わたしの託した白いばら (The white rose, Michael McGlynn等) 私訳
2024.11.18追記:X(Twitter)にてアヌーナ公式アカウントより当該曲の歌詞についてご教示いただいたため、補足1の記載内容を一部修正、補足2を追記しました。
わたしの託した白い薔薇
林檎の木々の花の真白を通りすぎ 風は谷間でささやいていた
榛の木に鳥は歌い あのひとはやってきたのだった
*あのひとのくれた赤いばら一輪、夜明けに濡れていたスミレ
わたしの託した白いばら一輪
(愛するおまへの道のりがだうか無事であるやうに)
(愛するおまへ その不在を癒やすものはこの世のいづこにもあらず)
(戻つておいで わたしをむごい場所に置き去りにしたおまへ)
山には柔らかな雨が降り 海には冷たい風が吹く
わたしは悲しみにくれ言葉もなく待っていたーーもう鳥の歌は聞こえない
*Repeat
The White Rose
the warm wind whispered in the valley through the pure apple blossom on the trees.
the black bird sang in the hazel and my love he did come to me.
*He gave to me a red rose, and violets dew’d with the dawn
And I gave to him a white rose,
(that you my love would go safely)
(walk my love, there is no healing to be had but that of death)
(walk my love, you left me in a terrible state)
the soft rain falls on the mountain and the cold wind blows on the sea
I have waited in sorrow and in silence; I no longer hear the blackbird’s melody.
*Repeat
※()内はゲール語歌詞
Anuna The white rose
補足1
『The white rose』はアイルランドのコーラスグループAnunaの曲。
ゲール語と英語が混在しているこの歌ですが、作曲者情報等を見るとIrish language text traditional, music and English text by Michael McGlynn、となっています(参考)。
つまりこの歌のゲール語部分はアイルランドの古い文言、英語部分は1964年生のMichael McGlynnによるものです。このため拙訳ではゲール語部分は旧仮名、英語部分は新仮名で記載してみました。
とはいえ楽曲としてはゲール語部分と英語部分とで歌い方のトーンが変わったりするわけではありません。むしろ英語のAnd I gave to him a white roseというフレーズを補うようにゲール語の(that you my love would go safely)というフレーズが響いたりします。
作曲家としては両方の歌詞を併せた全体として、古い、中世頃のアイルランドの風景や世界観を表したいのだろうと思います。
さて、上にも掲載しましたが、この曲のゲール語部分の歌詞(およびその英訳)は以下になります。
go dtéigh tú a mhuirnín slán (That you my love would go safely).
Siúl a ghrá níl leigheas le fáil ach leigheas a’ bháis
Siúl a ghrá ó d’fhág tú mis’ is bocht mo cháis
(Walk my love, there is no healing to be had but that of death
Walk my love, you left me in a terrible state).
このうち ”go dteigh tu a mhuirnin slan(that you my love would go safely )” については有名なトラッド、『Siuil a ruin』に近い言い回し(Is go dte tu mo mhuirnin slan)が登場します。当該部分について、『Siuil a ruin』の拙訳では「その道のりよ無事であれ」と訳しています。戦地へ向かう恋人の無事を祈る歌詞です。
“Siúl a ghrá níl leigheas le fáil ach leigheas a’ bháis"(walk my love, there is no healing to be had but that of death)については、ゲール語歌詞でgoogle検索しても似た文章は見当たりませんでした。
が、英語テキスト"there is no healing to be had but that of death"で検索すると、アイルランドの墓石に刻まれた言葉として"Death leaves a heartache no one can heal, love leaves a memory no one can steal."というフレーズがヒットします(例えばこちらなど)。
もちろんこれだけで断言することはできませんが、この歌で引用されているフレーズももともとは墓碑銘、死者に捧げる言葉ではないか……と想像することは、言葉の内容からしてもそう的外れではないのではないか、と思います。だとすれば曲では続けて歌われている”walk my love, you left me in a terrible state”というフレーズも同様でしょう。
なお、楽曲『Siuil a ruin』のサビで繰り返され、またタイトルとなっている"Siuil a ruin(walk my love)"というフレーズは、遠方へ行き死んだ(=再会の叶わない)恋人の霊が自分のもとを訪れて欲しいという願いを歌っているのではないかと拙訳の記事で書いたところです。「Siuil a ruin」の歌詞及び個人的な考察やアイルランドの生者へのウェイク(wake、通夜)についてはこちらの補足をご覧ください。
『Siuil a ruin』のサビは兵士となった恋人を見送る言葉、あるいは恋人にさらってほしいと希う言葉として訳されるのがほぼ定訳になっているようですが、墓碑銘の言葉(と解釈しても問題ないようなフレーズ)とセットで使われていることからしても、この曲では死者(ないしは遠方に行ってもう今生では会えないだろう存在)への呼びかけの言葉として捉えるのが適切だろうと考え、「戻つておいで」と訳しました。
曲の一番と二番の間にどれだけの時が流れたかはわかりませんが、英語の歌詞で描かれる主体は具体性の薄い茫洋とした春の景色のなか、恋人との花のやり取りの記憶だけを抱いて立ち尽くしています。
*
ところで、この歌にでてくるwhite roseはどのような薔薇なのでしょうか。
薔薇の品種は(大まかな目安として、ではありますが)1867年以前に生まれた品種はオールドローズ、それ以降のものはモダンローズとして分類されます。しかしトラッドの時代を想定した場合、1867年というのは基準線としてあまりに遅すぎるでしょう。オールドローズより更に前、原種の薔薇のほうが、トラッドの時代に近そうです。
ANUNAの「The white rose」動画冒頭では白い小さい花が風に揺れる映像が流れます。 小さく、細い花弁が5枚のみというこの花は、歌詞冒頭に登場する林檎の花(参考)である可能性も否定できませんが、これが歌に登場する薔薇の花を想定したものである場合、原種の薔薇のひとつであるロサ・カニナ(参考)(参考2)のような品種と思われます。
ロサ・カニナの和名はイヌバラ、苗木の台木として使われる丈夫な品種で、低木の枝に小さな花を咲かせ、実はローズヒップとして食用に利用可能です。香りは少なく、野ばらと称するのがぴったりな花です。
可憐な花ではありますが、一方で花のつき方を考えると恋人に渡す花としてはどうだろう、とも思います。花が小さく茎も短いので、恋人に渡すとしたら花部分だけを摘み取り手に乗せ渡すのか、あるいは枝ごと切って渡すような形になります。
動画冒頭の花のイメージや薔薇の原種に拘らず、古くからある白い薔薇という観点で考えた場合、候補として挙がるのは白薔薇の原種とされるロサ・アルバ(参考)(参考2)でしょう。
ロサ・アルバは「オールド・ローズ基本4種」の一つでばら戦争で有名なヨーク家の薔薇であり、聖母マリアの象徴ともされます。花弁も花全体のサイズも原種であるロサ・カニナより大ぶりで、白い花びらの広がる中に黄色い雄しべが映えます(この記事のトップ画像はこのロサ・アルバをイメージして選びました)。レモンのような香りをもつこの薔薇は、恋人に捧げる薔薇、という意味でも多くの人のイメージに一致しそうです。
ところで薔薇は、樹形によりつるバラ、シュラブ(半つる)、ブッシュの3系統に分かれます。
二十一世紀の現代、一般的な花屋で売っているのはすべて、ブッシュ系統の薔薇です。太くまっすぐな茎の先に一輪、大きく立派な花を咲かせるこの樹形は王権神授の時代、広い庭園の遠景の彩りとして使われていました。
が、これまで見てきた原種の薔薇やオールドローズの殆どはシュラブ型、またはつる薔薇に該当します。つる薔薇やシュラブの薔薇が花屋に出回ることは殆どありません。理由は簡単で、弱いからです。
ブッシュ系統より茎が細くしなやかなこの2系統は、庭の薔薇として壁やアーチに枝を誘引することが容易ですが、その分、脆い花でもあります。しなやかな茎が水を吸い上げ咲かせる花の花弁は脆く染みがつきやすく、簡単に散ります(ちなみにヨーロッパでは薔薇の品種について、その花の散り方が美しいことも一つの評価ポイントになります)。水を吸い上げる茎が細いということは多くの水を内部に蓄えておくことができず、花がすぐに萎れるということでもあります。シュラブやつる薔薇の花は、あらゆる意味で長距離輸送に向いていないのです。
恋人からもらった薔薇、恋人に託した薔薇。
小さな花だったかもしれませんし、大ぶりの花だったかもしれません。が、いずれにせよその花はおそらく、一日もたたないうちに萎れて散ってしまったことでしょう。
補足2(作詞・作曲者より)
この記事についてX(twitter)で紹介したところ、アヌーナ公式アカウントから以下の通りリプライがありました。内容を鑑みるに、入力しているのは作詞・作曲者であるMichael McGlynnではないかと思います。
”But they are related.”とありますが、これはもともと筆者のtweetで「The white rose」を「Siuil a ruin」と比較してみた記事ですと書いていたので、それを受けてのpostになります(つまりtheyとは「Siuil a ruin」及び「Siúil a Ghrá」のこと)。
(余談ですが「Siúil a Ghrá」についてlyricやsongでなくpoemと書くのだな……と、ちょっと印象的でした。)
ここで言及されている「Siúil a Ghrá」の歌詞はこちら(出典不明の個人blogですが英訳付でわかりやすいです)やこちら(合唱編曲楽譜。英語歌詞と組み合わされています)で読むことができます。いずれも「The white rose」のゲール語歌詞と同じ歌詞が確認できます。
トラッドのため画一化された歌詞というのは存在しないのでしょうが、内容は「Siuil a ruin」の、それも定番になっている歌詞でなく、バンドによっては歌わない、Flight of the Wild Geeseなど具体の戦争を連想させる部分の英語歌詞とほぼ同じであることが伺えます。
これを踏まえると当初補足で記載した、ゲール語歌詞は墓碑銘に使われるような文言であろう、というところからの考察は少々行き過ぎだったかもしれないなと思い、一部削除しました。
個人blogに掲載された「Siúil a Ghrá」の歌詞(英訳併記)の3番は以下の通りです。
このうち「Watching as his ships sailed off.」というフレーズは「Siuil a ruin」には全く存在しません。恋人が船に乗って戦場に行ったというこの内容は(「Siuil a ruin」の歌詞の歴史的背景として時折紹介される)Flight of the Wild Geeseを念頭に置いたものと考えたくなります。
一方でその前後のフレーズ、「I sat me down on a big hill.」「With every tear I could turn a mill.」などは「Siuil a ruin」にも同内容の英語歌詞が存在します。
もともと「Siuil a ruin」は英語とゲール語、2言語が併用された非常に珍しいトラッド、かつ歌詞も多いことから、Flight of the Wild Geeseに関する部分は後から追加されたという説もあります。
……もしかしたら遠い昔誰かが、「Siúil a Ghrá」の歌詞を英訳し脚韻も踏むように整えたものを「Siuil a ruin」のメロディーに乗せて歌ったのかもしれません。
なおwikipediaの「Siuil a ruin」の項目では「Recordings and performances」としてNa Casaidighというアイリッシュバンドによる「Siúil, a Ghrá (Farewell My Love)」 (1961)が挙げられており、ここではこの2曲がほぼ同一視されています。
Na Casaidighの「Siúil, a Ghrá (Farewell My Love)」の動画はこちら。メロディーは「Siuil a ruin」と異なっていることがわかります。
また、こちらはKay McCarthyの「Siúil, a Ghrá」。Na Casaidigh同様、女性ボーカルによるものです。
Na Casaidighがゲール語のみの歌詞で歌っているのに対し、こちらは英語歌詞を組み合わせた歌詞を歌っているため、「Siuil a ruin」を知っているとちょっと馴染みのある歌詞が聞こえてきたぞ、と思うかもしれません。
なお「Siúil a Ghrá」の楽譜はこちら。
上記の動画を聞いていただいてもわかると思いますが「Siuil a ruin」のメロディーとは異なるものの要所要所に、あれ、このあたりはちょっと似てるかも……と思わせる部分がある印象です。