナードが20歳になったら、8人の仲間達と共に旅に出る事を長老様と約束し、その為に毎朝練習を積み重ねて来ました」

 フォード博士もリズも、真剣に話を聞く体勢に入る。

「しかしご存知の通り、仲間の1人であったシティーリオが亡くなってしまいまして…俺達も一時は途方に暮れたのですが、逆にそれが旅への思いを益々強くする結果にもなったのです」

 フォード博士は腕を組んで目を閉じ、リズは心配そうな顔でその様子を見ている。

「長老との約束の8人まで、あと2人。その内の1人に、召喚士を目指していると言うカミユールを、是非とも俺達の仲間にと思いまして…お願いします!」

 其処でバルティックは立ち上がり、頭を下げた。

 皆も続いて立ち上がり、頭を下げる。

 話を聞きながらフォード博士は考え込んでいたが、やがて静かに言った。

「どうか、頭を上げて下さい。確かに、我が息子を勇者様のお仲間として認めて下さるのは、大変光栄な事だと思っております。しかし息子はまだ5歳、9年後でも14歳。召喚士としてはまだまだ未熟ですし、危険な旅に出すにも幼過ぎます」

 勿論父親として、それは当然の意見であろう。

 親なら誰しも、子供を危険な目に遭わせたくはない筈だ。

 しかし、バルティックは言う。

「ですが…どうか、俺達に任せては頂けないでしょうか。俺は最年長として、セディナード以下7名を守る義務と責任があり、勿論その自信もあります!今でこそ俺も子供ですが、9年経てば26歳。立派な大人として、今よりはしっかりと物事を考える事が、出来ると思います!」

 必死なバルティックを、ジッと見つめるフォード博士とリズ。

「それに…俺達には、どうしてもカミユールの力が必要なんです!きっと9年後、カミユールは俺達にとってなくてはならない存在になると、断言出来ます!ですからどうか、どうかお願いします!」

 再び、皆で頭を下げる。

 フォード博士は、非常に困った状況に立たされた。

 息子を、危険に晒したくはない。

 しかしたった5歳の子供が、こんなに大勢の仲間達に必要とされている。

 自分の息子が、勇者とその仲間達に必要とされているのだ。

 世界の未来を、平和を築く為に。

「分かりました…では、本人を呼んでみましょう。カミユール!カミユール!」

 フォード博士に呼ばれて、トコトコと小さな男の子が部屋に入って来た。

 とても礼儀正しく、利口そうな子だった。

「なーに、父さん?」

 フォード博士は、カミユールを隣に座らせて言った。

「カミユール、こちらは勇者様と仲間の皆さんだよ」

「えーっ?本当に、勇者様なの?凄ぉーい!」

 カミユールは、嬉しそうにはしゃぎ出した。

「それでね、カミユール。お前は今、召喚士のお勉強をしているだろう?勇者様達がね、お前のその力が必要だと仰っているんだ。だからお前に、旅の仲間に入って欲しいそうなんだが…お前は、どう思う?」

 フォード博士が訊くと、カミユールは目を輝かせて言った。

「僕、仲間になれるの?勇者様と一緒に、旅が出来るの?」

「そうだよ。此処にいるお兄さんやお姉さん達と、一緒にね」

「だったら僕、一生懸命勉強して仲間になりたい!ねえいいでしょう、父さん!」

 カミユールは、乗り気でフォード博士の袖を引っ張っている。

 フォード博士は、カミユールの頭を撫でながら言った。

「本人は、やる気が十分にあるようですな。しかし見ての通りまだ子供ですから、どんなに大変で危険な旅かと言う事は、分かっていません。ですが…まあ、私も出来る限り皆さんに協力する事を、お約束致しましょう」

 それを聞いたバルティックは、笑顔で言った。

「で、では!」

「ええ、カミユールを宜しくお願いします」

 フォード博士は、笑顔でそう言った。

 バルティック達は一斉に喜び、手を叩いた。

 しかし、フォード博士は一言付け加えた。

「但し…勉強は私が責任を持って教えますので、朝の練習はご勘弁願いたい。残りの9年間は自宅での勉強と言う事で、宜しいですかな?」

「も、勿論です、有り難う御座いました!カミユール、俺がこの中で1番お兄さんのバルティックだ、宜しくな!」

 そう言って、バルティックはカミユールに握手した。

「よ、宜しく、お願いします…」

 カミユールも、照れ臭そうに握手をする。

 皆も次々と自己紹介をし、暫くお喋りをしてからフォード博士の家を後にした。

「良かったね、仲間になってもらえて!」

 帰り道。

 セディナードがそう言うと、バルティックも大きく頷いた。

「ああ、残るは1人…だな」

「ジャスミンに、するんでしょ?」

 メルローズが当たり前のように言うと、バルティックはハッと思い出した。

「ああ、そう言えばそうだったな…ジャスミンって今、何歳だっけ?」

「確か、3歳です」

 アストリアが答える。

「そっか、まだまだ長いな…9年後でも12歳、か」

 バルティックは、溜息をついた。

 マリアージュは、そんなバルティックを励ますように言った。

「でも、商人が使える特殊技能はきっと旅の役に立つわ。だからジャスミンが大きくなるのを待って、また今日みたいに皆でお願いに行きましょうよ…ね?」

「ああ、そうだな」

 バルティックは頷き、笑みを浮かべた。

 こうして皆は、広場へ向かって歩き出したのだった。


 

     14年後 ―7年前―

 

        ‡ 

 

「あ、いいですよ!」

 あまりにすんなりとOKされた為、バルティックは思わず拍子抜けしてしまった。

「あの、き、危険な旅になるかと思うんですが…」

「あ、いいですよ!」

 此処まで理解を示されたら、バルティックとしても返す言葉がない。

 19歳になったバルティックは、予定通り商人の特殊能力を身につけ始めた、5歳のジャスミンを仲間に迎えたいと、両親の許へお願いに来た所だった。

 まだ5歳の、しかもたった1人の大事なお嬢さんを今から危険な旅に誘うのだから、バルティックはカミユールの時以上に、覚悟を決めて来たつもりだった。

 しかし、ジャスミンの父チャールズのこのあっさりとした承諾には、バルティックの頭も混乱しつつあった。

「いやね、あの子が生まれた時の事…覚えていてくれてますか?」

 チャールズにそう訊かれて、バルティックは懐かしげに思い出した。

「はい、覚えています。グラニーズさん達、行商をやりながらこの村に辿り着いたんでしたよね。そしたら、奥さんが急に苦しみ出して…」

「そう、あの時私は初めての経験でしたので、ウロウロするばかりで何も出来なかった。しかしセディナードや、アストリアは当時まだ6、7歳でしたよね?それなのに、頼りないこの私をビシッと叱ってくれた。私は、ハッとさせられたんですよ」

 其処で部屋のドアが開き、ジャスミンの母メアリーが茶を持って入って来た。

「ああ、ジャスミンはこの子達に出会う為に、今日生まれて来たんだって。そして、この勇者様にお仕えする事が、ジャスミンの使命なんじゃないかって…だからねバルティック、君があの子を誘いに来てくれるのを、今か今かと待っていたんですよ」

 そう言って、チャールズは茶を1口飲んだ。

 話を聞きながら俯いていたバルティックは、顔を上げた。

「そうだったんですか。まあ確かに、あいつ…セディはまだ1人前とまでは言えませんが、勇者になるべくして生まれたような、立派な人間です。あいつの為なら命を懸けてもいい、俺はそう思っています」

 チャールズも、頷いて言う。

「ええ、そうですね…私も、そう思いますよ。だから、たとえそれが危険な旅だったとしても、私はあの子をお供させるつもりです」

 隣で、メアリーも頷いている。

 バルティックはそんな2人に礼を述べ、グラニーズ家を後にした。

 

 

 広場へ行くと、皆がバルティックを待っていた。

「で、どうだった?」

 最初に訊いて来たのは、15歳になったメルローズだった。

「いや、それが…」

「まさか…駄目だったんですか?」

 11歳のアストリアは、不安そうな表情を浮かべている。

 バルティックは、首を横に振った。

「それが、その反対。あまりにもあっさりOKするもんだから、こっちも何て言ったらいいのか分からなくてさ。色々言う事考えてたんだぜ、心配掛けないように。なのに、あの返事だろ?逆にこっちが、危険な旅ですよとか悪い事ばっか言っちゃったりしてさ」

 それを聞いて、皆が一斉に大笑いする。

「でも良かったね、バル兄ちゃん。これで、仲間が全員揃ったよ!」

 9歳のペルティエがそう言うと、17歳のマリアージュも頷いた。

「そうよ!バルティック、メルローズ、セディナード、アストリア、ペルティエ、カミユール、ジャスミン、そして私。やっと、8人揃ったのね。ほんと、長かった…」

「ああ…そう、だな…」

 マリアージュの言葉を聞いて、バルティックはこの旅を始めて計画した時の事を、思い出していた。

 そうして、静かに目を閉じているバルティックを見ながら、決して忘れてはいけない、忘れる事なんて出来ない…そんな出来事が、皆の脳裏をよぎっていた。

「もっともっと強くなって、世の中を早く平和にしたい。人間を襲う魔物は、やっぱり許せないから…」

 13歳になったセディナードは、そう呟いて俯いた。

 皆が、セディナードを見つめる。

「確かに、セディの言う通りだ。でも俺としては、やっぱり…」

 バルティックは、何かを言い掛けてグッと飲み込んだ。

「いや、今更くよくよしたってしょうがないよな。あと7年、皆で力を合わせて頑張って行こう。そして、強くなろう。いいな?」

『はいっ!』

 バルティックの言葉に、皆は力強く頷いた。



     17年後 ―4年前―

 

        ‡

 

 その日もいつも通り皆で広場に集まり、それぞれが練習をしていた。

「アスト…お前、召喚士の研究も始めたんだって?」

 22歳と言う、成人をとうに迎えて逞しく成長したバルティックは、14歳になったアストリアに訊いた。

 アストリアもまだ顔立ちはあどけないが、急に背が伸び始めて大分男らしくなって来ている。

「ええ、まあ…フォード博士のお宅にも、ちょくちょく寄らせてもらっています。カミユールも、頑張っているようですよ」

 その話を聞いて、皆も歓声を上げた。

 攻撃魔法、回復魔法共にほぼマスターした賢者レベルのアストリアは、最近召喚魔法にも興味を持ち始め、昔も今も変わらない勉強熱心さを見込まれて、フォード家に入り浸るようになっていた。

「アンタってほんっと勉強好きだよねぇ、アスト。私には、とてもじゃないけど真似出来ないわ」

 剣の素振りをしながら、18歳のメルローズが言う。

 相変わらず活発な性格だが、体つきは立派な女性だ。

 最近の悩みは、女の割に筋肉が付き過ぎて来ている事だと言う。

 20歳になり、こちらも成人をようやく迎えて更に女らしくなったマリアージュも、頷いて言った。

「ほんと私も尊敬するわ、アストリア。私なんて全然頼りなくて、バルティックにいつも迷惑掛けてばかりだから…」

 バルティックは、驚いた顔をする。

「お、おいおい、マリア!突然、何言ってるんだよ!誰も、迷惑掛けられたなんて思ってないぜ?それに、マリアは強くなったよ。最近の上達振りには、正直俺も驚いてるくらいだからな」

 そう言って、バルティックはそっとマリアージュの肩に手を置いた。

 技の練習中は精神を集中させているので何とも思わないのだが、こう言った日常のちょっとしたバルティックとの接触は、未だ片思い中のマリアージュの胸を必要以上に高鳴らせるのだった。

「そうだ…最近の外の様子はどう、ペルティエ?」

 セディナードは、16歳。

 子供と大人の間で揺れる、難しい年頃に差し掛かっていた。

 しかし内面は相変わらず優しく、思いやりも持っている。

 変わった所を挙げるとすれば、昔以上に勇者としての自覚を持ち始めて来たと言う所だろうか。

 小さい頃の彼は、勇者としての自覚と言うより、勇者として皆の前ではちゃんとしなきゃいけないんだろうな、と言う程度のものでしかなかった。

 けれども今は曽祖父達の話を聞きながら、勇者とは一体何なのだろうかと言う、本質的な事を考え始めていた。

 少しずつ、大人としての考え方が出来るようになって来ている証拠なのだろうか。

「そうだなぁ…ティーラは、ほんのちょっとずつだけど魔物は減り始めて来てるって。でも、ほんのちょっとだよ?まだまだ、外は危ないみたい」

 ペルティエは、12歳。

 小さい頃ほど我儘ではなくなったにしろ、まだまだ自分勝手な子供っぽさは残っているようだ。

 すっかりティーラを手なずけてしまったペルティエは、人が乗れるほどの大きさに成長したティーラに、村の外の偵察を頼んでいた。

 定期的にこの山脈の大陸フーペフープを見回り、報告させているのだ。

 ペルティエの魔物使いとしての能力も、今や魔物と会話が可能なまでになっていた。

「そうか。皆の魔法の腕も上達して来て、今じゃ村の中での魔法の練習も危なくなって来ただろう?だから、少しずつ村の外での練習も増やして行こうと思ったんだけど…そんな状態じゃ、村の周りも危険かな」

 バルティックが考え込んでいると、ペルティエは首を横に振った。

「多分、大丈夫だよ。村の周りくらいなら、ティーラを側に置いとけば平気平気。ティーラには、私から言っておいてあげるから」

「アストリアの勉強熱心さも凄いけど、ペルティエも凄い上達したよね。何だか、僕も負けていられないなぁ」

 そう言って、セディナードは溜息をついた。

 バルティックは、セディナードの頭を優しく撫でた。

「だったら、今日から村の外での練習を開始しよう。今日、都合のいい奴はいるか?」

「はい。僕、大丈夫です」

 アストリアが、手を挙げる。

「あ…私も、行っていいかな」

 マリアージュも、手を挙げた。

「他には?」

「僕はこれから、曽祖父様と勇者についての勉強があるんだ」

「私、店番。ほら、今日父さんが腕が痛むって言ってたじゃない?」

 そう言って、セディナードとメルローズは断った。

 よって村の外での練習はバルティック、マリアージュ、アストリア、ペルティエの4人で行う事になった。

 

 

 午後。

 早速ティーラを呼んで、村の外での練習が始まった。

 山の中の少し開けた平地で、それぞれが練習する。

「私、其処ら辺見回って来ていいかな?」

 ペルティエに訊かれてバルティックは少し考えていたが、厳しい口調で言った。

「すぐに、帰って来いよ。外は、何が起こるか分からないんだからな!」

「分かった」

 そう言ってペルティエは平地を抜け、木々の生い茂る山奥へと1人で歩いて行った。

 

 

「静か。何も、気配を感じない。と言うより、何者かが他の魔物を寄せ付けないようにしてるみたい…どう言う事だろう…」

 そう思いながら、ペルティエが歩いていると。

「ペルティエ!」

 何と、後ろからアストリアが走って来た。

「あれ、練習は?」

「バルティックが、心配だから行ってやってくれってさ。勿論僕は、練習に集中したかったのですがね」

「そう…バルもああ見えて、結構心配性なんだよね」

 ペルティエがそう言うと、アストリアは肩を竦めて呟いた。

「心配性と言うより、兄としてはそれが当たり前の気持ちだと思いますがね…」

 2人は、そのまま山奥へと進んで行った。

 

 

 暫く歩くと、突然ペルティエが止まった。

「どうしました?」

 アストリアが訊くと、ペルティエは険しい表情で言った。

「とうとう、見つけたの…此処ら辺一帯に、他の魔物を寄せ付けないようにしている、張本人をね…」

「何だって?」

 目を凝らして遠くの茂みを見つめると、何やらガサゴソと動いている。

 ペルティエは、静かにその茂みへ近付いて行った。

「お、おい、危険だっ…」

 小さく叫び、アストリアもペルティエの後を追う。

 ペルティエは、そっと茂みの中を覗こうとした。

 すると、突然茂みの中から爆風が起こり、ペルティエとアストリアは数レートほど後ろへ飛ばされた。

「キャーッ!」

「うわぁーっ!」

「痛たたた…な、何なのよ、一体…っ」

 頭や腰を摩りながら、ペルティエは先程の爆風によって、一緒に取り払われてしまった茂みを見た。

 其処には何と、馬に角が生えたような真っ白い一角獣ユニコーンが、人間が魔物退治の為に仕掛けた魔法の罠に、足を捕らわれて動けなくなっていたのだ。

「す、凄い…」

 ペルティエが、唖然とする。

「まっ、魔物だっ…」

 アストリアは、野生の魔物をこんな近くで見たのは、生まれて初めてだった。

 ティーラは、最初から人間によって育てられているので危険は少ないが、このユニコーンは正真正銘魔王に仕えていた、野生の魔物である。

 少しでも刺激を与えると、こちらの命が危ない。

「凄い立派な馬、カッコいいっ!」

 ペルティエは興奮しながら、更に魔物に近付く。

「おい危険だ、やめろっ!」

 アストリアは即座に止めようとしたのだが、彼らしくもなく腰が抜けて立ち上がる事が出来ない。

「大丈夫だよ…ねえ、どうしたの?足を捕らえられて、動けないの?」

「ペ、ペルティエっ…一体、何をする気だっ?」

 アストリアはようやく立ち上がると、不安そうな表情でペルティエとユニコーンを、交互に見つめた。

 最初は、人間の言葉で話しかけていたペルティエだったが、その内聞いた事もない言語で話し始めた。

「イェクォ…イー・ファ・ウォ・フォ・ノインアプモック」

 それを訊いた一角獣は体をビクッと震わせ、鋭い目つきでペルティエを睨みつけながら、何と同じ言語を発し始めたではないか。

《ウィウ・リベド・フォ・エガウグナル・スイ・ナースレイダン…》

 アストリアは、目を丸くしてペルティエとユニコーンを見た。

「こっ、これが、魔物の言葉だって言うのか…」

 暫く会話が続き、アストリアは離れた所でずっとその様子を窺っていた。

 その内、ユニコーンの態度が荒々しくなって来た。

《ヴェルーエ・トゥ・ナック!》

「ウィウ!」

 ペルティエの表情にも、焦りが見え始めている。

 嫌な予感がしたアストリアは、ペルティエに向かって叫んだ。

「おい…一体、何を喋っているんだ!何か、あったのか?」

 その時だった。

 突然一角獣の口から、火の玉が吐き出されたのだ。

 あまりにも一瞬の出来事で、ペルティエは呆然と立ち尽くしたまま、避ける事が出来ずにいる。

「シガム・ルア・ノイセルーフェ!」

 アストリアは、とっさに魔法反射の呪文を唱えた。

 アストリアとペルティエを、半球体状のバリアが包み込む。

 間一髪の所で、2人は火の玉を避ける事が出来た。

「ふぅ…助かった…」

「ア、アスト…あ、有り難う」

 放心状態でペルティエが振り返ると、アストリアも額の汗を拭って言った。

「有り難うじゃないっ!死ぬ所でしたよ、君も僕もっ!しかし、どうしてこんな事になったんだ?見ているこっちは気が気じゃないよ、全く…」

 ペルティエは、チラチラとユニコーンを見ながら言う。

「私は、助けてあげるって言ったの。私は貴方の仲間で、怖くないから安心してって。そうしたらお前は人間のくせに、どうして魔物と会話が出来るのかって訊いて来たから、私は魔物使いで人間と魔物が仲良くなれるように、色々と勉強してるんだって言ったの」

「それで?」

 アストリアが、続きを促す。

「それで…お願いだから、任せてくれって言ったの。そしたら、急に怒り出しちゃったのよ。人間に使われるなんて、御免だって。大体、お前達人間に助けてもらうくらいなら、此処でのたれ死んだ方がマシだって」

「ま、まあ、魔物の立場からしたらそう思うのが、普通でしょうね。何てったって、その罠を仕掛けた張本人なんですから、人間は」

 アストリアはそう言って、溜息をついた。

「それでも私は、貴方をどうしても助けたいって言ったの。そうしたら、余計な事をするなと言って、口から火の玉が…」

 俯くペルティエに、アストリアは言う。

「仕方ありませんね…もう罠に掛かっているのですし、魔法の練習がてら此処は1つ、思い切って退治した方が…」

「駄目だよっ!」

 ペルティエは、怒鳴った。

 アストリアも、言い返す。

「どうしてっ?僕達の旅の目的は、世界を見る事と魔物退治だろっ?その為に、今までこうして頑張って来たんじゃないかっ!」

「だって…だってこの子は、良心の欠片を持っているものっ!」

 アストリアには、意味が分からなかった。

 ペルティエは言う。

「ちゃんとした態度で接してあげれば、この子は必ず人間の気持ちを分かってくれる筈なの!魔物はね、人殺しをする悪い奴ばかりじゃないんだよ?アストだって見たじゃない、あんなに楽しい芸を見せてくれた、魔物のサーカス団をっ!」

 アストリアは、何年か前にこの村に来たサーカス団の事を思い出した。

「あのサーカスを見て私、小さいながらに思ったの。人間達が、魔物だと思って何でもかんでも退治しようとするから、魔物達も怒って人間を殺しちゃうんじゃないかって…もしかしたら、人間に何か伝えたくて近付いて来る魔物も、いるかもしれないんだよ?」

 それを聞いて、アストリアはそう言う考え方もあるのかと、目から鱗が落ちた。

 今まで、一方的に魔物が悪いんだと思っていたが…果たして、本当にそうなのだろうか。

 人間にだって、人殺しをするような悪い奴はいる…逆に、そうじゃない人も。

 だったら、魔物にもそうじゃない奴がいたっていいじゃないか。

 アストリアは、考えさせられるものがあった。

「大丈夫、私に任せて…」

 そう言って、ペルティエは再びユニコーンに近付いて行った。

 アストリアは万が一の攻撃に備えて、いつでも呪文が唱えられるよう身構えた。

 ペルティエは先程のように、不思議な言語でユニコーンとの会話を試みた。

「イー・ファ・ウォ・ノー・フィーレフ・オーティナ…ウォ・ファ・パルト・モルフ・ツォモス・オーティナ…テューパ・パルト・ファ・ナミューフ・イリーノ・スイ・レクナック・ナック…レリークァ・タ・セルティン・ファ・イリーガ・ウードゥ…ウォフ?」

《トゥ!ウォ・ファ・ヴェルーエ・ナック・トゥ!》

「ウィウ・トゥ・ナースレイダン!」

 

 

 そうして、どれほどの時間が経っただろうか。

 暫くユニコーンと言い合っていたペルティエは、アストリアの方を振り向いてニッコリ笑った。

「商談成立!」

「えっ?」

 アストリアは、拍子抜けしてペルティエを見ている。

「ねえ、アスト。この子の罠、何でもいいから攻撃魔法でぶっ壊してくれない?」

「あ、ああ…やはり、火で溶かすしかないか…ジアルーブ!」

 アストリアは、罠めがけて魔法を放った。

 手のひらから炎が生まれ、罠の金具を溶かし始める。

《ウォーッッッ!》

 ユニコーンが、苦しそうに叫んでいる。

「エルティ・ウィーハ・チェンタップ・ウードゥ!」

 ペルティエは、必死にユニコーンを励ましている。

 やがて罠が全部溶け切ると、ユニコーンの足には火傷の痕が残った。

「アスト、悪いんだけど…回復魔法、かけてもらえる?」

「えぇーっ?何故、僕が其処まで…」

 嫌そうな顔をする、アストリア。

 しかし、手を合わせてニコニコと頼んで来るペルティエを見て、アストリアは何も言えずに溜息をついた。

「はぁ…えーと、レボーチェ!」

 アストリアの手のひらから淡い光が漏れ出し、ユニコーンの足を優しく包んだ。

 徐々に火傷の痕が薄れ、何もない状態に戻った。

「有り難う、アスト!これで、全部終わったわ」

「とにかく何故商談が成立したのか、会話の内容を聞かせてもらえませんかねぇ…こっちの頭の中の整理は、全くと言っていいほど終わっていないんですが」

 アストリアにそう言われて、ペルティエは会話の内容を簡単に説明した。

「どうしても私を信じられないならそれでもいいけど、とにかく私は貴方を助けたい。貴方は罠から抜け出したいけど、その罠は人間にしか壊せない…って事で、お互いに利害は一致してるんじゃないかって事を、説明したのよ」

「なるほど…それで魔物の方が渋々折れ、商談は成立したって訳か」

「でも最初は、それでも嫌だって言い通してたの。だから私は、貴方が私を信用出来ない気持ちは分かるけど、私を殺すにしたってそんな状態じゃ身動きも取れないでしょ?だから、どっちにしろ貴方は私に頼るしか方法がないのよって言ったの」

 アストリアは頷きながら、黙って話を聞いている。

「その罠を解除したら正々堂々殺させてあげるから、まずは貴方を助けさせて。まあその代わり、こっちだってだてに何年も鍛えてる訳じゃないから、大人しく殺されはしないけどね、って…」

「アッハッハ!こりゃいいや、それでこの魔物はまんまと助けられる羽目になったって訳だ…ペルティエ、君も中々やりますね?」

 アストリアに褒められて、少し気を良くしたペルティエは後ろを振り返り、ゆっくりと立ち上がったユニコーンに言った。

「ステイル・ウォナ・ウードゥ?イー・ノー・レスガルス…ロウア・トゥ・レスガルス」

《イー・ファ・ノインアプモック・タ・イェルティーブ・ネウ…》

「えっ…」

 ペルティエが、目を丸くする。

 ユニコーンは暫くの間、何かを話し続けた。

 それを聞いているペルティエの表情が、徐々に曇って行く。

 アストリアは眉間に皺を寄せ、その様子を黙って見つめている。

《ナミューフ・タ・フィーレフ・ネウ・テンスループ・ニィ・イー・フォ・イニトゥシード・ファ・テインフィード…ウォ・タ・ウォルローフ》

「ほんとにっ?あ、じゃなくて…スリア?」

 突然、喜んではしゃぎ出すペルティエ。

 やがて話が終わると、ペルティエはアストリアに言った。

「この子、私達の仲間になるって!」

「は?」

 アストリアは、もうついて行けなかった。

 何処をどうしたら、そんな話になるのだろうか。

「ちょ、ちょっと待て。それは、どう考えても危険だろう?だってそいつは、野生の魔物なんだぞ?それに、突然仲間と言われたって…」

 焦るアストリアに、ペルティエは沈んだ表情で言った。

「この子、仲間に裏切られたんだって…」

「え?」

 アストリアが、神妙な顔つきになる。

 ペルティエは、静かに話し始めた。

「大体魔物って、群れて行動するの。この子も、同じ種類の魔物達と一緒にこの山脈の大陸フーペフープを、荒らし回っていたそうよ。だけど、お城の兵隊さん達が頑張ってるみたいで、次から次へと仲間達が殺されて行ったんだって」

 アストリアは、黙って話を聞いている。

「それで…魔物達の間でね、この大陸を見回っているティーラの事が話題になっているらしいの。魔物のくせに、人間に従ってる裏切り者だって。其処で、何とかティーラを陥れてやろうと、この子達はこの村の近くまで来たらしいんだ」

「それで、この罠に掛かってしまったと…」

 アストリアがそう言うと、ペルティエは頷いた。

「そう、それなのに仲間達はこの子を置いて、別の大陸へ逃げてしまったんだって。こんな所で手こずって自分達はまだ死にたくないから、お前は犠牲になれって…だから人間は勿論、仲間である魔物ももう信じられなくなっているみたいなんだ」

 それを聞いて、アストリアは苦笑いしながら言った。

「皮肉なもんですねぇ、魔物同士でもそんなやり取りがあるなんて…思い切り人間臭くないですか、そう言う考え方」

「だから、試しに私達について来たらって言ったの。暫く私達と付き合ってみて、居心地が良ければそのままいればいいし、嫌だったら寝ている間に私達を殺せばいい。但しさっきも言ったけど、黙って殺される私達じゃないよって…」

「だからこいつは、僕達について来る事を考えたって訳ですか?」

 驚くアストリアに、ペルティエは笑って言う。

「まあそれ以前に、人間である私に助けてもらおうと考えた時点で、既に魔物である自分のプライドは、ぜーんぶ捨てちゃったみたいよ。アハハハハ!」

「いや、アハハじゃなくて…どうするんですか?こんなの連れて行って、バルティックが何と言うか…」

 アストリアがそう言うと、ペルティエは考え込んだ。

「それは…私から、話してみるよ。ティーラのように受け入れられるかどうかは分からないけど、この子だって絶対に悪い子じゃないよ。私には、分かる。仕方ないから、ティーラと一緒に村の外に住まわせるわ。アストは、どう思う?」

 突然訊かれて、アストリアは言葉に詰まった。

 正直、ティーラの事も自分自身受け入れた訳ではないのだ。

 だが、別に自分が飼ったり一緒に住んだりする訳ではない、ペルティエがそうするんだから自分には関係のない事だ…そう考えて、割り切っていたのである。

 今回の、このユニコーンにしても同じ事だ。

 自分に、直接関係のある事ではない…所詮は、人事。

 アストリアは、ペルティエに言った。

「べ、別に、僕は構いませんよ。ただ、問題は…ペルティエに、こいつを扱う自信とやる気があるかどうか、じゃないですか?」

「じゃあ、いいのね?」

 ペルティエが、嬉しそうに訊く。

「え、ええ、勿論…」

「ああ、良かったぁーっ!ほんとはアストリアも含めて、皆に受け入れてもらうのは難しいと思ってたんだ。だって、野生でしょ?でも、これで自信がついた!じゃあ、この子も一緒にバルんとこ帰ろう…オーグレス!」

 そう言ってペルティエはユニコーンを従え、元来た道を戻って行った。

 アストリアは、黙ってその後をついて行った。

 

 

「遅かったじゃないか、心配し…おっ、おい、何だよ、それっ!」

 心配していたバルティックは、ペルティエの後について来た魔物…ユニコーンを見て、唖然とした。

「あっ、危ないわよ、ペルティエっ!大丈夫なのっ?」

 マリアージュも、慌てて叫ぶ。

 しかし、ペルティエは笑って言った。

「大丈夫!この子、見掛けは獰猛そうだけど、優しい心を持ってるの。人間が仕掛けた罠に掛かっていたのを、さっき私とアストが助けたんだ。今日から、この子も仲間になるから…ティーラ、こっちにおいで!ティーラ・エルフ・タ・ノエモック!」

 ペルティエに呼ばれて、ティーラが近付いて来た。

 途端に、ユニコーンが警戒態勢に入る。

 しかし、ペルティエはユニコーンの首を撫でながら、魔物語で話しかけた。

「シーズ・スイ・ティーラ…ウォウ・ファ・イェドーツ・モルフ・ノインアプモック!イェクォ?」

 ペルティエが間に入り、ティーラとユニコーンをうまくまとめようとする。

「いやぁ、それにしても…我が妹ながら、驚くなぁ。尊敬しちゃうよ、全く」

 バルティックは、その様子を見ながら感嘆の声を漏らした。

 脇で、マリアージュも頷いて言う。

「ペルティエはまだ、12でしょう?ティーラが来たのが、6つの時…この6年で、大きく成長したわね。私達には決して真似出来ないような、素晴らしい才能だわ」

 やがてペルティエは話をつけたらしく、皆の方を見て言った。

「さてと…後は、皆次第なんだけど…どう?」

「そうね…私は、構わないわ。ペルティエがいい子だって言うんなら、きっとそうなんでしょう?私は、ペルティエを信じる!」

 マリアージュがそう言うと、ペルティエは笑顔で言った。

「有り難う、マリア!じゃあ、バルは?アストにはいいよって言う返事、もう貰ってるんだけど…」

「まあなぁ…魔物と仲良くなれるんなら、それに越した事はないんだろうが、やっぱりその、何と言うか、ティーラに関しては卵ん時からの付き合いだろ?だから、気心も知れてるが…」

 何となく煮え切らない様子のバルティックだったが、突然鋭い眼差しをユニコーンに向けて呟いた。

「もしかしたら、そいつが6年前に…あ」

 其処まで言って、バルティックはハッと口を噤んだ。

 マリアージュとアストリアが、互いに顔を見合わせる。

 やはりバルティックの頭の中から、6年前の悲劇を消し去る事は出来なかったのだ。

 それは彼に限らず、仲間達は皆そうだった。

 しかし、何処かで割り切らなければ、人間は生きて行く事は出来ない。

「あ、あのね、バルティック。私も、バルティックと同じ気持ちよ。もしかしたら、このユニコーンかもしれないって…でも、違うかもしれないわ。今は、魔物使いであるペルティエの直感を信じましょうよ」

「マリア…」

「もしかしたら、この子は何か手掛かりを知っているかもしれないんですもの」

 マリアージュは、そう言って静かに微笑んだ。

 一生懸命励ましながら、自分よりも心の傷を深く受けてしまったバルティックを、ずっと守ってあげたい…最近のマリアージュは、そう思うようになっていた。

「そうですよ、いつだって僕達の心は1つです。いつも1つにしてなきゃ、シティーリオにも申し訳が立ちませんし…とにかく、他のメンバーにも意見を聞いてみましょう。僕、呼んで来ます」

 アストリアはバルティックの肩をポンと叩き、村の方へと走って行った。

 バルティックは、疲れたと言って近くの岩に腰掛けた。

 マリアージュとペルティエは顔を見合わせながら、皆が来るのを待った。

 

 

 やがて、アストリアが戻って来た。

 ジャスミンは店番、カミユールは自宅学習だったので、セディナードとメルローズの2人が駆けつける。

「い、家にある図鑑で絵なら見た事あったんだけど、本物を見るのは初めてだよ。本当に、凄いな…」

 セディナードは、目を丸くしてユニコーンを見つめている。

 だがメルローズに関しては堂々としたもので、既にユニコーンの首を撫でていた。

「凄く、カッコいいわ。この子が仲間になってティーラと組んでくれたら、怖いモノなしなんじゃない?」

 しかし、バルティックは突然立ち上がって言った。

「皆、本気か?6年前の出来事を、忘れたとは言わせない!あんな悲劇を起こしたのは他でもない、こいつら魔物なんだぞ!俺達は旅先で魔物を倒す為、今まで修行を積んで来たんだ。ティーラはしょうがないさ、ペルティエの事もあったからな。だけど…」

 其処で、バルティックは俯いてしまった。

「バル…」

 メルローズが、バルティックの肩にそっと手を置く。

「ねえ…」

 セディナードは、静かに口を開いた。

「皆でもう1度考えてみようよ、旅の目的」

 皆が、ふと顔を上げる。

「バルの話では、旅の目的は魔物を全部倒して、世界を平和にすると言う事だった。だけどあの年、サーカスがこの村に来た時に、初めていい魔物もいるって事が分かった。ペルティエ、君の旅の目的は…」

「勿論、魔物を倒して世界を平和にする事。だけどいい魔物には、決して人間を殺してはいけないって事を、教えてあげるつもり!」

 ペルティエの話を聞いて、セディナードは言った。

「真の平和って、一体何だと思う?僕は、ペルティエの話を聞いて思ったんだ。真の平和って、果たして魔物を全滅させる事なんだろうか…」

 ハッとする、バルティック。

「ティーラが年々いい子に育って行くのを見て、罪のない魔物達まで殺す必要があるんだろうかって、考えさせられちゃったんだ…」

「それは、私もそう思った…」

 メルローズも、同意する。

「大体さ、矛盾してるんだよ。魔物が悪いって言って一方的に全滅させて、もしかしたらティーラみたいにいい子だっていっぱいいるかもしれないのに、やたらと斬り捨てて…それって、人間を殺し放題殺してる魔物と同じ行為じゃない?」

 皆は顔を見合わせ、考え始めた。

 確かに、その通りかもしれない。

 折角、ペルティエが魔物使いとして勉強しているのだ、その知識を使わない手はないじゃないか。

「だから、僕も考えた。悪い魔物は退治しつつ、ペルティエの手を借りていい魔物はきちっと改心させてやる。そして、人間と魔物が共存出来る世界を作る…それこそが真の、本当の意味での平和なんじゃないかって。僕はそう思ったんだけど、皆はどうかな?」

 セディナードの言葉に、皆は感銘を受けた。

 そして勇者として、改めてセディナードを尊敬した。

 しかし、バルティックは言う。

「セディ…お前の言う事、良く分かるよ。人間と魔物が共存出来る世界、実現出来たらどんなに素晴らしいか分からない。でもな、俺にはどうしても割り切って考える事が出来ないんだよ。魔物に、いいも悪いもあるのか?俺は、信じられない」

 セディナードは、晴れ渡った青い空を見上げた。

「バル…僕は今、16歳。シティオと、同じ年になった。当時まだ10歳だった僕は、バルやシティオがとても大人に見えた。バルは厳しかったけど凄く頼り甲斐があったし、シティオはちょっと頼りなかったけど誰よりも優しくて、思いやりがあった」

 セディナードの話に、皆が耳を傾ける。

 偶然にも今、この場にいるのはあの当時、広場で朝練習をしていたメンバーだ。

 6人は、それぞれが6年前の事を思い出していた。

「でも、自分が実際に16歳になってみると、バルやシティオとは全く違っていた。人に厳しく出来るほど立派な人間でもない、頼り甲斐もない、大人でもない…」

「そ、そんな事ないよ、セディナード!ちゃんと勇者として、私達に…」

 ペルティエはそう言いかけたが、セディナードはそれを止めて首を横に振った。

「勇者だとしたら、尚更しっかりしなきゃならないだろう?だけど僕は、あの頃のバルやシティオのようにはなれないよ…2人とも、僕の憧れの人だったから」

 マリアージュが静かに1粒、涙を零した。

「両親って言うのは、父と母が両方いて初めて両親と言えるだろう?バルとシティオは、僕にとって第2の両親みたいなものだったんだよ。バルが父親で、シティオが母親…あ、こんな事言ったらシティオに怒られちゃうかな」

 ハッとするセディナードを見て、皆が同時に笑い出す。

 シティーリオが、頬を赤く染めて怒っている姿が目に浮かぶようだ。

「それほど大切だったシティオの命が、魔物によって奪われた。しかも、残酷な姿で亡骸だけ戻って来て…本当にあの時は、子供ながらに怒りと悲しみで、胸が張り裂けそうだったよ。そして葬儀の夜、曽祖父様と旅の事を誓ったよね。覚えてる?」

 セディナードに訊かれて、皆は黙ったまま頷く。

 綺麗な月夜の晩、埋葬までの時間に皆は長老と、旅への意気込みを再確認した。

「あれから僕達は、色々な事を学んだ。魔物には、良心の欠片を持った奴らもいる。これも、学んだ事の1つだよね。まあ、ペルティエのお陰でもあるけど…」

 セディナードに見つめられ、頬を染めるペルティエ。

「ほら、サーカスで見ただろう?あれほど憎んでいたあの魔物達が、僕達を思う存分笑わせてくれたんじゃないか」

 確かに、そうだ…。

 皆は、返す言葉がなかった。

「だから…だから、僕はペルティエのような人間の力を借りて、今まで散々魔王によって操られて来た魔物達を、救ってあげたいと思ったんだ。たった一欠片の良心でも、きっと大きくする事が出来ると信じてる」

 バルティックは、相変わらず俯いたままセディナードの話を聞いている。

「シティオの事を思うと辛いけど、シティオだって僕達の仲間だったんだ。仲間として、きっと同じ事を望んでると思う。シティオの優しさや思いやりは、筋金入りだろ?何てったって、教会で生まれた牧師様の息子なんだから」

 マリアージュは、涙を拭って言った。

「皆が、兄さんの事をこんなにも思ってくれているなんて…妹として、とても嬉しいわ。普通死んでしまった人間って、意外と早くに忘れ去られちゃったりするのよ。だけど皆、特にバルティックは片時だって兄さんの事、忘れられないのよね」

 バルティックは、俯いたままだ。

「だけど、時には過去の人の事をそっとしておいてあげるのも、必要だと思うの。私達は生きているんだもの、兄さんの事ばかりを優先する訳には、行かない時だってあるのよ」

 続けて、セディナードも言う。

「また、シティオにからかわれちゃうよ?僕がいないと、淋しくて夜も眠れないだろう?結局臆病で淋しがり屋なのは、バルの方なんだよなぁ…って」

「そっ、それはっ…」

 バルティックは突然顔を上げて反論しようとしたが、何も言えなかった。

「バル…こればっかりは、しょうがない事だって私も思う。冷たい言い方かもしれないけど、これからはバル以下私達がシティオに従うんじゃなく、シティオが私達に従ってもらう時が来たんだよ」

 そうは言ったものの、メルローズの表情は少し辛そうだった。

「僕達の考えてる事、分かってもらえたかな。バルを責めてるんじゃない、シティオを忘れただなんてとんでもない誤解だよ。これは自然の流れであり、時間は刻一刻と過ぎているんだ。生きている僕達が、少しずつ良い方向へ変えて行かないと…」

「分かってる」

 ふと、バルティックが呟く。

「皆の言ってる事、全部分かってるよ。頭の中では、分かってるつもりなんだ。けど、心の何処かではそれが整理出来ずにいる。俺だって、もう過去の事だと割り切って生きて行かなきゃいけない事くらい、十分に分かってるんだ。だけど…」

「いいのよ、バルティック。無理に、そうする必要はないわ」

 マリアージュは、バルティックの肩にそっと手を置いた。

「私も父さんも、バルティックと同じ気持ちですもの。だけど、それを…その感情を、皆にぶつけるのは良くないわ。皆はただ表に出さないだけで、本当はいつだって思い出す度に辛くて、でもそれをグッと我慢して生きてるんだから。そうよね?」

 マリアージュの言葉に、皆が大きく頷く。

「そう、だよな…」

 それを見たバルティックは、情けなさそうに微笑んだ。

「本当に、すまない…何だか、自分だけが悲劇の主人公みたいに思っちまって…1番年長者のくせに情けないよ、自分が」

「そんな後ろ向きに考えるなよ、バルらしくない。たまにはこうやって、自分の感情をぶつけたっていいと思うよ。シティオの思い出話にだって、時々は花を咲かせよう。いくら年長者でもバルは1人の人間なんだし、それに…僕達は皆、バルの仲間なんだよ?」

 ああ…やっぱり。

 いくら自分の方が年上でも、いくら偉そうに威張っても、いくら無理して頑張っても、こいつにだけは…勇者セディナードにだけは、敵わない。

 バルティックは改めてそう思い、セディナードに尊敬の念を覚えた。

「よーしっ、愚痴を零すのはもう終わりだ!悪かったな、ペル。お前を信じて、その魔物を仲間に入れる事を、許可するよ」

「ほんとっ?有り難う、バル!実はもう、名前も決めたんだ。この子は今日から、ティルマと名付けます!」

 そう言って、ペルティエは同じ事を魔物語でユニコーンに話した。

「ティーラとお揃いみたいで、凄くいい名前だわ」

 マリアージュに褒められ、ペルティエは嬉しそうに笑った。

「じゃあ皆のお許しが出た所で、『契約』しちゃうね!」

「け、契約?」

 アストリアが、訊き返す。

 ペルティエは、説明した。

「魔物使いは、魔物と『契約』して初めてその魔物を支配する事が出来るの」

「支配?」

 驚く、セディナード。

「まあ、私はいい魔物は仲間ならぬ『仲魔』だと思ってるから、支配って言葉はあまり使いたくないんだけど…で『契約』が成立すると、ようやく戦闘で皆が使う魔法と同じ攻撃方法が、魔物を使って出来るようになるって訳」

「へぇーっ…何気に凄い事してたんだねぇ、ペル」

 メルローズが、呆然としながらペルティエを見る。

 ペルティエは、ウエストポーチから巾着袋を取り出した。

「えーと、ティルマは何がいいかな…」

 巾着袋から、いくつかの小石が出て来る。

「あ、それって…ティーラの額に付いているのと、同じような石ね」

 マリアージュの意見を聞いて、ペルティエは驚きながら言った。

「流石マリア、鋭いね!確かにこの石は、ティーラの額に付いているのと同じ石。ティーラには、赤い石が付いているでしょ?あれを埋め込まれた魔物は、火の魔法を使う事が出来るの。ほら…この青い石なら水の魔法、黄色い石は雷の魔法が使えるんだよ」

「では、その石をペルティエが魔物の額に埋め込む、イコール契約となる訳ですね?」

 アストリアに訊かれ、ペルティエは頷いて言った。

「まあ、そう言う事。そうだなぁ…よしっ、じゃあティルマはこの虹色の石っ!」

「虹色の石は、何の効果があるの?」

 セディナードの質問に、ペルティエは思い出しながら答えた。

「えーっと、確か移動の呪文。1度行った事のある場所になら、瞬時に移動する事が出来るって言う、優れもの!」

「と言う事は、賢者の僕や僧侶のマリアージュ、それに勇者のセディナードが使用出来る移動の呪文エヴォームを、この石を埋め込む事によってティーラも使えるようになると?」

 アストリアの説明を聞いて、メルローズはまたもや感心している。

「へぇーっ…やっぱ凄いわ、ペル」

「じゃあ、やってみるね」

 虹色の石を握ったペルティエはティルマの前に立ち、握った手を胸に当てた。

「エノーツ・フォ・リウォーブ・ノー・スィオルーレ・ウードゥ…」

 やがて、握った手のひらから光が漏れて来た。

 開いた手のひらに乗った石は、虹色の光を放っている。

 ペルティエは、その石をティルマの額に当てて言った。

「イー・ドゥナ・ウォ・ファ・オーノ・エリフェ・テイ・トゥクァルトノック・ノー・エグナグス…フィー・シーズ・ノー・カレブ・フォーサーチ・ウォ・ファ・トゥオッソルク・ウードゥ・ネウ…イー・タ・ウォルローフ・ドゥナ・エグデルプ?」

 其処で、沈黙が続く。

「エグデルプ、ティルマ?」

 どうやら、ティルマに何かを訊いているようだ。

 皆が、息を呑んで見守る。

 やがて、ティルマは低い声で言った。

《セイ・リセイム…》

 頷いたペルティエは、静かに石をティルマの額に押し込んだ。

《ウォーッッッ!》

 ティルマは、今までに聞いた事もないような物凄い声で叫び始めた。

 皆が、思わず耳を塞ぐ。

「お、おい、ペル…だ、大丈夫なのか、そいつっ!」

 あまりにも苦しそうなティルマを見て、バルティックが訊く。

 ペルティエはティルマの額に手を当てたまま、目を閉じている。

「い、石を埋め込むんですもの、相当痛いのよ、きっと…」

 マリアージュが、辛そうな声で呟く。

 アストリアは、冷静にその様子を見つめた。

「しかし、石は吸い込まれるように額に埋め込まれて行きましたよ。見た感じは、痛そうには見えませんでしたがね…」

「でもこの悲鳴、こっちの耳がおかしくなりそうなほどだよ?やっぱり、痛いんだよ」

 そう言って、セディナードは顔を歪めた。

 石は、未だに虹色の光を発している。

 やがてそれが収まると、目を開けたペルティエは静かに言った。

「トゥクァルトノック・ノイスリューク…ふぅ、終わった」

 ペルティエが額から手を離した途端、ティルマはドスンと地響きをさせて、その場に倒れてしまった。

『あっ!』

 皆が、一斉に駆け寄る。

「ど、どうなったの、この子!」

 メルローズが、慌てて訊く。

 ペルティエは、ティルマの側にしゃがみ込んだ。

「この額に石を埋め込む時だけ、ちょっと体力を消耗しちゃうみたいなの…でも大丈夫、ほら」

 一瞬だけ気を失っていたティルマはやがて目を開け、ゆっくりと起き上がった。

「ああ、良かった…」

 マリアージュが、ホッと胸を撫で下ろす。

「よし、っと…じゃあ、今日の所はお開きにする?」

 ペルティエの意見に賛成した皆は、帰る支度を始めた。

 

 

 村まで歩きながら、ペルティエはティーラやティルマと楽しそうに会話している。

 皆は、何度聞いても慣れない魔物語を喋るペルティエを、物珍しそうな顔で見ていた。

「あの、バル…」

「ん?どうした?」

「あ、あの、僕…」

 セディナードが、沈んだ表情でバルティックの袖をキュッと掴む。

 そんなセディナードの手を優しく握ったバルティックは、笑顔で言った。

「お前なぁ、謝るのはなしだぞ?お前が、言い過ぎただの偉そうにしてごめんだのなんて言ったら、俺が説教され損だろ?ま、勇者様の有り難ぁーいお言葉を頂いたと思って、心ん中にしまっとくからさ」

「バ、バルーっ!」

 困った顔のセディナードを見て、バルティックは笑いながらセディナードの額を軽く小突いたのだった。


 

     19年後 ―2年前―

 

        ‡

 

 とても、気持ちのいい朝だった。

 空は晴れ渡り、雲1つない青空が広がっていた。

 そよそよと、爽やかな風も吹いている。

 しかし、26歳になったルビイナリスの心は曇っていた。

「ど、どうしたの、こんな朝早くに…」

 朝の礼拝堂の掃除に来た22歳のマリアージュは、ポツンと座っているルビイナリスを見つけた。

「あ、マリア…ごめんなさいね、お邪魔だった?」

「いいのよ、別に。それより…何か、悩みでもあるの?」

 マリアージュに訊かれて、ルビイナリスは少し俯いた。

 そして天井を見上げると、静かに言った。

「私、近々この村を出るわ…」

「えっ?」

 あまりにも突然の事だったので、マリアージュは思わず手に持っていたモップの柄を、床に倒してしまった。

「ど、どうして?だって、まだ…」

 マリアージュは、指折り数えながら言う。

「ババ様と兄さんは同じ年に亡くなったんだから、えーっと…ま、まだ、8年くらいしか経ってないじゃない!確かルビイナリスは、ババ様のお葬式の日に初めてこの村へ来たんだったわよね?」

「ええ、そうよ。だからほんと、8年も此処で暮らしたのね。けど…昔住んでいた、水の大陸サートサーチに帰る事になると思う」

「何故、そんな急に…」

 マリアージュは不安そうな表情のまま、ルビイナリスと通路を挟んで隣に座った。

 ルビイナリスは、苦笑いしながら言う。

「結婚よ…」

「けっ…結婚っ?」

 マリアージュは、何故か顔を赤らめた。

「代々グレンミスト家の勇者の血は、男にしか表れないと言われてるわ。それと同じように、ルインドール家の占い師の血は女にしか現れないの。要するに、婿を貰わないと血が絶えてしまうのよ」

 そう言って、ルビイナリスは悲しげな表情をした。

「で、でも、結婚ならこの村でだって…」

「駄目よ…勇者の血は、強くて濃い血なの。だからどんな女の人と結婚しても、次の血を継ぐ子供は同じように濃い血を持つわ。でも、私達女性が継ぐ占い師の血は薄いの。だからそれ相応の男性と結婚しないと、次の血を継ぐ子供が生まれなくなっちゃうのよ」

「そんな…」

 マリアージュが俯く。

 占い師の血を絶やさんが為に、それ相応の男性としか結婚を許されないとは…そのような事が、あっていいのだろうか。

「だから占い師の血を継いだ者は、ルインドール一族の男性の中から相手を選ぶのよ。今の所、ルインドール一族は水の大陸に腰を据えてるから…だから、私も水の大陸に帰らないといけないの」

「でも、ルビイナリス…本当に、それでいいの?」

 マリアージュは強く訊き返したが、ルビイナリスは微笑んだまま首を横に振った。

「仕方ないわ、母様だって遠い親戚だった父様と結婚したんですもの。それで、私が生まれた…私の子供が血を継ぐかどうかは分からないけど、私自身が血を継いでいるから一族の中から婿を選ぶのは、義務なの」

「占い師の血を継がなかったルインドール家の女性は、好きなように結婚出来るの?」

 マリアージュが訊くと、ルビイナリスは頷いて言った。

「そうよ。占い師として生まれなかったルインドール家の女性は、普通の女性ですもの。好きなように生きて、好きな人と結婚出来るわ」

「そ、そんな…」

「やだ、マリアージュが落ち込まないでよ。しょうがないの、こればっかりはね…」

 ルビイナリスはそう言って立ち上がると、思い切り伸びをした。

「あーあ…この村の人達は皆いい人ばかりだったから、ちょっと離れ難いなぁ。最初は、ババ様の信頼が厚くて受け入れてもらえなかったけど…でも皆、すぐに慣れ親しんでくれてとても楽しかった。次にこの村に遊びに来る時は、赤ちゃんを連れて来るわ」

「いつ、発つの?」

「明後日。あまり長くいると、未練が残るから…」

「ルビイナリス…」

「それじゃあ、そろそろ家に戻るわね」

 ルビイナリスは軽く手を振ると、扉を開けて出て行った。

 マリアージュは座ったまま、ルビイナリスが出て行った扉をいつまでも見つめていた。

 

 

『えぇーっっっ?』

 皆はマリアージュの報告を聞いて、それは驚いた。

「そんなぁ!それじゃあ、あまりにもルビイが可哀想だよ!」

 憤慨しているのは、20歳になったメルローズだ。

「そうだよっ!血とか、そんなもののせいで結婚相手が決まっちゃうなんて…私なら、耐えられないっ!」

 14歳のペルティエも、かなり興奮している。

「ま、本人も仕方のない事だと割り切っているようですし、僕らがとやかく言ったってどうする事も出来ないんですよ」

 ただ1人、16歳のアストリアだけが冷静に自分の意見を述べる。

「特殊な家系に生まれた者として、気持ちは凄く良く分かる。でも…僕は、男性だからな…もし、自分がルビイの立場だったらと思うと…やっぱり、ちょっと辛いものがあるかもしれない」

 そう言って、18歳になったセディナードは俯いた。

 いつも通り広場に集まって練習をする筈だったのだが、この日はルビイナリスの話で持ち切りになってしまった。

 ペチャクチャと皆が意見を言い合う中、24歳のバルティックだけがひたすら自分のカリキュラムをこなしていた。

 それを見たメルローズが、バルティックに訊く。

「ねえ、バルも何か意見出しなよ」

 すると、バルティックは木に向かって蹴りの練習をしながら言った。

「俺達が、口出す事じゃねぇだろ」

「何よ、それだけ?」

 口を尖らせる、メルローズ。

 しかし、バルティックはただ黙々と蹴りの練習を続けていた。

 マリアージュは、黙ってバルティックを見つめた。

 

        ‡

 

 出発前日。

 バルティック、マリアージュ、メルローズ、セディナード、アストリア、ペルティエの6人はルビイナリスの家を訪れた。

「まあ、いらっしゃい。もう荷物は全部詰めちゃって、何もお構い出来ないけど…」

 出迎えてくれたのは、母のレーナフィザだった。

 確かに、棚に所狭しと並べてあった占いの道具も全て無くなっており、部屋の中は何だか殺風景に見える。

「あら、いらっしゃい。悪いわね、気を使わせちゃって」

 奥からルビイナリスが出て来て、ソファーに座る。

「さあ、どうぞ」

 レーナフィザは全員に茶を出し、ルビイナリスの隣に座った。

「でも、突然でビックリしたよ。もっと、早くに教えてくれれば…って言っても、私達に出来る事なんて何もないんだろうけど…」

 そう言って、メルローズは茶を1口飲んだ。

 ルビイナリスは、笑って言う。

「いいのよ、気にしないで。私も中々決心がつかなかったから、皆に言えなかったの。結婚なんて、全くと言っていいほど考えられなかったし…でも私、考えてみたらもう26なんだよね。早くしないと、行き遅れちゃうかなーなんて」

「そんな事っ…」

 そう言いかけたのは、バルティックだった。

「え…何?」

 ルビイナリスが訊き返したが、バルティックは何も言わなかった。

 ペルティエが、不機嫌そうな顔で言う。

「なーんかバル、今朝の練習の時から変なの。妙に、無口で感じ悪ぅーいっ!」

「まーた、悪い癖が出たんだよ。人一倍、淋しがり屋なと・こ・ろ!」

 メルローズがからかい口調で言うと、バルティックは黙ったままメルローズの頭をコツンと叩いた。

 それを見ながら、ルビイナリスは笑う。

「でも、バルだけじゃないわよ。私もこう見えて、案外淋しがり屋なの。此処にいる皆とだって、もう8年もお付き合いしてるのよ?今更、離れたくなんかないわよ…ねえ、母さん?」

 話を振られたレーナフィザは、静かに俯いた。

「ほんと、ルビイには申し訳ないと思っているの。占い師の血を継いだばっかりに、親戚同士で結婚しなきゃならないなんて…私もこの村を離れたくはないけど、仕方がないのよね。皆には感謝しているわ、余所者の私達に親切にしてくれて」

「そんなのは言いっこなしですよ、レーナさん」

 セディナードは、肩を竦めて言う。

「この村に来た人達は、もう余所者なんかじゃない。立派な、村人の一員なんです。それにレーナさんだって血を継いだ者の1人、同じように若い頃から苦労して来たんでしょうから、悪がる事はないですよ。ルビイだって、よく分かっている筈です」

「そうよ、母さん。何回も言ってるように、これは仕方のない事なのよ。まあ最初は悩んだりもしたけれど、私なりにもう気持ちの整理はついたわ。だから…」

 そうは言いながらも、ルビイナリスは悲しそうに俯いている。

 皆も彼女の気持ちが分かるだけに、何も言えず黙り込むしかなかった。

 

 

「なーんか、おかしいですね…」

 そう呟いたのは、アストリアだった。

「何が?」

 セディナードが訊く。

 皆は再び広場に集まり、お喋りで出来なかった分の練習を、午後から行っていた。

 バルティックとマリアージュはいつも通り2人で技の練習、メルローズとペルティエは村の外で魔法の練習をしていた。

 広場の真ん中、大きな岩にもたれかかって本を読んでいたアストリアは、先程から1人でおかしいおかしいと呟いている。

 脇で剣の素振りをしていたセディナードは、しゃがみ込んでアストリアの呟きを聞いていた。

「いいですか?いくら8年もいたとは言え、なーんかこの村に特別大きな未練が残っているかのような口ぶりでしたよね。あれは、何かありますよ…」

「だから、何の話だよ」

 セディナードが、再び訊き返す。

 アストリアは、セディナードをジトーッと睨みながら言った。

「貴方、勇者の血が流れてなかったら本当にただの…ま、まあ、いいや。よーく考えてみて下さい、ルビイナリスの事ですよ。何だかんだ言いながらも、彼女はまだ踏み切れていない。結婚が出来ない理由が、この村にあるような気がしませんか?」

「踏み切れないのも、無理ないさ。親戚の誰かと結婚させられるなんて、女の子なら嫌だろう。それに、長年住んでいたこの村を出なきゃいけないんだ、僕達とも別れて…別に、普通の感情だよ」

「それはそうですが、この村を離れたくない特別な理由が、この村にあるんですよ、きっと。仕方ないと言いながら、何故か落ち込んでいる。マリアージュの話では、教会にまで来たと言うじゃないですか。神頼みするほど、何か深刻な悩みが…」

 セディナードは、首を傾げながら立ち上がった。

「僕には、アストリアの言っている意味がさっぱり分からないなぁ…」

 再び剣の素振りを始めるセディナードを見ながら、アストリアは呟き続ける。

「あのバルティックの態度も、何だか…」

 

        ‡

 

 そして、いよいよ出発の日が来た。

 バルティックは、まだ草木も目を覚ましていないような早朝に、教会の礼拝堂を1人で訪れた。

「神様、俺は…」

 そう言いかけて、それを打ち消すように首を横に振ったバルティックは、近くの席に座って頭を抱えた。

 その時…バタンと扉が開く音がして、何とルビイナリスが入って来た。

「バ、バルっ?」

「ルビイ…どうして、此処に…」

「バルこそ、どうしたのよ。私は、たまに朝早く教会に来てるの。悩んでる時とか、どうしても疑問が解けなかった時とか…」

 そう言って、ルビイナリスはわざとバルティックから離れた場所に座った。

「じゃあ、今日は何で来たんだ。何か、悩んでるのか?もしかして、結婚の事で…」

「違うわよ…」

「じゃあ、どうして…」

 バルティックは何度も訊くが、ルビイナリスは何も答えなかった。

 無言のまま手を組み、祈りを捧げている。

 立ち上がったバルティックは、ルビイナリスの隣に座った。

「なあ、ルビイ。俺が…」

「バルは困った事があると、いつも家に来ていたわね…」

 バルティックの言葉を遮るように、ルビイナリスは言った。

「しかも、必ず他の皆を連れて。占い師って楽しい事ばかりじゃないけど、貴方達といると落ち着けた。皆、いい子ばかりだったし。シティオとは長い時間一緒にいられなかったけど、あの子も凄く優しい子で…」

「子供扱いすんなよ…」

 突然、バルティックが呟くように言った。

 ルビイナリスが、バルティックを見る。

「あの子とか、この子とか…俺達、2つしか違わねぇだろ?大人ぶるなよ」

「何、それ…私は、大人ぶってなんかいない!バルが、子供なんじゃない!実際、悩み事を相談しに来てたでしょう?それに私にとって貴方達は皆、可愛い弟や妹なのよ!」

 怒鳴るルビイナリスを見て、バルティックは溜息をついた。

「そんなのは、7年も8年も前の事だろ?今は、お互い大人なんだぜ?体だってお前より大きいんだ、もうガキとは言わせない。気付いてなかったのかよ、俺の…」

「やめてよっ!」

 ルビイナリスは、耳を塞いで叫んだ。

 バルティックが、黙り込む。

 ルビイナリスは、静かに言った。

「やめて、バルティック…私、もう決心したの…水の大陸で、一族の誰かと結婚するのよ…散々人の心かき乱しといて、今更何を言うつもり?これ以上振り回さないで、お願い…」

 それを聞いたバルティックは、ハッとした。

 そして、ルビイナリスの肩に手を伸ばした。

「じゃ、じゃあ、ルビイもっ…」

「ち、違う…嫌っ、触らないでっ!」

 肩に触れようとしたバルティックの手を払いのけ、ルビイナリスは無理に笑った。

「わ、私達、今までいいお友達だったでしょう?だから、お友達としてさよならしましょうよ。もうすぐ出発の時間だから、行かなきゃ。村の人達には、見送りはいらないって言ってあるの。別れが、辛くなるから。来てくれるのは多分、貴方達6人だけの筈…じゃあ、ね…っ」

 そう言ってルビイナリスは立ち上がり、扉の方へと歩いて行った。

 バルティックも立ち上がり、ルビイナリスの方を振り返る。

「俺は、見送りに行かないっ!さよならも言わない、絶対になっ!」

 ルビイナリスは扉に手を掛け、振り返らずに言った。

「別に、私はそれでも構わないわ…」

「また…また帰って来るんだろう、この村に?」

 バルティックが訊くと、ルビイナリスは扉を思い切り開けながら、ようやく振り返った。

「バル…貴方がこの村にいる限り、此処へは2度と帰ってなんか来ないから!」

 その時のルビイナリスの目には、涙が溢れていた。

 外はようやく朝日が昇り、光が教会にも差し込んで来る。

 走って行くルビイナリスを見ながら、バルティックは机を叩き、拳を握ったまま立ち尽くす事しか出来なかった。

「畜生っ…」

 そしてその一部始終を、マリアージュが隣の部屋のドアの隙間から聞いていた。

 モップの柄をギュッと握ったマリアージュの手は小刻みに震え、その瞳からは今にも涙が零れ落ちそうになっていたのだった。

 

 

「ルビイ、元気でね」

「手紙、頂戴ね!」

 出発の時が来た。

 見送りに来たのはメルローズ、セディナード、アストリア、ペルティエの4人だけ。

「ごめんね、何かバルったら全然起きなくてさ。まあ元々朝は強い方じゃないから、寝惚けながら宜しく言っといてくれって…ほんと、ごめんね」

 メルローズが謝ると、淋しそうな笑顔を見せながらルビイナリスは言った。

「い、いいのよ、別に。4人が来てくれただけでも、十分嬉しいから」

「でも、マリアまで来ないなんて…どうしちゃったのかなぁ」

 ペルティエが心配そうな顔で言うと、ルビイナリスは静かに微笑んだ。

「マリアも、忙しいのよ。私、この時間帯によく教会に行ったりしてたんだけど、朝早くから掃除したりしてるの。偉いなって思ったわ、本当に。今頃天国でシティオも自慢に思ってるわね、マリアの事」

 セディナードも、頷いて言う。

「そうだね。でも…シティオを知っている仲間が1人いなくなっちゃうのは、何だか淋しいな」

「そんな事、心配しなくても大丈夫よ。お互いに、心は通じ合ってるもの。皆の事は、絶対に忘れない!勿論、シティオの事もね」

 そう言って、ルビイナリスは微笑んだ。

「だけど…また、会えるんでしょう?」

 メルローズが訊くと、ルビイナリスは苦笑いをした。

「そ、そうね…多分結婚して子供が生まれちゃったら、中々外に出れないと思うのよ。だからもしだったら貴方達が旅に出た時、ついでに寄ってくれると嬉しいんだけど」

「勿論、行くわ!」

 ペルティエは、元気良くそう言った。

 ルビイナリスも、頷いて微笑む。

 セディナードは、ふと考えた。

「僕が今、18歳。20歳まで、あと2年…最低でも、2年は会えないね」

「忘れないよ、ルビイの事。私達の大切な、お姉さん的存在だった人だもん…ね」

 そう言って、メルローズは目を潤ませた。

 ルビイナリスも、目頭を熱くする。

「や、やだ、メルったら…1番気の強い貴女が、そんな事でどうするの?折角、笑ってお別れしようと思ってたのに…」

「じゃあ、そろそろ行きましょう」

 レーナフィザはルビイナリスの肩を静かに叩くと、先に馬車に乗り込んだ。

 ルビイナリスも涙を拭いて馬車に乗り込むと、顔だけ出して手を振った。

「じゃあね、皆。絶対、遊びに来て頂戴。手紙、書くから!」

「絶対に行くよ!」

「バイバーイっ!」

 こうして、レーナフィザとルビイナリスはフォルチュナの村を後にした。

 バルティックとマリアージュはこの後、暫くの間ルビイナリスの名を口にする事はなかった。


 

     21年後 ―現在―

 

        ‡

 

「勇者セディナードに、祝福を!」

「おめでとう御座います!」

「セディナード、おめでとう!」

 満天の星と美しい月が顔を覗かせた、晴れた日の夜。

 グレンミスト家の勇者、セディナードが20歳の誕生日を迎えた。

 村人達が総出でパーティーを開き、盛大に行われた。

 村の広場にそれぞれが豪華料理を持ち寄り、思い切り着飾ってダンスやゲームなど数々のイベントを催した。

 村人全員から祝福されて、セディナードはとても幸せな時を過ごしていた。

「セディ、おめでとう!」

 大勢の人込みの中、ようやく主役であるセディナードの姿を見つけた26歳のバルティックと24歳のマリアージュは、祝福の言葉を送った。

 セディナードは、驚いた顔で言う。

「あ、有り難う。と言うか…もう始まってから大分時間が経つのに、2人の姿を見たのは今が初めてのような気がするよ」

「当ったり前だよ、ったく!お前人気者で、俺達の所になんてこれっぽっちも来てくれやしないんだから…なあ、マリア?」

 バルティックが不貞腐れた顔で言うと、マリアージュはくすくすと笑った。

「しょうがないわよ、今日のメインですもの。村の人達は皆、勇者セディナードと一言だけでもお話しようと、必死なのよ」

 セディナードは、困った顔をする。

「そ、そんな、大袈裟だよ。普段だって、道ですれ違った時には挨拶くらい交わしてるよ?僕だって買い物くらい行くんだし、その時にだって店の人と会話くらいは…」

「そう言う天然な所が、人々の心をくすぐるんだろうなぁ…」

 感心しながら、バルティックは仕切りに頷いている。

 そんなバルティックを見ながら、セディナードは言った。

「でも今日のバル、いつもとは違ったカッコ良さがあるね。普段はこう、野性味に溢れてる所がいいんだけど、今日は清楚で気品に満ちた…」

 それを聞いて、バルティックは顔を真っ赤にしながら、セディナードの頭を小突いた。

「バカ言ってんなよな、全く…成人迎えた途端に、お世辞がうまくなったってか?」

「違うよ、本音に決まってるじゃないか。マリアージュも、シスター風のドレスがとても良く似合ってるね。2人、今日は一緒に行動してるんだ…」

 セディナードが訊くと、マリアージュは頬を赤く染めながら言った。

「あの、それは、私、ダンス踊ってくれる男の人がいなくて…それで、無理矢理バルティックにお願いして踊ってもらう事にしたの」

「お、おいおい!」

 バルティックは、困った顔で言う。

「また、そう言う事を言う…俺は無理矢理だとか、そんな風に思ってないって。マリアは、昔っからこうだもんなぁ。もっと、自分に自信を持てよ!」

「バルとマリア、結婚したらどう?」

 セディナードの突然の質問に、一瞬時が止まった。

 バルティックもマリアージュも、固まったまま動かない。

 ただ互いに、顔を真っ赤にしていた。

「え?だって、年齢的にも丁度いいかと思って…2人」

 そう言ってセディナードは、こっそり舌を出した。

 2人の気持ちを確かめる為、セディナードはわざとそんな質問を投げかけたのだ。

 しかし2人は黙ったまま、何も言おうとしない。

「あれ、逆効果だったかな…」

 セディナードがそう思った時、ダンスの曲が流れ始めて来た。

「あ、ほら!2人とも、ダンス始まっちゃったよ!」

 セディナードの声で我に返った2人は、照れる事もなく自然に手を繋いで、慌ててダンススペースへと駆け出して行った。

「まだまだ、先かぁ…」

「何が、まだまだ先なの?」

 そう言って後ろからセディナードの肩を掴んだのは、22歳のメルローズと16歳のペルティエだった。

「や、やあ、別に何でも…ダンス、踊らないの?」

 セディナードが焦りながら訊くと、2人は声を揃えて言った。

『私達姉妹は、面食いなの!ねーっ?』

 顔を見合わせくすくす笑っている2人を見て、セディナードは言う。

「面食い、って言ったって…同い年の男の子は何人かいるじゃないか、ほら」

 セディナードが、若い男の子達が固まっているテーブルを指差すと、メルローズは嫌そうな顔をした。

「えーっ、やだぁーっ!女性にだって、選ぶ権利はありますぅーっ!あの連中と踊るくらいなら、年下でもセディ…貴方と踊るわっ!」

「駄目っ!絶対、駄目っ!セディナードは、私と踊るのっ!私、セディナードとしか踊らないからねっ!」

 どうやら、2人とも酒が入っているらしい。

 普段の2人とは…特に普段のメルローズとは、明らかに違う。

「あれあれ?モテモテですねぇ、勇者様はぁ…」

 この、厭味な言い方は…セディナードが後ろを振り返ると、ニヤニヤとした18歳のアストリアと困った顔をした14歳のカミユールが立っていた。

「お、おい、笑ってないで、助けてくれないか?メルもペルティエも、酔ってるみたいなんだ。ダンスの1曲でも、相手してやってく…」

「嫌です」

 はっきり断ったのは、勿論アストリアだ。

「ど、どうしてさ!」

「普段でさえその姉妹は手に負えないのに、酒が入ったら尚更でしょう?それに、幸い僕の場合はダンスの相手には困っていませんので…では、失礼」

 そう言って、アストリアは近所の機織工場に勤めている数人の娘達と一緒に、向こうのテーブルの方へ行ってしまった。

「へぇ、案外モテるんだなぁ…カ、カミユール、君は?」

 セディナードが訊くと、カミユールは緊張しながら言った。

「い、いえ、僕は、その、ダンスはあまり得意ではありませんので…」

「そうか、じゃあしょうがないな…って、あれ?いつの間にかいなくなってるし、あの2人…」

「あ、セディナードぉーっ!」

 バタバタと駆け寄って来たのは、12歳のジャスミンだった。

「ちょっと待ってよ、ジャスミーン!」

 後ろにはカミユールの弟、10歳になったロビナールもくっついて来ている。

「やあ、ジャスミンじゃないか。ロビナールも、一緒だね…2人で、ダンスでも踊るのかい?」

「それがね、其処のゲームコーナーでロビンは、自分が負けたら私の言う事何でも聞くって言ったんだよ?だから紳士のように振舞って、貴婦人の私をダンスにエスコートしてって言ったの。そうしたらロビン、ダンス嫌いだって言うのっ!」

「だって僕、ダンスするくらいなら本読んでた方が面白いんだもん!」

 2人の言い分を聞いて、セディナードは苦笑いしながら思った。

「ハハハ…この兄弟は、根っからの勉強家なんだなぁ。流石、フォード博士の息子さんだけあるよ…」

 

 

 宴も終わり、全て片付いた広場がいつもの何もない原っぱに戻った頃、いつかのようにバルティック達は皆で草の上に腰を下ろして、他愛のない話をしていた。

 其処へ、長老がやって来た。

「おやおや、こんな所で名残惜しそうに…2次会でも、始める気かな?」

「あ、曽祖父様」

『長老様!』

 長老はバルティックに勧められて岩の上に腰掛けると、皆に言った。

「何だか、こうしていると昔を思い出すのぉ…あの日も確か、こんな風に月の綺麗な晩じゃったな…」

 皆が、同時に10年前を思い出す。

 長老は、話を続けた。

「さて…とうとう、セディナードも20歳になったな。いよいよ、約束の時が来たのじゃ。今の心境を聞かせてもらおうかのぉ、バルティック?」

 バルティックは、頷いて言う。

「何だか、不思議な気分です。旅に出たいと言う希望を持って、21年…長いようで、とても短かった。色々な事が沢山あって、俺にとっては大切な学習期間だったように思います。その夢が今、叶えられようとしている。それこそが、まるで夢のようです」

 長老は頷き、マリアージュを見た。

「マリアージュ、其方はこの中で1番辛い経験をした事と思うが…どうじゃな?」

 マリアージュは暫く黙っていたが、やがて口を開いた。

「はい…皆の中で1番辛かったかどうかは分かりませんが、私の人生の中で母と兄を同時に亡くしたのは、やはり辛い経験でした。でも今は皆がいてくれるし、母も兄もいつも見守ってくれている筈なので、旅に出てもきっと大丈夫だと信じています」

「そうか。強くなったな、マリアージュ。昔の、シティーリオに隠れてモジモジしていた小さな女の子が、此処まで強く美人な女性に成長するとは…儂も、年をとる筈じゃなぁ」

 それを聞いて、皆が笑う。

 続けて、長老はメルローズに言った。

「メルローズ…其方は、ババ様の期待の星じゃったなぁ」

 メルローズは、くすっと笑う。

「ほんと、ババ様にはお世話になりました。ちゃんとお礼も言えないまま、お別れしちゃったけど…」

 皆は、ババ様の事をそれぞれに思い出していた。

「でも、今回の旅でババ様から教わった魔法、有意義に活用します。そして、いつも感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思ってます」

 長老は満足気に微笑むと、セディナードを見た。

「セディナード、お前はどうじゃ?勇者として生まれ、20年が経った訳じゃが…旅立ちを前にして、何を思う?」

 セディナードは、考えながら言った。

「正直言って、勇者として振舞えるかどうか…バルにも迷惑ばかり掛けているし、旅に出ても的確な指示が出せるかどうか、定かではないし…」

 皆が、不安そうにセディナードを見る。

「皆の上に立って、指導する自信はないんです…ですが皆と同じ立場に立って、協力し合う事なら出来ます!これだけは、自信があるんだ!」

 そう言って笑うセディナードに、長老も微笑んで頷く。

「なるほど、うまい事言いおるのぉ。儂は昔言った事があると思うが、仲間同士上下の関係があってはいかんのじゃ。大事なのは、仲間との信頼関係。協力し合う自信があるならそれで十分じゃぞ、セディナード」

「はい!」

 セディナードは、笑顔で頷いた。

「次は、アストリアじゃが…其方はまた、色々な事に挑戦しとったようじゃのぉ?」

 長老に訊かれ、アストリアは頷いて言った。

「そうですね…攻撃魔法に回復魔法と言う、賢者になくてはならない魔法は、全て覚えました。最近は、専ら召喚魔法の勉強に明け暮れていますが」

「感心な事じゃ。その知識を自分の為だけでなく、皆の為に生かしてやってくれ。そして、是非とも今回の旅を成功させるのじゃ…良いな?」

 アストリアは、力強く頷いた。

「そしてペルティエ、其方は本当に周りの人間に迷惑ばかり掛けとる、我儘娘じゃった。16になって、やっと少しは女性らしく淑やかに振舞えるように、なって来たかのぉ?」

 顔を赤くしたペルティエは、慌てて言った。

「ちょっ、長老様っ!もう、やめて下さいよ!子供じゃないんですよ、私!もう、ちゃんと出来ますって!」

 そんなペルティエを見て、皆が笑う。

 長老も、笑いながら言った。

「そうかそうか、それなら良いがの…それから、カミユールにジャスミン。其方達は、ご両親の都合や特殊な技を勉強している事もあり、広場での練習には1度も参加せんかった。そうじゃな?」

 頷く2人。

「しかしこの6人はいつも一緒にいて、広場での練習も長年やって来ておる。その中へ、ポッと仲間入りする事に不安はないか?」

「僕は、その事に対しての不安感はありません」

 最初にそう答えたのは、カミユールだ。

「確かに、練習に参加した事はありませんでしたが、アストリアとはたまに練習していましたし、皆さん優しくて道で会うと、必ず声を掛けて下さっていましたから」

 続けて、ジャスミンも言う。

「私、いつも父さんに言われるんだ。お前が生まれる時、勇者様達も一緒にいてくれたんだよ。だから、今度はお前が勇者様達と一緒にいて、お前にしか出来ない事やお前にしか助けてあげられない事が、1つでもあったらそれをしなさいって…」

 皆は、ジャスミンが生まれた時の事を思い出した。

「だから私、セディナード達と一緒に頑張る!」

 それを聞いて安心した長老は、静かに微笑んだ。

「其方達の気持ちは、よく分かった。ではバルティック、旅を許可するかどうかについてじゃが…」

「お待ち下さい、長老様…」

 バルティックは、長老の言葉を遮るように言った。

「まだ今は、完全には心の準備が出来ていません。それに、最終的な訓練と旅の支度も御座います。ですから本当に全てが整った時に、こちらから長老様の許へお伺い致しますから、今は…」

「そうか、分かった。儂もまだ、答えを決め兼ねていた所じゃ。では儂もその間、ゆっくり考えさせてもらうとしようかのぉ…」

 立ち上がった長老は、皆に言った。

「では、あまり夜更かしをしないように…お休み」

「お休みなさい、曾祖父様」

『お休みなさい、長老様!』

 皆は長老に挨拶をし、長老は1人家へと帰って行った。

 

 

「なあ、皆…」

 長老が帰った後、暫くしてからバルティックは皆に言った。

「ちょっと、聞いて欲しい事があるんだ」

 皆が、バルティックを見る。

「言ってみれば、この旅は俺の我儘から始まった事だ。そんな事の為に何年もの間、皆をこうして引きずって来た訳だけど…」

 其処でバルティックは、皆を見回した。

「正直に、言ってくれ!行きたくない奴は、此処で断ってくれても構わない。その代わり、これが最後のチャンスだ。此処で断らなかった奴は、どんなに危険だろうと無理矢理にでも連れて行く!」

 皆の表情が、強張る。

 バルティックは、俯いて言った。

「当時ガキだった俺は、旅に出ると言う事がどんなに大変な事か、分かっていなかった。何せ、祖母ばあさんから聞かされた絵本の勇者と戦士に憧れたのが、元だからな。それで、安易に言えてしまったんだと思う…」

 そして、バルティックはギュッと拳を握り締めた。

「しかし、それが現実になり目前に控えた今、ガキの戯言だったでは済まされない状況にまで、来てしまった…でも俺は、旅に出たいと言った事を後悔していない。たとえ当時ガキだった俺が、本気で言ったんじゃなかったとしてもだ!」

 皆は、黙ってバルティックの話を聞いている。

「何故なら、その戯言のお陰で皆とこうして出会う事が出来、仲間としての大切な絆を結ぶ事が出来たからだ」

 それを聞いて、皆は互いに顔を見合わせながら照れ笑いをした。

 バルティックは、話を続ける。

「自分で言うのも何だが、俺が旅に出たいなんて言わなければ、俺にとって此処にいる皆はただの近所のガキでしかないし、皆にとっても俺はただの図体のデカい、武器屋の兄ちゃんでしかなかった…よって、こんな風に親しくなれたのは、全てこの俺のお陰である!」

 皆が、笑いながら頷く。

 バルティックは、2重に首に掛けているペンダントを強く握った。

 10年前から肌身離さず持っている、シティーリオの形見だ。

 バルティックの為に、シティーリオが一生懸命作ったと言う十字架からは、彼の温もりが…。

 そして、バルティックがシティーリオに作った蒼い石からは、こびりついて今も取れない赤茶けて固まったシティーリオの血が、無念さを伝える。

「しかし、何より…シティオの同意がなければ、俺は1人でこの計画を実行してはいなかった」

 皆が、俯き黙り込む。

「シティーリオって人の事…私、覚えてないの。私が生まれた時、いてくれたんでしょう?だからこの前、マリアに写真を見せてもらったんだ。何だか気は弱そうだったけど、とっても優しそうでカッコ良かったよ!」

 ジャスミンがそう言うと、カミユールも静かに頷いた。

「僕、いつも思うんです。シティーリオと言う人の事を…こんなに皆に愛されて、こんなに皆に大事に思ってもらって…余程、素晴らしい方だったんでしょうね。残念ながら僕は3、4歳でしたし、まだ面識もなかったものですから、記憶にないんです」

 それを聞いたバルティックは、腕を組んで考え込んだ。

「いや…そんなに、素晴らしい奴だったかなぁ?俺の記憶の中では弱虫で、臆病で、全然頼りない奴だったぞ?」

「バ、バルっ…」

 バルティックのあまりの言いように、メルローズが注意する…しかし。

「けど…優しくて、あったかくて、人の気持ちが良く分かる奴で、俺の我儘もいつも聞いてくれて、俺が落ち込んだ時いつも側にいてくれてさぁ…笑顔なんかもう、最っ高なん、だ、ぜ?」

 バルティックの目は、涙で潤んでいた。

 メルローズも、目を潤ませる。

「そ、そう言う奴の事をさ、素晴らしいって、言うっけ?ハハ、何か、よく、分かんねぇ。照れ臭くて、あいつの事、素晴らしいなんて、口が裂けても、言えねぇ、や…」

 そう言って涙を拭うバルティックを見て、メルローズも無理して笑う。

「ほ、ほらーっ!まーた、始まった!シティオの事になるとすーぐこれなんだもんなぁ、バルは!シティオ、大好き人間なんだから!」

 皆が大爆笑する中、バルティックは顔を真っ赤にしながら憤慨している。

 一緒に笑っていたセディナードは、ふと真剣な表情で言った。

「さっきの話に、戻るけど…皆、危険を承知でバルについて来てると思うんだ。遊びで付き合うような奴は、この中にはいないんだよ。だから、バルがそんな事心配する必要はないと思うな」

 続けて、マリアージュも言う。

「そうよ、バルティック。折角覚悟して、何年もやって来たんですもの。今更、そんな悲しい事言わないで。皆、無理してる訳じゃないと思うから…」

 マリアージュの言葉に、皆も頷く。

「有り難う、皆…」

 バルティックも、頷いて言った。

「皆を選んで、本当に良かったと思ってる。これから、もっと辛く厳しい事が待ち受けているかもしれない。だけど、俺達8人でそれを乗り切って行こう。俺は喜びを分かち合い、悩みを素直に打ち明ける事の出来る仲間になる事を誓うよ…皆は、誓うか?」

「勿論、誓うに決まってるじゃない!」

 最初にそう言ったのは、メルローズだった。

「誓う!」

 ペルティエも、続けて言う。

「絶対、誓うよ!」

 ジャスミンも、元気良くそう言った。

「私も、誓うわ!」

 マリアージュも、力強く言う。

「僕も、誓います!」

 カミユールは、笑顔で言った。

「アスト…お前は、どうなんだ?」

 俯いたままのアストリアを見たバルティックは、セディナードの答えを聞く前に、アストリアに訊いた。

 アストリアは、黙っている。

「バル、僕にはそんな事訊かないでくれよな?訊かれなくたって、誓うのが当たり前なんだから!仲間って言うのは、そう言うものさ!なあ、バル?」

 セディナードはそう言って、バルティックを見た。

 バルティックも、セディナードを見る。

「ああ、そうだ!その通りだよ、セディ!それが、仲間だ!」

 そして目と目で合図をし合った2人は、悪戯っ子のような笑みをアストリアに向けた。

「はぁ…分かりましたよ、全く」

 ニヤける2人に見つめられながら、アストリアは溜息をついて肩を竦めた。

「勇者様にそう言われちゃあ、僕も誓わない訳には行かないでしょう?それを狙って、わざとセディナードより先に僕に訊きましたね、バルティック…そちらの作戦勝ちと言う事で、仕方ありません…僕も、誓いましょう!」

 不貞腐れた表情のアストリアを見て、皆は同時に笑った。

 アストリアも素直じゃない自分に対し、思い切り笑った。

 勇者セディナード、20歳の今宵。

 8人は、夜空の月に永遠の友情を誓ったのであった。

 

 

                        ―THE END―

 

                    Written by M・H

                     1999.7.20・TUE


#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門




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文者部屋美
同じ地球を旅する仲間として、いつか何処かの町の酒場でお会い出来る日を楽しみにしております!1杯奢らせて頂きますので、心行くまで地球での旅物語を語り合いましょう!共に、それぞれの最高の冒険譚が完成する日を夢見て!