地味で怖いビジネスマナー (月曜日の図書館187)
この世で一番怖いものは、迷惑メールフォルダである。迷惑かどうか自動的に判断し、認定されるとただちにブラックホールに吸い込まれる。
そしてなぜか、重要なメールほどこちらに仕分けられる傾向がある。
その恐怖を知っているわたしは、去年の暮れ、迷惑メールフォルダに受信メール1と表示されていることをすかさずキャッチ、開いてみると美術館からLちゃん宛てに来ていたメールだった。日付を見ると、なんと一週間も前に届いているではないか。
危うく返信しないまま年を越すところだった。司書も学芸員も休みが変則的なので、一週間遅れならギリギリ不審に思われなかったようだ。その後関係がこじれたとは聞かない。
だがわたしはある。こじれたというより、人間関係が崩壊した。
プライベートであるイベントの実行委員をしていたとき、事務局からのお知らせなどを出店者にメールで知らせる担当をしていた。あるとき、懇親会の出欠をメールで問い合わせたところ、ある出店者からの返信(参加します)が迷惑認定されてしまっていた。それに気がついたのは、懇親会が終わった後だった。
ただちにお詫びのメールをしたし、後日お店にも謝りに行ったが、店主は口もきいてくれなかった。
関係が崩壊したというより、まだお互い顔も素性もわからず、数回しかやりとりをしていなかったからこそ、いきなり険悪になったのかもしれない。客商売をしているのに、一回のミスで関係を断ち切ろうとした相手も極端な人だったのかも、とも思う。
でもこの経験はわたしにかなりのインパクトをもたらしたし、機械が判定する「迷惑」は人間のそれとは恐ろしく食い違うことがあることを学んだ。以来、職場では担当ではなくてもこまめにメールフォルダをチェックするようになった。
真の迷惑メールは、どういうわけかふつうの受信フォルダに届くことが多い。Hi,わたしはJamesです。あなただけに特別なgood newsをお知らせします。
逆に返信をもらえない側になることも、もちろんある。その場合は、重要ならもう一度催促するし、どっちでもいい案件なら放っておく。迷惑フォルダで迷子になっているか、大量のメールの中に埋もれているか、返事しなくてもいい相手だと思われているか、そんなところだろう。
待つ側になってみると、ビジネスといえど、必ず返事がくるとは限らない、むしろ届いて、反応があったらラッキー、くらいに思ってしまう。すぐに返事が来ると、きっとすごく仕事のできる人なのだろうと思って、尊敬の念が止まらない。
詩の世界に投瓶通信という言葉がある。特定の誰かに向けてというより、広い海に瓶詰めの手紙を投げるような気持ちで書く。誰かが拾って読んでくれるかは、わからない、わからないけど、届くと信じて、書く。
メールを送るときも、そんな気持ちになる。いや実際は届いてほしい相手が決まっているし、確実に届かないと困るのだが、果てしない空間をさまよった挙句、迷子になってしまうケースがあることもまた事実だ。
のろしや伝書鳩と比べて手間はかからないが、同じくらい心細い。それを忘れてしまうと、少しのバグの発生であっけなくつながりが断ち切れてしまう。
クジラが海水といっしょに大量のプランクトンを飲みこむように、ますばどんなメールも大雑把に受け入れることはできないだろうか。迷惑メールフォルダ自体を削除する方法を検索してみたら、フォルダ内のメールを一括削除する方法ばかりがヒットして、なかなかうまく意図が伝わらない。