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2024/2/14沖縄との出会い11
母は戦時中の生まれで、博多のど真ん中の薬剤師の娘だ。祖父は「先生」と呼ばれるエリートで、母はお嬢様であった。母は母の立派な雛人形の話をよく聞かせてくれた。「今もあれば、あれはあなたのものになっただろうにね。」というのが決まり文句であった。
母の育った家の並びに戦後アメリカ兵のための遊戯場ができたそうだ。夜な夜な米兵たちが飲んでダンスをするようなところだったという。ある時、母たちの家を挟んで反対側の家が火事になった。アメリカ兵たちは遊戯場を守るため、間にある母の実家をダイナマイトで吹っ飛ばしたんだそうだ。そうすればそこで火事が食い止められるからとアメリカ兵は言っていたそうだが、日本の家屋とアメリカの煉瓦家屋とでは勝手が違うのにと母も祖母も悔やんでいた。取るものも取れず、家から追い出され、家を失った。その時に雛人形も燃えたと言っていた。雛人形が燃えたのが印象的だったのかもしれない。飛行機の音、米兵たちのねり歩く街。そんな環境で育った母には沖縄はどうしても避けては通れない地域だったのだろう。