2024/2/15沖縄との出会い12
ところで、母は本当にお嬢様であった。
あの世代なのに、幼い頃からお茶にお花、バイオリンを習い、家庭教師もついていた。弟
(私にとっては叔父)と2人きょうだいで、叔父が長男だがひとり娘であったため、しっ
かりと可愛がられた。
母の実家は薬局の他にレストランと喫茶店も経営しており、九州場所になると力士たちが
立ち寄る店だった。
そのため(?)母の誕生日にはレストランのシェフがお祝いの料理を準備して祝いの会が
開かれた。
私が生まれた時には里帰り出産をしたそうだが、毎日助産士さんが