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朝食はチューニングだから

・・・以上、日本人の上位独占で沸く、ショパン国際ピアノコンクールの会場前から、お送りしました・・・

5年に1度開かれる、世界最高峰のピアノコンクール。日本のコンテスタントが何人も上位に入賞したらしい。とりわけ注目された優勝者は、浅尾和音(あさおかずね)・・平成音楽大学卒。

娘が、スマホから顔を上げて尋ねてきた。

「あれ?お母さんって、バイト先、平成音大だっけ?」

「そうよー。いまテレビでやってた優勝した浅尾くん、私のご飯食べてたんだから!」

私は、調理師として大学の学食でバイトをしている。近所だからと、移転してきた音楽大学の学食に職を得て、学生のために朝食を提供することになり、朝早くから出ている。毎朝欠かさず朝ごはんを食べに来ていたのが、浅尾くんだった。


「おはよう。今日は?Aにする、Bにする?」

「・・はよざいます。Aで。」

朝食はAがご飯、Bがパンだった。私はAの調理担当だった。ツヤツヤの炊き立てのご飯と、野菜をたくさん入れた味噌汁、あとは卵焼きや惣菜・・これは冷凍食品なんだけど・・皿に盛り付けて。

「おはよう。暑くなりそうだね。今日は?Aにする、Bにする?」

「おはよーざいます。・・Aですね。」

こんなやりとりが毎日続いていた。物覚えが悪いとか、意地悪のつもりでもないけれど、せっかくだからと毎朝同じことを聞いていた。浅尾くんも寝ぼけているのか、毎度応えてくれる。

「おはよう。今日もAでいいのかしら?」

「そうっすね。AかBだったら、Aっす。・・・Bはシの音、朝から”死”なんて聞きたくないんで」

「へぇーそういう意味なのねぇ・・。じゃあ、Aは、何の音なの?」

「意味って・・。Aは・・、ラっす。チューニングの音だから、朝ごはんもAがいいんすよ。」

学食で出している朝食はとても安い。なんと1食200円。苦学生(音大生には、そういう学生はいないかも)のための料金だから、学生証を提示しなければ買えない決まりだ。

「おはよう。名前・・、わおんって読むの?生まれた時から、音楽好きそうな名前ね」

「よく言われるんすよ。かずね、です。女の子みたいな響きだけど、濁音があると、すごく人間らしくなって、僕は好きなんす。・・なんて。」

「へぇー、そうなのね、色々聞いちゃってごめんね。・・はい、朝ごはんAセットね!」

音大の学食でバイトはしているけれど、実は、あまり音楽のことは分からない。作曲家も知らないし、楽器の名前も分からない、でも学生さんたちとの朝の会話で元気をもらえる。

「おはよう。今日は何だか、みんな緊張してる感じね。」

「はよざいます・・そうっすね。ラスト試験、ってやつで。」

「あれ、浅尾くんって、楽器・・そういえば持ってな・・」

「えー(笑)俺の楽器は、自分で運べないんす、重くて。・・ピアノっす。」

浅尾くんがピアニストであること知ったのは、4年生の冬。娘にそのことを話したら、嘘でしょ、と笑われてしまった。


「おはよう。ん?これは?」

「卒業公演のチケットっす。お世話になったんで・・」


音大では、科ごとに卒業公演がある。友達が言ってたけど、ミュージカル科は毎年満席になってしまうくらい人気の公演らしい。音楽に疎いまま大学の学食にいるけれど、たまにはホールでコンサートを聞いてもいいでしょ、何といってもタダだから。


舞台で見る浅尾くんは、別人だった。

初めて聞くピアノ演奏も、聞いたことがない曲だったのに、弾いている子が知ってるからなのか、何だか胸に迫るものがあって涙が出ていた。

あの子だけレベルが違う・・・近くの席から漏れ聞こえてきた驚きの声。そうか、よく分からないけれど、朝ごはんを毎日食べているってことは、毎日きちんと起きているってことで・・才能はもちろん、練習もちゃんとしていたんだろうな・・・。


公演の翌朝、いつもの時間に浅尾くんは現れなかった。

きっと打ち上げで飲み過ぎたのだろう。4年近く続いていた習慣のような朝の景色が、いつもと違った。感想なんて大層なことは言えないけれど、感謝を伝えたかった。

そろそろ朝食の時間が終わる頃、いつもの姿で浅尾くんは現れた。

「おはよう。飲み過ぎた?」

「おはよ、ございます。いえ、寝坊っす。昨日、なんかこう・・納得いかなかったんで、ずっと弾いちゃったんで。」

昨日の舞台で見た、ぎこちない笑顔を思い出す。

「そう・・・。いつもの?」

「ええ、もちろん。朝食はチューニングだから。」


あれから3年経ったけれど、私のバイトは続いている。

オーケストラで演奏を始める前に、みんなで音を合わせることをチューニングというらしい、音楽を学んでいる場所で、そんな当たり前のことを知らずにいたなんて。

受け売りだけれど、学生に朝食セットを手渡すときに、心の中で言うのだ。

朝食は、チューニングだよ。


#2000字のドラマ #あざとごはん #創作 #音大 #チューニング


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