ハーベールー

日々のこと。沖縄のこと。綴って行ければいいな。

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最近の記事

風呂と乳がん

年休が余り過ぎているから取ってと上司に言われて、予定のない平日に休みをもらった。 予定がないからどうするか? 急に大浴場に行ってみようと思い立った。 乳がんの手術後、傷跡が気になって大浴場には行っていない。 本当は温泉大好きだったが、どうしても気持ちが向かなかった。 だけど、月曜の午前中なら人もいなくて大丈夫かもと行ってみることにした。 思ったより人はいて緊張したけど、それほど人は他人を見ていなかった。 私だって他人の体をマジマジと見たりはしない。 あっさりと楽しめた自分に

    • となりの雑談のイベントに参加して

      ワークシート、下書きして清書して送った。 私なりに考えて書いた。 でも、私のカッコつけしいが透けて見えてホント嫌。 自分に対してもカッコつけないと保てない心を見つめることになった。 案の定、採用されなかった。 それがまた苦しい。 もしかしたら、目に留めてくれるかもとどこか期待してたからだ。 どうして、自信なく生きてるのに、選ばれることを期待するのか。 醜い。 私は人に話を聞いてもらって、「なるほどね」「面白いね」「良いこと言う」と言ってもらいたいんだ。 いつまでも親に褒めら

      • 2024/3/3沖縄との出会い14

         そんな母が大学を卒業してしばらくしたころ、祖父母たちは見合いを持ってきた。 いい加減、お淑やかになって欲しかったようだ。祖母は特に女性は「良家」と結婚して子どもを産んでなんぼだと思っている人だった。自分だって結婚後3年間子どもに恵まれなかった時に「三年子なきは去れ。」といびられて悔しかったはずなのに、娘を嫁がせる事に熱心だった。  母は理不尽を嫌う割に親に逆らえない側面もあり、納得行かないまま結婚した。夫となった人は祖父の薬剤師仲間の息子で、これまたお坊ちゃんであった。学生

        • 2024/2/22沖縄との出会い13

          そんな母が貧しい学生だった父と結婚したのは、その育ちの違いに魅力を感じたのも大きかったのではないだろうか。 しかし、母はおっとりとしたお嬢さんでもなかった。 学生運動に積極的で、機動隊にガラス瓶を投げつけるほどであった。警察に追われている友人を実家の喫茶店に匿って、目の前でその友人が警察に捕まるという経験もした。母は理不尽を嫌った。

          2024/2/20病院と私1

          幼い頃から何度病院に行ったのだろう。 母方の祖父が薬剤師で薬局を開いていたせいもあって、薬は身近にあった。 母たちが飲んでいた胃薬のガロール、怪我すると塗られたパイロール、頭痛薬バファリン、クララ(最近CMで出てきて懐かしくなった)風邪薬もさまざま。 そして、幼い頃は小児科の優しい先生の病院にことあるごとに連れていかれた。予防接種は大きな病院だったから嫌いになった。いまだに総合病院は苦手。 学校帰りには耳鼻科。歯医者。 あの頃は子どもの医療費が無料だったのか、放課後そのまま

          2024/2/20病院と私1

          2024/2/15沖縄との出会い12

          ところで、母は本当にお嬢様であった。 あの世代なのに、幼い頃からお茶にお花、バイオリンを習い、家庭教師もついていた。弟 (私にとっては叔父)と2人きょうだいで、叔父が長男だがひとり娘であったため、しっ かりと可愛がられた。 母の実家は薬局の他にレストランと喫茶店も経営しており、九州場所になると力士たちが 立ち寄る店だった。 そのため(?)母の誕生日にはレストランのシェフがお祝いの料理を準備して祝いの会が 開かれた。 私が生まれた時には里帰り出産をしたそうだが、毎日助産士さんが

          2024/2/15沖縄との出会い12

          2024/2/14沖縄との出会い11

           母は戦時中の生まれで、博多のど真ん中の薬剤師の娘だ。祖父は「先生」と呼ばれるエリートで、母はお嬢様であった。母は母の立派な雛人形の話をよく聞かせてくれた。「今もあれば、あれはあなたのものになっただろうにね。」というのが決まり文句であった。  母の育った家の並びに戦後アメリカ兵のための遊戯場ができたそうだ。夜な夜な米兵たちが飲んでダンスをするようなところだったという。ある時、母たちの家を挟んで反対側の家が火事になった。アメリカ兵たちは遊戯場を守るため、間にある母の実家をダイナ

          2024/2/14沖縄との出会い11

          2024/2/13沖縄との出会い10

           小学生の私を沖縄へ行かせてくれたのは母の思いが強かったからだと思う。なぜか母は私を沖縄へ行かせたがっていたように思う。そのころ沖縄への「少年の船」の募集があり、母は私を参加させようと申し込んでいた。残念ながら「少年の船」には落ちてしまったが、このツアーをどこかで知ったのか、いつの間にか申し込んでいた。  母は大学の卒論で沖縄問題を扱いたかったとポツリと話していたことがあった。沖縄の歴史、戦争、そして戦後の基地。母もまた基地の街で育ったため、他人ごとではなかったのだろうか。

          2024/2/13沖縄との出会い10

          2024/2/12台湾ナンデス

          今日も「沖縄との出会い」はお休み 台湾ナンデスの続きを見た。 台湾の選挙の熱気がものすごくて感動した。 「沖縄と通じる」とプチさんが話されていたが、今の沖縄にはそんな熱気はもうない。 ダースさんが「選挙に行かなくても幸せに暮らせるから行かないんでしょう?」といったことを台湾の方に言われたと仰っていたが、沖縄もそうなってきたということだろうか。 でも、米軍基地は相変わらずあるし、自衛隊がどんどんやってきて、戦前の日本軍配備の時のようになっている。 あの頃も、沖縄の人々は「これ

          2024/2/12台湾ナンデス

          2024/2/11沖縄との出会い9

           結局、私たちはテーマを変更することとなった。「沖縄のなぜなぜなあに?」だったかと思う。「シーサーってなあに?」「ヒンプンってなあに?」といったものを調査して解説することになった。それはそれで楽しかった。しかし私はこの「戦争体験を聞く」ということについて、その後何度も考え続けた。なぜ話してもらえなかったのか?私は傲慢な子どもだった。  こうして私たちの5泊6日間の体験は終了した。アキコやタカシ、ユウキ、ヤスヒロとはそれっきりだ。顔だってもう覚えていない。

          2024/2/11沖縄との出会い9

          2024/2/10Kingsと台湾ナンデス

          今日は「沖縄との出会い」はちょっとお休み。 今日は夫と琉球ゴールデンキングスの応援に行った。 応援し初めて何年になるだろう。 BJの1番初めからで、あの頃4歳だった息子が今や大学生。 体育館で見ていたのが今やアリーナだから、本当にすごいなあ。 今日の対戦相手は北海道で快勝。 カークのフックシュートに楽しくなった。 また来月が楽しみだ。 そして、帰ってからは「台湾ナンデス」 プチさん、ダースさん、畠山さんの話は面白いからね。 台湾の熱い選挙話、いいね。沖縄にも通じるよね。

          2024/2/10Kingsと台湾ナンデス

          2024/2/9沖縄との出会い8

           本部の集落をノートを持ってみんなで聞き取り調査を行うこととなった。人のいる家を飛び込みで訪ねて「戦争の時のお話を教えてください。」と聞いてまわった。セメント瓦の民家が多く、ウージ畑の側の道を歩きながら家々を歩いた。のんびりとテレビを見ながら休んでいる方もいたのに、ハイテンションの小学生たちが庭先に突然ドヤドヤと現れて、さぞや驚いたことだろう。しかも戦争当時のことを「話してくれ」もないもんだ。とうとう1軒も話してもらうことができなかった。私たちは幼く、人の痛みに思いを寄せるす

          2024/2/9沖縄との出会い8

          2024/2/8沖縄との出会い7

           そしていよいよこのツアーのメインの調べ学習。グループでテーマを決めてそれを調べ、模造紙にまとめてみんなの前で発表することとなった。私たちのグループはルリコと私と、アキコとタカシとユウキとヤスヒロの6人だった。アキコは明るくて正義感の強い子、ルリコはアキコと話があったのか、那覇へ出発する前から意気投合していたらしい。歳も二人は6年生で私よりも一つ上だった。男の子たちはなぜか私をからかってきたのだが、私以上にルリコとアキコが言い返していた。  私たちの班のテーマがどうしてそうな

          2024/2/8沖縄との出会い7

          2024/2/7沖縄との出会い6

           本当は私は波打ち際で貝や石を拾ったり、のんびり海を眺めたりするだけでいい。しかし、思い返せば自ら進んでは選ばない経験だったのだから、あれはあれでよかったのだと思う。  おやつにはパイナップルが振る舞われた。缶詰ではない、生のパイナップル。ルリコと私は興奮して美味しくて本当によく食べた。後で舌がザラザラになって後悔したが、それでも南国の味に幸せだった。  3日目は地元の小学生とバスケットボールを通して交流することとなった。おそらく本部町の小学校のバスケット部の子どもたちだった

          2024/2/7沖縄との出会い6

          2024/2/6overthesunインスタライブ

          今日は「沖縄との出会い」はお休み。 overthesunのインスタライブでゲラゲラ笑ってたからꉂꉂ(ᵔᗜᵔ∗) OTSパークからの配信で、次のメニューの紹介にエアドラム。 あ〜楽しかった(≧∇≦) 今日は幸せな気持ちで寝られそう(*˘︶˘*).。.:*♡ ありがとう、スーさん、堀井さん✨

          2024/2/6overthesunインスタライブ

          2024/2/5沖縄との出会い5

          ツアーはとにかく楽しかった。初日は海洋博記念公園のアクアポリスを見学した。アクアポリスへ渡る橋が金網状になっていて、少し足がすくんだが、その網目から見える海は透き通っていて、うっとりした。ずっと見ていたいと思った。宿泊はB&Gで、宿泊する部屋は班ごとだった。すっかり打ち解けた私たちは部屋でお菓子を交換しながら、他愛ないおしゃべりした。  翌日は船尽くしだった。ひとりずつ浅瀬でカヌーの練習をした。カヌーは足をすっぽり舟に納めるためバランスを取るのが難しく、転覆しないか不安になっ

          2024/2/5沖縄との出会い5