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フランシス・レドウィッジについて



フランシス・レドウィッジについて

フランシス・レドウィッジ(Francis Ledwidge)
 (1887.8.19 ~1917.7.31)

正確にはフランシス・エドワード・レドウィッジ(Francis Edward Ledwidge)。
アイルランドのミース州スレーンに生まれる。なお現在、同地には記念館が建てられている。幼少期から詩を書き始め、14歳から新聞に詩が掲載されるようになる。

新聞掲載された作品が切欠でロード・ダンセイニの支援を受けるようになり、彼の主催するサロンでイェイツなどとも出会う。生前に詩集「Songs of the fields」を刊行。死後、彼の作品をダンセイニがまとめ「Last songs」「Song of Piece」及び全作品集を出版。
1974年、アリス・カーテンが上記詩集にレドウィッジの新聞掲載作品を追加収録した「Francis Ledwidge: Complete Poems」を出版。1997年、リアム・オメーラとインチコアのレドウィッジ協会がアリス・カーテンの本に未発表作品20編を追加した「Francis Ledwidge The Poems Complete」を出版。これが全作品集となる。

なお1999年のIrish Timesによる「100 favorite Irish poems」(Irish Times購読者による投票企画)ではレドウィッジの「Thomas McDonagh」「June」の2編がランクインしている。

アイルランド島は長年イギリスの支配下に置かれた地域であり、1801年には全島併合されている。レドウィッジの生きた時代、すなわち1887年から1917年において「独立国家アイルランド」は存在しなかった。
耕作者、炭鉱夫として働きつつ組合活動を行っていたのが切欠で、レドウィッジは当時もっとも急進的な独立運動を行っていたシン・フェイン党(ナショナリズム政党)と関わりを持つようになる。

19世紀後半の民族主義の激化やジャガイモ飢饉の影響によりアイルランドにおいても独立運動が激化、1914年のイギリス議会においてアイルランド自治法が成立したが、第一次大戦勃発に際し施行は保留となった。
宗主国イギリスの参戦に際しアイルランドがどのような態度を取るべきか(自治法のことを考慮して宗主国に協力し従軍するか、あくまでも他国の参戦であるとして協力を拒否するか)についてはアイルランド国民の中でも意見が割れた。宗主国への戦争協力を巡りアイルランド義勇軍は分裂、この時レドウィッジは義勇軍に志願しない立場を取ったが、その一か月後にイギリス軍兵士として従軍、セルビア、ギリシャなどへ渡ることとなる。
従軍先でも記者からの取材を受け作品の寄稿等を行う一方、支援者であるダンセイニへの作品送付を続けていた。

1916年、マンチェスターで療養中にイースター蜂起及び関係者銃殺の報を受ける。蜂起首謀者として銃殺された者の中にはレドウィッジと交流のあったトーマス・マクドナーも含まれていた。一方で鎮圧軍にはレドウィッジの支援者であったロード・ダンセイニも参加している。当時、療養から帰宅したレドウィッジの精神的動揺は周囲から見ても明らかかつ激しく、この少し後には規律違反(軍隊からの脱走、飲酒)による軍法会議にかけられている。
1917年、第三次イーペルの戦いでフランスにて戦死。享年二十九歳。

いわゆる戦争詩人であるが、第一詩集にダンセイニが寄せた巻頭文の内容から「クロウタドリの詩人」と呼ばれることもある。ダンセイニはその後の詩集の巻頭文でも彼とクロウタドリの記憶を綴った。

 he is the poet of the blackbird.

INTRODUCTION TO SONGS OF THE FIELDS


ケルト遺跡の多い地方に生まれたカトリック、かつナショナリストとしてアイルランド義勇軍への参加を拒否しながらその直後に宗主国イギリスの兵士として従軍した理由について(記念館HPでは失恋の影響が仄めかされているものの)レドウィッジは明言しておらず、彼の従軍および政治的スタンスをどう評価するかについては意見が割れる。wikipdiaでは根拠不明ではあるものの「独立後、レドウィッジについてアイルランド公教育からの記述が減った」という記載も存在する。
ノーベル文学賞を受賞したアイルランド詩人シェイマス・ヒーニーは「In Memoriam Francis Ledwidge」でレドウィッジについて「our dead enigma」と書く。

In you, our dead enigma, all the strains
Criss-cross in useless equilibrium
And as the wind tunes through this vigilant bronze
I hear again the sure confusing drum

In memoriam Francis Ledwidge

作品は生前から愛読者が多く、イギリスの作曲家マイケル・ヘッドはレドウィッジの作品4編による歌曲集「Over the Rim of the Moon」を1918年(レドウィッジ戦死の翌年)に出版している。

また、イースター蜂起で銃殺されたシン・フェイン党のトーマス・マクドナーについての詩を書いていることから、シャン・ノースの歌い手ローカン・マック・マシューナ(Lorcán Mac Mathúna)の2016年のアルバム「Visionaries 1916」には「Lament for Thomas McDonagh」が収録されている。これはレドウィッジの詩「Thomas McDonagh」を歌詞としたものである。

2017年のレドウィッジ没後百周年記念式典ではマイケル・マクグリンの主催するコーラスグループ「アヌーナ」がレドウッィジの作品をもとにした曲を披露。アヌーナは式典と同年、レドウィッジの作品8編を歌詞等に使用したアルバム「Songs of the whispering things」を発表している。
マイケル・マクグリンはレドウィッジの全作品集を出版したリアム・オメーラが切っ掛けで学生時代レドウィッジの作品に出会ったという経緯があり、収録曲には「Visionaries 1916」でも使われた「Thomas McDonagh」の詩を使ったものも含まれている。



 

参考文献:
Wikipedia・Francis Ledwidgeの項
Francis Ledwidge Museumホームページ
アヌーナホームページ
"In memorial Francis Ledwidge"について(英国教員のHP)
「ともに食卓を囲むことの叶わぬ友人たち」―イェイツとヒーニーのエレジーを読み直す―(中尾 まさみ)


レドウィッジとの出会い

わたしがレドウィッジを知ったのはアイルランドのコーラス・グループAnuna(アヌーナ)がきっかけです。

初めて聞いたのは「August」だったと思いますが、詩として読んで初めて感動したのは「Ireland」でした。

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